第2話 本末転倒
重厚な造りの門扉に広大な敷地。天まで届きそうなほどの見張り台。そして何よりも目を引くのが、この世界の住人が全て収まっても余りあるのではないかと言われる大きすぎる校舎。
まるで城廓のように厳しいそれの正面には、華美な装飾の施されたこれまた大きな時計が取り付けられている。
時計の針が午前9時を指す。講義開始の刻限だ。
始業のチャイムが鳴るのを聞き届けた
視線の先には、いつもならば真っ先に埋まるはずの机。幸人の席だ。
「秦くんはいつもの事だとして、どうして鐘ヶ江くんまで……。何か悪いことに巻き込まれてないといいけど」
養成所へ入学して2年。幸人は1度たりとも遅刻や欠席をしたことがなかった。
死神としての素質が有るとは言い難いが、何事にも全力で取り組むその姿勢には好感を持ったものだ。
そんな彼が遅刻だなんて、と心配しきりの新人教師に「知らないんすか?」と声をかける生徒が1人。
「今日のニュース、朝っぱらから食欲失せそーなやべぇの流されてたの。あれ、“颯様”の仕業っすよ」
敢えて幸人が呼ぶように冷泉の名を出すと、彼女は漸く合点がいったらしい。
「ああ!あの脱線事故、冷泉さんのお仕事だったのね」
「そ。彼奴のことだから、どうせテレビに張り付いて1人で盛り上がってんじゃないんすかね」
「そう。……でも、だとしたら残念ね。よりによって今日なんて」
頬に手を当てて眉を顰める宮下に、女子生徒が苦笑する。
「宮ちん先生心配しすぎ!ゆっきーのお母さんみたいじゃん。ってゆうか、そんなに残念がることないよ。寧ろ無謀な夢見なくていいだけ幸せなんじゃない?」
「そうですよ。鐘ヶ江さんが“ナイトメア”に入るなんて、どう考えても不可能なんですから」
“ナイトメア”
それは、死神の中でも最も優れた者だけが入ることを許される組織だ。メンバーは全員合わせても両手で数えられる程の少数精鋭部隊で、彼らにしかこなすことの出来ない特殊な仕事をしているという。
多くの死神にとって“ナイトメア”は憧れの組織であり、尊敬の対象だ。しかしこの養成所に通う候補生にとって、“ナイトメア”は将来働くかもしれない職場の一つ。何せ、この養成所への入門試験こそが、“ナイトメア”への登竜門だと言われてさえいるのだから。
幸人は、そんな入門試験に足切りを紙一重で回避し合格した生徒だった。その上能力も開花させていないとなると、“ナイトメア”への道は絶望的だろう。現に、彼の死神としての実力は養成所でも最低クラスだ。
分かっていても、やはり現実とは残酷なものだ。
どれだけの努力を重ねても、所詮神に与えられたギフトには敵わない。
時計を見ると、もう時刻は9時半を回っていた。これ以上待つことはできない。
「……仕方ないわね。皆、各自準備してください!間もなく“ナイトメア”行きのバスが到着しますから」
途端に騒がしくなった教室に、もう幸人を気にしている生徒はいない。ここに居る生徒達には、確かに“ナイトメア”に入るに足る実力も能力もある。幸人には無いギフトが。
だとしても。
――夢を見ることすらも、力のない人には許されないの?
宮下は思わず目を伏せた。
1番力がないのは幸人では無い。ギフトを持っていなくても努力し続ける彼を否定する声から守れない、自分自身だ。
「あーだめだ。完全に遅刻だこれ」
養成所への道すがら始業のチャイムが聞こえてしまった幸人は、自転車を止めてどんよりと暗い空を仰いだ。
電車で通ったとしても片道30分はかかる通学路だ。自転車で15分で着くはずもなかった。
「交通費をケチったのはまずかったかぁ」
自転車を爆速で飛ばしすぎたせいで、起床から3時間で1日分の体力を使い果たしてしまった。もう指1本動かせる気はしない。
とはいえ、このままここで燃え尽きているわけにも行かない。
もう自転車を漕ぐ元気は無いので、鉛になったような体を引きずるように歩いてなんとか養成所へとたどり着いた。
校舎の時計が指すのは11時。もう3時限目が始まっている時間だ。
最早歩くのも一苦労で、昇降口の掃除用具入れから拝借した箒を杖代わりにしながら、目的の教室の扉を開けた。
「はよーございまぁす!すいません、遅刻しちゃって…………って、何で誰もいないんだ?」
三時限目は生物学の講義だったはずだ。教室移動がないのに、生徒が一人もいないなんておかしい。
胸騒ぎがして、スマートフォンから響の番号に電話をかける。三回ほどコール音がした後に相手が出た。周りの雑音から察するに、どうやらまた女の子とカラオケボックスに居るらしい。
「なんだよ幸人。今デート中なんだけど……ん?ダチだよ。ルームメイト……いや、同棲じゃねぇっての!男だって。大丈夫!お前以外に仲良い女いねぇから。……分かってる。オレも愛して」
「お取り込み中にすみませんね!!ちょっと!聞きたいことが!あるんですけど!!」
「ん?ああ悪ぃ。……で、聞きたいことって?」
「今日って講義休みだったっけ?」
「いや、あるけど」
「まじか。何で誰もいないんだろ」
「ん?ちょい待ち。お前今どこ?」
「どこって養成所だけど」
「はぁ!?何でお前まだ養成所にいんの?」
「何でってどういうことだよ」
「忘れたのか!?今日は“ナイトメア”本社の見学に行く日だろうが!」
信じられないと言うような声を出す響の言葉で、幸人は漸く思い出した。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!そうだった!!でも大丈夫だ今から出ればまだ間に合う!そういうことだから響、もう電話切るな!教えてくれてサンキュー!」
電話を切る前に「耳がぁぁぁ!」という叫びが聞こえた気がしたが、もう構ってはいられなかった。一刻も早く電車に乗り、将来働くであろう職場の視察に向かわなければ。
運が良ければ、エースである冷泉から直々にサインを貰えるかもしれない。
「待っててくださいね颯様!」
さっきまでの疲れはどこへやら、瞳を輝かせて全速力で走り出す。
この時、幸人は夢にも思っていなかった。
自分の未来が、運命の巡り合わせによって大きく変わっていくことを。
死神が死んだ日 海野海月 @shinamon3110
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