残ってしまった母への澱

 私は本気で看護婦になりたいと思った事がなかった。それでも結局はズルズルと高校の衛生看護科で3年間を過ごし、准看護婦の資格試験に合格。その後も正看護婦になる為の高等看護学校にも行き、正看護婦の資格を得た。

 

 看護婦になったのは母の安心のためだったと言いたいが、それを言ってしまうと自分が嫌いになりそうだった。

 私は「自分の人生は自分で決めてきた」と、胸を張って言える人間になりたかった。

しかし、高校の衛生看護科に入学した時から、それを言えない人間になってしまった。

 母は普通の母親だ。過剰に教育熱心だったわけでもなく、普通に私達兄妹に愛情を注いで育ててくれた。私が結婚した後も住居が近いことから時々一緒に出かけたりしている。

 看護婦になる事を勧めた母。私は母の希望どおりに看護婦となった。実際に看護婦として働き、人につくす良い仕事だとは思ったし、育児がひと段落した後の再就職も難なくできた。現在も看護師の資格で待遇的にも恵まれた仕事に就く事ができている。これが最初から自分で選んだ職業であったなら、素直に「やはり看護婦になって良かった」と思えるのだ。しかし、そうではない私は「あの時に違う高校に進学していたら…」と思わずにはいられない。

 自分の職業選択に関する母へのおりとも言える複雑な思いは、たぶん一生消えないのだろう。


 いま、色々とあった末に私の子ども達が進路や将来を選択していっている。

 私は自分の子どもが進学先や将来の職業について何を言い出しても、どんなに迷っていても、絶対に自分の希望だけは言わないように心がけている。何か言うならば「こういう職業がある」「こういう事が得意だと、この職業に有利かも?」といった情報だけにしたいと思っている。そこに子どもに対する親の希望を含めては絶対にいけないのだ。

 親の言う事というのは、子どもにとって、たいていは正しくて…もしくは正しいと感じさせてしまうのだから。

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進路に悩む子どもに親の希望を話さないでほしい @yadatamared8304

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