エピローグ 死にゆく者、生きていく者――アレス/シュヴァルツ/ジョーカー/リーネ
「……やった、か……」
ジョーカーの一撃が、遂にカオスを貫いた。
勝った。この世界は、守られたのだ。それを実感した瞬間、身体からフッと力が抜けた。
「アレス……!」
リーネが、その細い腕で何とか俺を支える。
その姿は、本当に健気で、かつ懸命だった。これまでもそうだったように、きっとこれからも彼女は、そうやって生きていくのだろう。
本当は、そんなリーネの事をこれからもずっと見ていきたいけど――どうやらそれは無理そうだ。
「リーネ……ごめん。君は俺に生きてと言ってくれたけど、その願いは叶えられそうにない。
それに、格好いいところも見せられなかった。はは、本当にいいとこなしだな、俺……」
「そんなこと……そんなこと、ない……っ!
アレスはわたしを庇ってくれた。多くの人を助けてくれた。世界だって救ってみせた……っ!
これ以上ないってくらい、格好いいところを見せてくれたよ。だから……」
死なないで、と。
リーネは涙を流しながら、声にならない声で叫んだ。
「そんな顔をしないでくれ。これは決して、悲しい別れなんかじゃないんだ。
何て言うのかな。俺は、常に後悔と猜疑心の中で生きてきた。
でも今はさ、前世も含めてこれまでで一番、満たされているんだ」
薄れゆく意識を必死に繋ぎ止めながら、俺は最期の言葉を紡ぐ。
「その理由は……君だ。君が俺の死を嘆いて泣いてくれている。ただそれだけで、俺の心はこんなにも満たされているんだ。
価値のある人間になりたかった。努力が報われて欲しかった。自分が生きた意味を残したかった。
俺はずっとそう思ってきたけれど……君のおかげで叶ったんだよ。
俺の人生に意味はあった。それは、君の涙が証明してくれているんだから」
ホーリーブレイヴの物語通りにハッピーエンドを迎え、幸せになるのだと。
そればかりに執着し、俺は迷い続けた。その行為は完全に間違いだらけで、失敗の連続だったけれど。
それでも、俺の事を思ってくれる人が今、目の前にいる。だから、俺はこう断言できる。
「本当に、思い通りにいかない人生だったけど――それでも、本当に、幸せな人生だった」
こうして、俺は最愛の人に看取られながら……最高のハッピーエンドを迎えたのだった。
◇◇◇
「終わったみたいだな……」
自分の魂が消えていくのを感じながら、僕は静かに呟いた。
世界の危機は去り、そして僕という存在も消える。自己の完全消滅が怖くないと言えば嘘になるけど……だけど、それでも後悔はない。
だって、最期にとても美しいものを見る事が出来たのだから。
カオスという強大な敵に立ち向かうため、魔族と人間が貴賤なく手を取り合っていた。
それは、ずっと夢見てきた理想であり、これ以上ないほどの素晴らしい光景だった。
あの瞬間、本当に世界は一つになったのだ。そして、あの一瞬が、これからの歴史を変えていく転機になるのだと、僕は確信していた。
僕自身が消滅するというのに、何故そんな風に断言できるのか。その理由は、明白だ。
だって、後を託せる者がちゃんといるのだから。
レッカとムラジ。互いに魔族と人間でありながら、互いを深く信頼し合っているあの二人なら、必ずや魔界と人界の架け橋になれるはずだ。
だからこそ僕は、安心して逝ける。
「デルタ、ヴァサゴ……。僕は、ちゃんとした魔王であれただろうか……」
虚空に向けて、そう尋ねる。
死後の世界があったとしても、魂すら失った僕は、行くことが出来ないだろう。
ならば、二人の返答を聞く事など出来る筈もない。
だけど、不思議なことに二人の声が聞こえた気がした。それを聞き届け、満足した瞬間――
僕という存在は、消えてなくなった。
◇◇◇
俺の復讐は、これにて完結した。同時に、俺の身体も崩れていく。
今まで、全霊を懸けて命を繋いできたが……やはり、さすがに限界らしい。
まあ、あのカオスを倒せたんだ。ならば、ここで死んでも悔いはない。
「……ジョーカー」
ショコの声がした。
あとはもう死ぬだけの俺に声を掛けてくるなんて、本当に律儀な奴だ。
「ショコ、さっきはありがとな。お前の強化魔術がなけりゃあ、カオスを倒せなかった」
心底から礼を言う。俺が復讐を遂げる事が出来たのも、偏にショコのおかげだ。
「……ううん。あの程度、お礼なんていらない……。結局、あなたを助けることは出来なかったんだから」
「助かったさ。カオスを殺すことだけが、俺の存在意義だからな」
そんな俺の言葉に対して、ショコは泣きそうになりながら、震える声で返答した。
「そんな悲しいこと、言わないで……」
「はは、いつもの無表情はどうしたよ。
俺は所詮異邦人だ。お前が気に掛ける必要なんてこれっぽっちもねえんだよ。
まあ、それでもお前が俺の為に泣いてくれるっていうのなら……」
異世界からの漂流者である俺をここまで悼んでくれる、とても優しい魔族の少女。
彼女に向けて、俺は自らの想いを、そのまま口にした。
「生きて、笑ってくれ。この世界で、幸せに暮らしてくれ。
俺はカオスに故郷を潰された。俺の原動力の半分は怒りだが、もう半分は、これ以上世界が壊されるのを看過できねえって気持ちだ。
だからさ、カオスを倒す事で、この世界が崩壊せず、続いてくれたら……そして、続いた世界の住人が、笑顔で幸せに暮らしてくれたら……これ以上に嬉しい事はない」
その言葉に、ショコは暫し涙ぐみ、そして――
「……うん。わかった……。ジョーカーが救ってくれたこの世界で、わたしは幸せに生きる」
涙を拭いて、にっこりと笑った。
「なんだ……出来るんじゃねえの、笑顔」
その顔を見れただけで、カオスを倒した甲斐があったというもの。
だから俺は、安心して目を瞑った。
◇◇◇
「シフォン、怪我の具合はどう?」
「おかげさまで、大分痛みは引いています。まあ、完治まではもう少しかかりそうですが」
あの事件から数週間経った。それでも、まだ傷跡は多く残っている。
この通り、シフォンの傷はまだ癒えていないし、それに、死者も出た。
ダメージを押してカオスに挑んだ異世界人ジョーカー、燃魂魔術で自らの魂を犠牲にした魔王シュヴァルツ、そして――
「リーネ様こそ、大丈夫ですか? その、アレス様の事――」
当然、わたしを庇って傷を受け、それでも無理して戦ったアレスは、命を落とした。
「うん、わたしは大丈夫だよ。
アレスが死んじゃったのは本当に悲しいけど……でも、アレスは最期までわたしを助けてくれた。
だったら、わたしは悲観してばかりもいられない。アレスの為にも、わたしは強く生きなくちゃ、そう思ったの」
「そんな涙混じりの声で言われると、その、あまり大丈夫なようには見えませんが……でも、その想いはとても尊いものだと思います。
未来があるというのは、生者の特権ですからね。
死んだ彼らの為にも、我々が前を向いて歩かないと」
「うん。実際、人間と魔族の交流は、あの事件以来かなり進んでいるものね。
ムラジっていう人と、レッカっていう魔族が、人間と魔族の軋轢を解消する為にいろいろ働いているみたい。
わたしもこの前、そのムラジっていう人と会ってみたの」
実はその時に、驚くべき事がわかった。アレスがチラッと言っていたのを思い出して訊いてみたところ、彼も転生者だったのである。
しかも、わたしが死ぬ場面を彼は目撃して、その後刺されたのだとか。さらに、どうやらその時、サキちゃんを逃がしてくれたというのだ。
以前カオスが言っていた、「横合いから飛び込んできたとんでもない逸材」というのは彼のことだったのだろう。
本当に、巡り合わせというのは予想外なものである。
「ふむ。どうしてそのムラジという方と会ったのですか?」
「うん。これから、人間と魔族を繋ぐお手伝いをしようかと思って。
アレスがね、すごく責任を感じていたから……だからわたしがアレスのかわりに、その責任を果たそうって、そう思ったの」
アレスのかわりをわたしが出来るとも思わないけど……でも、自分に出来る範囲の事は、したいと思うのだ。
「素晴らしいと思います。でもそんな大役、大丈夫ですか?
ええと、リーネ様は優しすぎるところがありますし……その、少々繊細な部分があるので……ご無理をなさっているのではないかと、ちょっと心配です」
すごくオブラートに包んで言ってくれているが、要するにわたしの豆腐メンタルを心配されている。
うん。それはそうだよね。わたしはただでさえそんなにメンタル強くないうえに、アレスを失った直後だ。そりゃあ大丈夫かと聞きたくなるだろう。
だけど――
「大丈夫だよ。皆が、世界を守るために戦ったんだから、わたしも、誰かの役に立ってみたいの」
いつまでも、弱いわたしではいられない。
人生二周目なのに成長もないとか、流石に格好もつかないしね。ここは前向きに、頑張ってみたいのだ。
「……そうですか。リーネ様が決めたのなら、わたしは応援するのみです。それに、この傷が癒えたら、わたしもお手伝いしますよ」
「うん、ありがとう。その時はよろしくね」
「はい」
そんな会話をしながら、ふと窓から空を見上げた。
とても心地よい、美しい青空。この世界が続いている、何よりの証拠だ。
皆が、そしてアレスが命を懸けて守ったこの世界を――
わたしは、これからも生きていく。
転生演者は混沌の掌で踊る 白き悪 @WeissVice
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