エピローグ② 一等客室にて

   □


 グラムに自我があり、尚且つ敵視されたという想定外の事態に勝機がないと判断し、泉から逃げることを選択したニーズヘッグは、断続的に文句を言うガルムを連れて隣町まで来ていた。


「おい! こんな人の多い場所に連れてくるな!」


 ガルムは辺りを見回しながら声を上げた。

 赤煉瓦で造られた背の高い建物が建ち並ぶ石畳の通りには多くの人が行き交っていた。

 町の様子を事前に知っていたニーズヘッグは道中にあった農場に建つ一軒家から大きめの布を盗んで、マントのように体を覆い、失った左腕を隠していた。


「泉に向かう前にここが合流地点だと話したはずだ」


 ニーズヘッグは辟易しながら答えた。


「二人ともお疲れ様」


 建物の間の路地から壮年の男が通りに顔を出した。右目に丸い片眼鏡をかけた白衣の男––––ファフニール・ベイラルスは薄らと笑みを浮かべていた。


   □


 ファフニールは中央へ向かう蒸気機関車の一等客室にある個室を用意していた。

 向かい合わせになった三人掛けの席にファフニールは一人で座る。その正面にニーズヘッグが、彼の隣で窓側の席にガルムが座った。

 ファフニールが自前で用意した赤ワインをグラスに注いだのと同じタイミングで列車は走り出した。

 そしてニーズヘッグは泉での出来事を話し始めた。


「ほう、『グラム』に意思があったとは」


 事の顛末を聞いたファフニールは微かに驚いた様子を見せた。


「それに【ノルニル】による攻撃は俺たち『不確かな者ニア』にも致命傷を与え兼ねない」


 ニーズヘッグが報告する横でガルムは不機嫌そうな顔を車窓に向けて流れ行く景色を眺めていた。


「それで、『グラム』を使用した少年というのは?」


 ファフニールはニーズヘッグがつけるマントから覗く切断された左腕を一瞥してから彼に向き直り訊ねた。


「さあな。ただ『魔術協会』の人間じゃないとは思う。やつらが好んでつける悪趣味なマントや、最近じゃ腕章か、はなかったからな。しかし一般の魔術師とも思えない。やつは『咎魔術師シンナー』だった。それに悪魔が憑依した鳥型の魔獣を連れていた」


「その少年については私の方で調べてみよう。どこかの組織に所属していれば魔獣連れの『咎魔術師シンナー』などすぐに分かる……。それにしても、だ」


 ファフニールは話に一区切りつけるように少しの間を置いた。


「不測の事態が起きたとはいえ『グラム』を入手できなかったことは今後の計画に支障をきたす」


「私は戦おうとしたんだ! でもこいつが逃げた」


 それまで口を閉ざしていたガルムが急に声を上げた。そしてニーズヘッグを睨んだ。


「状況的にニーズヘッグの判断は間違いではない」


 ファフニールの解答に納得がいかないガルムは舌打ちして視線を車窓に戻し、再び黙り込んだ。


「––––『グングニル』」


 神妙な声色でニーズヘッグが呟くと、ファフニールは小さく頷き、情報共有も兼ねて状況を整理した。


「これまでに確認された【ノルニル】は八つ。そして最後に残ったのが『グングニル』。私たちの次の目的はそれの入手だ。『グングニル』さえ手に入れれば『魔術協会』が所有するすべての【ノルニル】を奪える。そのために『グラム』の力が必要だった」


「『グングニル』の所在は分かっているんだったな」


 ニーズヘッグの問いに頷くファフニール。


「ユングリング様は、【ノルニル】の所在は分かってもどんな状態なのかまでは分からない。彼の持つ力は神の力と言えるが、【ノルニル】を世界に隠したのもまたその神。そう上手くはいかないのだ。だから私たちがいる」


 ファフニールは崇拝する『夜の団』団長のユングリング・アルトノックスが、自身の力を必要としてくれていることに誇りを持っていた。ユングがすべての問題を一人で解決できてしまえば、自分たちが存在する価値が無くなるのだから。


「わかってる。少年の所在が分かり次第、俺が『グラム』を奪いに行く」


 そう宣言したニーズヘッグの目に力強さが宿っているのを確認したファフニールは車窓の前方にあるテーブルからワインの入ったグラスを持ち上げ、口に運んだ。


「私たちには悠長にしている時間はない」


 そして厳かな口調で続ける。


「【ラグナロク】の時は迫っているのだからな」






第二章「ノルニル––神の子と女神––」 完


 

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ヘイムスクリングラ 秋良祐(あきらたすく) @task_88

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