第4話・君を先生と呼び続けるために
「もう、わかったってば! 調子に乗りすぎました。ごめんなさい!」
無言のまま生徒玄関まで連れていって靴に履き替えさせ、駐車場に停めてあった彼女の車の場所まで連れてきたところで、彼女は頭を下げて謝った。
先生の車は赤い軽自動車で、すぐに見つけられた。俺をいろんなところに連れて行ってくれて、俺と先生を明確に区別するこの車が⋯⋯今は鬱陶しく見えた。
ここに来るまでの間、何度も先生は俺に呼びかけたが、俺は全く応じなかった。俺が先生の前で怒りの感情を見せたのは初めてだったかもしれない。
「そんなに怒らなくてもいいでしょ? ちょっとはしゃいじゃっただけなんだから」
「なんではしゃぐ必要があるんだよ」
俺が怒っているポイントはそこじゃない。そこじゃないから、余計に苛立った。ただ、そこから出た彼女の言葉は少し意外なものだった。
「嬉しかったの」
「は?」
「ユウくんと一緒に、高校生になれた気がしたから」
先生は、寂しそうに笑ってから、目を伏せた。
その表情を見て、怒りの感情が一瞬で引いてしまった。今、そんな風に笑うのはずるい。
「ユウくんは鈍感だから気付かないだろうけど、私は私で、結構気にしてるんだよ? 年上なの」
なんで先生が? 気にしてるのはこっちだ。
俺は車も運転できないし、大学生みたいに頭も良くないし、経済的にも時間的にも余裕がない。『どうして宮崎くんなの?』は俺が一番疑問なのだ。
「高校にはもっと若くて可愛い子もいるだろうし⋯⋯あの子たちに比べたら、私ってもうおばさんだし」
「先生も若いだろ」
「若くないよ。大学生はJKには勝てないの」
「そんなの、勝手に決めんなよ」
「決まってるんだよ、それが」
もしかすると、それは先生が大学生になって、高校生との扱いの差を肌で感じたからそう思うのかもしれない。女性は常に若さと戦い続けなければならないのだろうか。
しかし⋯⋯俺にとっては、そんなの知った事ではない。
「知るか。俺はどんな高校生よりも先生がいいの、先生じゃなきゃ嫌なの。わかれよ、バカ。俺、あんたがいるから毎日あんなに勉強できてんだぞ」
「ユウくん⋯⋯」
「ていうか、そういうの気にしてんの俺の方なのに、何で先生が気にしてんだよ」
「どうしてユウくんが気にするの?」
「なんで先生が俺なんかと付き合ってんのか、わかんないから。俺なんてなんも無いだろ。車も金も、自由も。成績上げる事くらいしか、あんたに認めてもらえる方法が、わかんないんだよ」
無意識に拳に力が入った。
知られたく無い本音。恐くて仕方がない。
あなたには何もない、と言われるのが怖い。
「そっか⋯⋯ユウくんは、そういう風に考えてたんだね」
先生は、握りしめた俺の拳に、そっと手を添えた。優しくて暖かかった。
「つか、あんた自分の立場わかってんのかよ。予備校であんな話広まったら、解雇だろ。俺、そんなの嫌なんだよ。あそこで話せなくなるとか、そんな事じゃなくて⋯⋯先生の経歴に傷をつけるみたいで、嫌なんだよ」
自分で言いながら思った。
じゃあ、どうして付き合ったんだよ、と。
どうして俺はあの時告白したんだよ、と。
そして、どうしてそんな若気の至りみたいな告白を、先生は受け入れちゃったんだよ、と。
理解できない事だらけで、苦しくなった。
(付き合わない方がよかった。いや、もう別れた方がいいのかな⋯⋯)
だって、俺は何も与えてあげられないから。
俺だけがもらうばっかりだから。
きっと、俺に先生と付き合う資格なんてない。
「先生、俺たちもう……」
最後の言葉を言おうとした時、先生の両手が俺の制服の左右の襟を掴んだ。
そのままぐっと下に引っ張られる形で体勢を崩されると――唇に柔らかいものを押し付けられた。
それは、何度も触れ合って重ね合った、とても甘美で優しい、先生の唇。
触れ合っている箇所が暖かくて、何度触れても飽きなくて、優しくて、離れたくないと思ってしまう。麻薬みたいな唇。
さっき言おうとしていた言葉が、途端に崩れ去った。
先生の唇に『そんな事を考えるな』と言われた気がしたのだ。
唇が離されると、先生は泣きそうな顔になっていた。
「バカ、何言おうとしてるの」
「…………」
「絶対に言わせないから」
涙声で、強気に装っているけどとても弱気で。
俺が泣きそうなのに、どうして先生が泣きそうなのか、俺にはわからなくて。でも、そう言ってくれたのが嬉しくて。
「ユウくんさ、勘違いしてるよ」
先生は瞳に膜を張りながらも笑みを作って言った。
「勘違い?」
「うん。私、ユウくんの事、"条件"で好きになったわけじゃないよ」
「じゃあ、なんで俺なんかを!」
「”なんか”なんて言わないで。ユウくんは私にとって特別だから」
「どう、特別なんだよ」
特別だんて、信じられなかった。俺は貰うばかりで何も与えられないから。
しかし、先生の口から出た言葉は、俺が如何に彼女を理解できていなかったかを知らされた。
「一緒にいて満たされるの」
先生は俺の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめてきた。
「一緒にいるだけで、今まで満たされなかったものが全部満たされたの。他に何もいらないって思うくらいに。こんなの初めてなんだよ? これが特別じゃないなら、何が特別なの?」
「先生⋯⋯」
その言葉が何よりも嬉しくて、俺も先生の華奢な体を抱きしめ返した。
彼女から言われて、俺も今自覚できた。先生が俺から感じているであろう特別感は、俺が先生から感じている特別感と同じだったのだ。
俺も、先生といるだけで満たされる。だから、ずっと一緒にいたいと思うのだ。
「最悪、予備校なんて辞めてもいいと思ってた。だって、たかがバイトだし」
「教師になるんだろ。教師志してる人に、バイトでも教える仕事をそんな辞め方してほしくねーよ」
それでは、まるで俺が先生の経歴を傷つけたみたいだ。
たかがバイトだから、職歴には影響しないだろう。でも、先生の
「ユウくんは優しいね。でも、それについてはもう大丈夫だから」
先生がくすっと笑ってから、俺の髪をよしよし、と撫でてきた。
「大丈夫って?」
「全部大丈夫なの」
「だから何が」
「えっとね、驚かないで聞いてほしいんだけど」
先生が背伸びしてきて、耳元で囁きかけてきた。そんな囁き声ですら、ずっと記憶に留めたくなってしまう。ただ、彼女から発せられた言葉は、俺の意識をカメルーンあたりまでふっ飛ばしそうなほど衝撃的だった。
「学校長に、もうバレてる」
「⋯⋯は?」
「だから、予備校の学校長に、私たちが付き合ってるの、バレちゃってました、的な」
「はああああ!?」
俺の絶叫が駐車場に響き渡った。
「どゆこと!?」
「あはは⋯⋯この前のデートの時ね、学校長に目撃されちゃってたみたいで⋯⋯」
「ちょっと待って。じゃあ先生どうなるの? クビ?」
「クビ⋯⋯になるのかなってと思ってたんだけど、ユウくんの成績も上がってるし、見なかった事にするって。でも、あんまり人目に着くとこでデートするなってのと、予備校の中では距離を保ちなさいってのは、結構キツく言われちゃったかな」
「え、それだけ?」
「そう、それだけ。っていうか結構他のアドバイザーもやらかしてるらしくて、私だけにきつい処罰できないってのも理由ではあるみたいだけど」
「そうだったのか⋯⋯」
やはりあのネットの噂、本当だったようだ。先人たちの誤ちで救われたのか、俺たち。いや、ちょっと待てよ?
「じゃあ何で教えてくれなかったんだよ? だったら俺もこんなにヒヤヒヤしたりは⋯⋯」
「迷ったんだけど、言ったらユウくんのプレッシャーになっちゃうかなって」
「プレッシャー?」
少しだけ、彼女の表情が悪戯な笑みに変わる。俺をからかって楽しむ時の顔だ。
「わからない? 私のクビが、ユウ君の成績に懸かってるってこと」
「は?」
「だから、ユウ君が勉強を疎かにして偏差値落としたりしたら、それが私と付き合ってるせいになって、即クビになる可能性があるってことで⋯⋯親御さんにバレたら強制的に別れさせられるってこともあり得るってこと」
目の前が真っ暗になった。ちょっと待って。ハードル上がってませんか? ていうか、むしろ模試一回ごとが俺にとって毎回受験本番並みに重くない?
「ほら! だから、言わない方がいいかなって思ったの。プレッシャーになっちゃったでしょ?」
何も言葉が浮かばない。次の模試はいつだ? 来週じゃなかったか? 来週にそんな試練があるの? きつくない?
しかし、絶望している俺とは対照的に、先生の声は楽しそうだった。
「だから、ユウくん」
先生は、そんなパニック状態の俺を見抜いているのだろう。悪戯げに笑いながら、こう言うのだ。
「ちゃんと勉強してね?」
悪戯げに微笑むその笑顔が大好きで。
こんなやり取りをしていると、歳の差なんてどうでもよくなる。どっちもまだまだ子供みたいで、幼くて。もしかすると、大学生と高校生なんて、大した差じゃないのかもしれない。俺はもちろんまだ子供なのだろうけど、彼女もまだ大人になりきれていなくて。だからこんなことでも笑えて。
きっと、俺たちはこのままでいいのだ。
焦って背伸びしなくても、自分のできることだけをやっていこう。
今は、きっと勉強する事以外に俺が先生を救う方法も、俺との関係を良好に保つ方法もなくて。これから受験が終わるまで、死に物狂いで勉強するしかないのだ。
卒業まで君を先生と呼び続ける為に、頑張るよ。
だから、先生。ちゃんと支えてくれよ。いつか君をちゃんと名前で呼べるようになる為に。そして、 君の笑顔を、ずっと横で見守る為に。
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