最終話 変わっていくために
「忍びとして、見逃してくれ」
日向の言葉に対する答えは、それだけだった。だから、二人はどうしても止める事が出来なかった。
死ぬことは絶対に正解じゃない。罪を償う。それでいいはずだ。しかし、秘密を守るために死を選ぶのは、忍びとして正しい道でもある。
「焔さんは、この村と、繭さんを守りたいんですね」
「――間違ってるけどな」
日向と多聞は、その場にへたり込んでしまった。こんな結末、どうしろって言うんだよ。そんな気分だ。しかし、日向はすぐに立ち上がる。
「ど、どうした?」
「行きましょう。多聞君も間違っていると思うのならば、止めなければいけません。それに、この結末は毬さんを悲しませるものでしかない。忍びとしてと仰るのならば、忍びならではの方法を使いましょう」
「っていうと」
「この家が静かなのはどうしてだったか、思い出せませんか?」
「――なるほど。身代わりか」
「ええ」
二人はそう決心すると、猛ダッシュで焔を追い掛けたのだった。
一週間後――
「まさか早乙女の総代が犯人だったなんて」
「酒に酔った末にだったらしいわ。まあ、女癖の悪さは、なんとなく気づいていましたけどね」
「でも、お子さん三人だけになっちゃって」
滋賀県大津市の駅前にある斎場にて。村の人たちは口々にそんなことを言っていた。さすがに巌が死んでしまっては村で葬儀をすることは出来ず、急遽市内で行うことになったのだ。
あの後、焔を追い掛けた日向と多聞の説得によって、焔は思い直してくれた。そして、すでに殺してしまっていた巌を犯人と仕立てることにしたのだ。雪は、総てを見抜いて自害していた。杉岡は大怪我で入院中だ。
結果として、早乙女家は三人の兄妹だけになってしまった。それも、二人は罪人だ。毬はそれでも、総てを背負うと覚悟し、村のみんなに頭を下げて総てを告白した。忍びとして、この程度の罪は背負って当然。そう毅然と言い放ったのだ。こうして、事件は収束することとなったのだ。
もちろん、鴨田は巌が犯人だと信じるしかないだろう。ぼろぼろだった死体には暴行の跡なんてなかったのに、いつの間にかあったことになっているカルテを丸っと信じるしかないわけで、やっぱり巌かと嘯くのみだ。
「ずっと葬式ばっかりでごめんね。今度はちゃんともてなすから」
大津まで戻った文人も葬儀に参列していたが、そんな文人に向け、焔が頭を下げた。この人は何か憑き物が落ちたように丸くなっていた。
「いえ。これもいい経験かなって。普通の大学生だったら経験できない出来事の連続でしたから」
ははっと笑い、文人は予定とはずいぶん違ったけど充実した夏休みだったと思っている。それに、歴史を見るというのは達成されたことだし。
「そうか?しかしその」
「ああ。日向のことですね。任せてください。無事に大学に合格したら、シェアハウスするってだけです」
色々と言いたそうな焔に、大丈夫だってと苦笑してしまう。こうやって豪華な精進落としもごちそうになっているしと、目の前の、村とは違う豪勢な食事を前に涎も出る。
「半年後、よろしくお願いします」
そこに日向がやって来て、東京の大学に一発合格しますからと胸を張ってみせる。こちらは雰囲気こそ変わっていないが、やはり前向きになったのを感じた。もう村の鬼としての役割を背負わなくていい。それだけでも大きいのだろう。
「こいつなら大丈夫だぜ。なにを隠そう学年一位。今までどうして進学しないんだってやきもきしていた先生たちも、日向の進学発言に燃えてるしな」
後ろから現れた多聞が、俺の方が心配になってくるよと苦笑する。
「多聞は京都の大学だっけ?」
「そう。第一志望はR大学なんだけどね。どうなるやら。俺の方が浪人しそうで怖いよ」
「ははっ」
今までにないくらい高校生らしい会話だなと、文人は思わず笑ってしまう。
「多聞もそう言いつつ頭はいいのよ」
そこに近所の人への挨拶が済んだ毬と繭がやって来た。繭もどこか子どもらしくなって、可愛い感じになっている。繭の夢は実は漫画家だということを、この間初めて知ることになった。なるほど、忍者とは百八十度違う職業が夢だったのかと驚きつつも納得だった。ついでに幻術が得意なのも、そういうイメージ力が高いかららしい。
一方の毬はより逞しくなった感じだ。葬儀の時も制服ではなく着物を纏い、すっと背筋を伸ばし、すでに村の総代の風格十分になっている。
「毬は?大学は」
「K大志望」
「――頑張れ」
関西の頂点に君臨する大学を狙っていると知り、文人は応援の言葉を口にするしかなかった。いやはや、凄いメンツだ、本当に。
「文人も、あんな事件にめげずに頑張るのよ。まあ、歴史学者は諦めるのね。民俗学に絞りなさい」
「ははっ。そうだな。今回の刺激が大きすぎるからな」
「それと」
そこで毬がじっと文人を見つめてくる。相変わらず美人だなと、文人は見つめ返して顔が赤くなるのを自覚した。
「村にも遊びに来なさいよ。あんたはもう、村の秘密の総てを知ってる。逃げようなんて思わないでね。日向だってお目付役なんだから」
が、ちっともときめかないお言葉を頂戴することになった。まあ、そうだよねえと周囲を見ると、ついに告白かと見守っていたみんなが苦笑している。
「あと」
「はい」
「覚悟があるなら、婿に来ていいから」
「――」
しかし、相変わらずのあけすけなままに、そんな事を言う。文人は卒倒しそうになって、思わず焔を確認してしまった。けれども焔はうんうんと頷いて、とても嬉しそうだった。おい、止めろよシスコン。
「村の秘密も知っちまったしな。ここは俺らの一員になるしかないよな。よ、総代の婿殿」
多聞がすかさずそう茶化してくる。日向はと言うと苦笑するだけで止める気配なしだ。どうやら婿入りは村人たちにとって確定事項になっているらしい。困ったものだ。そりゃあ民俗学に絞るしかない。忍びの嫁がいるのに正当な歴史を追い掛けるなんて、本末転倒もいいところだ。
「みんないるんだから、いいでしょ。日向も、東京の大学に進学しても、いつでも帰ってきてね。その時は、村の正式な一員として」
もうあなたは鬼じゃない。神子じゃない。でも、違った事実は残り続けるし、身体は違うままだ。しかしそれでも、忍びの正式な一員として認められた。それが、日向にとっては大きい。
「解っています。俺が帰るべきはあの村ですから」
「家はうちに変更だけどね。あの家はやっぱり差別の象徴だもの。うちは無駄に大きいし、人数も減ってさらに部屋が余っているから、日向も住んで貰うの」
「それはいいな」
急に決定したのか、珍しく日向がぽかんとしているので、文人はすかさず日向の肩をバシバシ叩く。女装している時は不覚にもヤバいと思ったが、やっぱり肩はがっちりしていて男だなと思う。
「葬儀が終わったら引っ越しね。これで受験勉強もしやすいし」
「そうだな。みんなに言っておこう」
毬の決定を、焔が伝えに行く。焔はあの事件以降、頑張ってみんなと関わるようにしていた。とはいえ、相変わらず仕事は家の中だが、それでも、もう関わらずに済ませようとすることはない。そんな変化を村人たちも歓迎しているようで、無理しないようさりげなくサポートしている。
「ちょっとずつ、変化していくんだな」
「そうね。歴史だって、ちょっとずつ変っていくもの」
文人と毬は笑い合い、固い握手を交わしていた。
こうしてドタバタとした夏休みは終了し、コインロッカーを延滞しまくって回収されていた自転車も何とか鴨田に助けてもらって受け取り、文人は東京へと帰ることになった。ちなみに帰りの新幹線代は詫びだと焔が自腹で出してくれた。おかげで指定席で悠々と東京に戻れることになった。
「でも、すぐに戻ってくるんだろうな」
受験で上京する日向を迎えに来ることになるし、毬たちのことも心配だから、冬休みにはもう一度。遠ざかっていく滋賀県の景色を見つめながら、文人は思わず笑ってしまう。
それまでは、特殊な、それでいて日本の闇の部分を支えた人たちとは、しばらくはお別れだ。
すぐに、また忙しい大学生活が、日常が戻ってくる。そうなると、この夏休みなんて嘘みたいに思えるんだろうな。しばらくは忍びなんて関係ない、普通の生活だ。文人は新幹線に揺られながら、ゆっくりと思い出に浸っていたのだった。
闇の残火―近江に潜む闇― 渋川宙 @sora-sibukawa
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