地球とボタンとあなたとわたし

ピクルズジンジャー

お昼休みのひとときに

「このボタンは絶対押してはだめよ」


 と、白衣を着た女が幼い女の子の首からにペンダントをかけ、その後しゃががんで視線を合わせてこう言った。


「ボタン?」


 少女は繰り返した。白衣の女性が首からかけてくれたのは、ピンクのメッキで出来たハートの真ん中に大きくてキラキラしたニセモノの宝石が真ん中で輝いている如何にもオモチャ然としたペンダントだったのだから。だけど少女は、そのいかにもオモチャっぽいデザインが一目みるなり気に入った。魔法を使える女の子が出てくるアニメに登場する不思議なアイテムに雰囲気がそっくりだったから。

 しかしそれはペンダントであってボタンには見えない。首を傾げた少女に、白衣の女はいたずらっぽく微笑んで、長くて白い指をオモチャの宝石に添えた。


「そう、ボタン。あのね、この宝石は魔法のボタンになっているの」

「魔法⁉」


 それを聞いた少女の目は輝く。当然だ、メッキと樹脂の宝石で造られたペンダントに目を輝かすような幼い子なのだから。でもすぐに気づく。


「でも、さっきこのボタンは押しちゃダメって言ったよ?」

「そうなの。残念だけど、このボタンは恐ろしい魔法のボタンなの。これを一日に三回押しちゃうとね、空からこわーい爆弾がいっぱいいっぱい降ってきてね、どこもかしこも燃やし尽くしちゃうの」


 とっとておきの秘密を打ち明けるような顔をしていたに違いない白衣の女性から気化された怖ろしい事実に、幼い少女は恐怖で強張りながら目を見開いたに違いない。季節は真夏だった。夏休みの登校日、みんな蒸し暑い体育館に集められて、悪いことなど何もしていない人々が生きたまま焼かれて死んでゆく、とても怖くて悲しい映画を見たばかりだった。

 少女はペンダントを外そうとする。当然そんなものを首からかけてるのが怖くなったのだ。


 それをみた白衣の女は、その手を抑えた。幼い女の子に見破るのはむずかしい、芝居がかった真剣な表情でそっと打ち明けるように託したのだ。


「そのペンダントはね、お姉さん、あなたに持ってもらいたいの。だって、あなたは世界をまる焼けの丸焦げにしちゃうのが怖いでしょう? 人が大勢亡くなるのも嫌でしょう? 戦争なんて嫌いでしょう? でもね、世の中には怖い人がいて、お金儲けやなんかのために戦争をしようって考える人がいるの」

「なんで? おかしいよ、変だよ? なんでそんなこと考える人がいるの?」

「――そうだね、変だね。お姉さんにもわかんない」


 すっかり震え上がった幼い女の子がべそをかきだし、白衣の女は汗ばんだ柔らかい体をだくなり、頭をなでるなりしてあやす。

 そして耳元で必死な声をだして、とどめをさしたのだ。


「だからね、このペンダントをお姉さんはあなたに持っていてもらいたいの。世界中をまる焼けの真っ黒こげに絶対したくないって考える、優しくて素直で、もちろん約束をずっと守れる子」


 少女はこっくり頷いた。自分で言うのもなんだけれど、口の堅さには自信があったのだ。「ひみつだからね」と、友達から枕詞をつけて打ち明けられた秘密は全て誰にも明かさず胸にしまっている。王様の耳がロバの耳だったとしても打ち明けずに自分の胸にしまっておける自信があると、ちょっぴり自負していた。

 白衣の女はメッキのハートに指で支えて、樹脂の宝石が少女によく見えるように角度をつける。少女の目にそのペンダントと、大事な使命から選ばれたという物語は魅力的に映ったことだろう。徐々に恐怖から上回る程度に。


「このボタンを欲しがる、怖くて悪い人が世界にはいっぱいいるの。おれさまの言うことを聞かなきゃ世界をまる焼けにしてやるぞーっ! って人達が。お姉さんはね、そんな人たちにそんな怖いボタンを渡したくないから、可愛いペンダントの中に隠してあなたにあげることにしたの」


 だからどうぞ、大切にしてね。

 それからこのことは誰にも言っちゃだめよ。

 怖い人たちがボタンを押しに来ちゃうから。


 そうやって念をおして、白衣の女は少女の体を抱きしめて、立ち上がった。そしていつものように気さくに微笑み、ばいばい、と手を振って去っていった。




 白衣の女性はその後すぐに外国へ渡り、なにかしら世界的に有意義な研究をしている科学者として活躍して科学史に名を残した。

 約束を頑なに護る信じやすい女の子はそのことを誰にも言わず、模造宝石のボタンを一度も押さないまま、大人になって、結婚して、子供を作って、人生を全うした。




 信じられないことに、核兵器よりももっともっと恐ろしい爆弾が地表に降らせる怖れのあるボタンは押されることなく、約一世紀経過したのである。

 ――いや、ほんと、信じられない。


「あたしならそんなボタン、ソッコーで押しちゃうけどね」

「あんたならそうでしょうね、あんたなら」


 我が家に恭しく伝わる、一世紀前のおもちゃのペンダントに纏わる伝説を聞かせた所、親友は軽く私を睨んでそう言った。

 件のペンダントは今、私の手の中にある。

 もともとの持ち主だった幼い少女、つまり私のひいおばあちゃんがオルゴールつきの宝石箱に入れて大事にしまっていたお陰で、そこまで劣化していない。レトロで可愛い。ビンテージトイの風格も出てきたから、自慢するために親友に見せつけてやったのだ。


 親友はあたしからペンダントを受け取る。メッキの金鎖をつまんで、目の前でペンダントを揺らして見せる。「おそるおそる」を絵に描いたような表情がおかしいったらない。

 ニヤニヤ笑いの私のことが癪にさわったのだろう、むすっとして睨み返す。


「――ていうか今の話、本当? あんたの作り話じゃなくて?」

「空想で多少の情緒は補ったけど、本当だよ? ひいおばあちゃんの遺品整理を手伝った時におばあちゃんがあたしにくれたんだもん。――あらあら懐かしいわぁ、お母さんのミサイルボタンじゃない。どこかで失くしたとおもったらこんなとこにあったのねって」

「? このペンダントのことは誰にも内緒じゃなかったの?」

「いやー、流石にひいばあちゃんも大人になってから気が付いたんだよ、近所にいた科学者のお姉さんに信じやすさを面白がられて遊ばれたんだろなって。で、子供のときのおばあちゃんにあげたらしいよ、一応宝石のボタンは一日三回押しちゃだめだよって約束させてから」

「……ちょっとまって、あんたら一族は最終兵器の発射ボタンをそんな杜撰に管理してたの?」

「あんたこそちょっと落ち着きなって。こんな話信じてどうするんだってば」

「ほーら、やっぱり嘘なんじゃん! 油断も隙もあったもんじゃないなぁッ」

「いやだから、ひいおばあちゃんが科学者の女からこのペンダントを貰ったってところまでは本当なんだってば」

「――だったらやっぱり、最終兵器の発射ボタンかもしれないって可能性もないわけじゃないじゃん」

「ん~、まあ、そうなるか、うん」


 ――うーん、そうきたか。


 ひいおばあちゃんほどではないけれど信じやすくて揶揄い甲斐のある親友は、目の前にペンダントをもちあげ模造宝石を凝視している。つい笑ってしまいそうになる真剣な横顔をみていると、あたしの中の悪戯欲がムラムラ高まる。

 それの命ずるままに親友の背後にまわり、背中をドンと突きながら、わっ! と叫んだ。その時の親友の驚きっぷりときたら。


 ぎゃあ、だの、ひゃあ、だの悲鳴をあげて、あの子の手から落ちたペンダントは床とぶつかる。そこは私たちの母なる地球が見下ろせるよう、透明のパネルになっている。宇宙恐怖症の子たちは避けて通る一画だけどあたしたちは平気だ。

 格差と貧困と紛争の絶えないなんて話が信じられないくらい、母なる地球は今日も青く綺麗だ。



 地球の上をのぞき込むように見える格好で四つん這いになった親友は、慌ててペンダントを拾うと必死で覗き込む。


「やばいやばい……っ! 今のでうっかりボタンが押されちゃってないっ?」

「大丈夫なんじゃない? 今日あたし三回それおしちゃったし、カチカチカチって」

「⁉」


 目を見開いて、親友はあたしを見つめた。嘘でしょ⁉ と、その目は見ている。

 嘘だけど、と心の中でだけあたしはつぶやく。――まあ、二回くらいふざけて押すことはあるけれど。


 そんなことはおくびにも出さず、あたしはもっともらしく話し始めた。


「ねえ、ちょっとゆっくり考えてみなって。近所にいた科学者のお姉さんからそんな危険なブツを手渡されるとかそんな話、実際あると思う? あるわけないじゃん」

「――、まあ確かに、リアリティに欠ける点は否めないけど。でも、万が一ってこともあるかも知れないし……」


 疑いが消えないようで、親友はしげしげとペンダントをみつめてぶつぶつつぶやく。


 あたしはそのペンダントをひょいと奪い返すと、彼女の首にかけてやった。敏捷性を問う成績は常にあたしの方が上なのだ。


「それ、あんたにあげるわ」


 こんな突拍子もない話を聞かされて、七割がた信じてしまうような女の子の方が持ち主ととしてふさわしいからに決まってるじゃん、と私は言わない。だって私についた嘘のせいで、三回ボタンをおされても何も起きなかったビンテージトイのペンダントってことになったばかりだ。それなのに親友は頑なに樹脂の宝石を押そうとはしないんだから。


 このペンダントを持つのにふさわしいのは、地球を守りし選ばし乙女は、あたしではなく彼女である。

 そんな敬意と軽侮の入り混じった感情故の行動の意味を解さない親友は、何が何やら分からないって顔をしている。


「はあっ、なんで⁉」


 要らない、こんなもの押し付けるな! と言いたげな親友をその場に残して、あたしは駆け出す。もうすぐしたら休憩時間が終わるのだ。あたしたちはここ、コロニーで生まれ育った世代だ。地球は見下ろすばかりで訪れたことはない。

 あたしたちは、地球のあらゆる汚染を取り除き、平和をもたらすための学問を日々ここで学んでいる学生だ。


 ただの学生には人類は地球の行く末を考えることは荷が重い。ぶっちゃけ今の故郷はこのコロニーだし、地球がどうなっても対岸の火事だし……って気持ちはあたしにはちょっとはあるんだけど、親友にはないんだろう。オモチャかもしれない、嘘かもしれないと、疑いながらも、樹脂製宝石のスイッチをカチカチ三回押すってことがどうしたって出来ない。そんな子だ。


 地球の上で追いかけっこをしながら、親友の誕生日にはビンテージとはいえオモチャじゃない、ほんもののペンダントを贈ってあげようかな、なんて考えた。 

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地球とボタンとあなたとわたし ピクルズジンジャー @amenotou

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