進路に悩む子どもに親の希望を話さないでほしい

私が看護婦になったわけ

 私が看護婦(下記※参照)になった理由は

「母親の説得に負けたから」


「人の助けができる職業につきたくて」

「子どもの頃、入院した時に優しくしてくれた看護師さんがいて…」

 テレビなどで看護師になった理由を聞くとだいたいこんな感じの答えが返ってくる。


「就職先に困らないとおもって」

「給料がいいし」

「男にモテるから…」

「うまくいけば、医師ドクターと結婚して悠々自適な生活…」

 間違ってもそんな事は言わない。



 私の母親は私が小学校高学年くらいになると、やたら「あんたは看護婦さんになるといいよ」を繰り返していた。

 母親の友人に看護助手として働いている人がいた。その人は子どもの頃の私を"身体が丈夫"で"優しい"から「看護婦さんに向いている」と言っていたらしい。

 母親は友人から言われた"向いている"という言葉を鵜呑みにして、また文頭にあげた全ての理由も頭にあり、私に看護婦になることを勧めるのだった。

 しかし当時の私は、病院という場所には縁がなく、いくら母親に言われても看護婦という職業についてピンとくるものがなかった。かといって「人の役にたつ良い職業」である看護婦になる事を、拒否する理由も思いつかないでいた。


 中学生になり、高校への進路を考えるようになると、母親の「看護婦になるといい」攻撃は具体的で強いものになった。

 進学先に私立高校の衛生看護科を受験することをすすめてきたのだ。高校の衛生看護科というのは、高校卒業と同時に准看護婦の受験資格も得られる専門科である。

「普通の高校を卒業して看護学校に入るのって、勉強ができないと凄く難しいらしいよ。

あんた、勉強出来ないんだから、高校出てからは絶対に無理。高校から衛生看護科に入っておいた方が絶対にいいよ」

 母親の言葉に看護科を受験しない理由も見つからず、「うん、わかった」と"いい子"としての返事をしていたが、心の中にモヤモヤしたものも感じていた。

 3年生の後半になると、私は衛生看護科を希望しているのだと担任教師にも思われていたが、その話しが具体的になればなるほど、私の心のモヤモヤは大きくなっていった。

 そして、12月に入った頃だったろうか。そのモヤモヤの正体が少しづつ解ってきたのは。

「私は看護婦になりたいと思っていない。」

「こんな気持ちで看護科に入学していいのか?」

「看護婦っていうのは、もっと本気でなりたいと思っている人がなるべきではないのか?」

 兄2人が公立の高校に行き、優秀な長兄においては高校も大学も奨学金を貰っているのに、自分だけが親に高額の授業料を払わせて私立の高校に入学するのも嫌だった。

 ある日母に、やはり公立高校を受験したいと話した。しかし、私はその理由をうまく話す事が出来なかった。

 私が看護科には行かないと話すと、母は「でもね…」と、看護科に進学する事が、いかに私の人生にとって有利な事でかるかを話すのだった。それは決して感情的ではなく理路整然としており、私が不安から涙を流しても「でもね…」と繰り返されるのだった。

 何度か何日か同じやりとりを繰り返した挙句、私は母が希望した看護科の入学試験を受けた。もう「でもね…」に反論するエネルギーをなくしていたのだ。

 いっそのこと白紙で出してやろうかと思った入学試験だったが、単願コースで受験している私は滑り止めの高校もなく、この高校に入学しなかった時の先の不安から、普通に回答用紙を埋めるしかなかった。

 入学試験の後、合格発表までの日々は「落ちてないかな?」と不安半分、期待半分で過ごした。結局、私は合格。高校から看護婦を目指す衛生看護科に入学する事となった。


※「看護師」が現在の名称ですが、私が中学の時点ではまだ「看護婦」が使われていましたので、ここではあえて「看護婦」を使わせていただきます。

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