怪異譚〜夢魔編〜

華咲薫

「こんばんは、春貴君」


 スマートフォンに向けていた視線を、名指しでの挨拶へと移す。

 逆光を後光に従える彼女は、時刻は午後八時を回ろうかというタイミングにおいても学校指定の制服に身を包んだまま、まるでちょっとした寄り道の如くの気軽さで、俺の前へと現れた。

 けれど今この場所は寄り道ではなく、脇道。

 雑踏、喧騒から隔離された、一高校生が偶然出会うには似つかわしくない裏路地。


「こんな所で会うなんて奇遇だな、有栖川」

「いいえ、必然よ。だってあなたに会いに来たんだもの。というか、いかにも手抜きな吸血鬼編と同じ対応に、わたしは少し物申したいのだけれど。いささいさかいたいのだけれど」

「生憎、俺はお前と口論に興じる理由を持ち合わせていないよ。それに感謝こそされど、非難される覚えはない」


 それはまだ数日前、彼女――有栖川は吸血鬼という『厄』に魅入られ、心も身体も奪われ、文字通り死の淵を彷徨った。

 そんな有栖川を、俺は文字通り殺されることで救い出した。詳しくは思い出さないが吸血鬼編を参照


「あら、春貴君って案外恩着せがましいのね。てっきり『もう友達なんだし、あの話は血で流そうぜ』とか気障ったらしく言われるとばかり思っていたわ」

「吸血鬼じゃ無くなったのに流血を強要するな!」

「心外ね、わたしたちは友達なのよ? あなただけに求めたりはしないわ」

「お前は友人に言われれば血も流せるというのか⁉」

「朝飯前よ。それどころか朝夕忘れず実行するわ」

「薬を服用する感覚で例えるんじゃない!」

「友達なら一心同体よ?」

「それは友人に要求するレベルを遥かに凌駕している!」

「わたしは重い女だって、気づいていなかったの?」


 胸を張り、堂々と宣言する。さすれば、当然豊満なバスト自称Gカップも強調されるわけで。


「……確かに、重そうだな」

「春貴君、友達として忠告するけれど、女は視線に敏感なの。そんな下心丸出しの下品な眼球で視姦して気づかれないと……許されると思わないことね」

「すみませんでしたっ!」


 これ以上なく蔑んだ視線を向けられ、地面に額を擦り付ける勢いで謝罪する。

 それにしても、どれだけ下品だったのだろうか、俺の眼球は。


「まあ、わたしは友達には許すけれど」

「俺が言うのも変な話だけれど、気を許し過ぎじゃないか?」

「もちろん無制限ではないわ。朝夕の二回までならセーフよ」

「お前の朝夕は何をしても許容されるというのかっ⁉」

「概ねセーフよ」

「その概ねには一体何が含まれているんだ……」

「恋愛のABCで言うならば、Bまでね」

「それは友人に許されるレベルを遥かに凌駕している!」


 というか、ただの痴女である。

 何故、有栖川は恥ずかしげもなく、臆することなく、異性である俺にこんな話をしているのだろうか。


「その疑問には友達であっても答えられないわね」

「俺にはお前の判断基準がこれっぽっちもわかんねえよ!」


 我が敬愛の妹たる美衣ちゃんといい、どうしてもわかりにくい女の子と縁があるらしい。いや、むしろ女の子という生き物がわかりにくいのかも知れない。


「それはともかく、有栖川はどうしてこんな場所に?」

「どうしてそんな野暮なことを聞くのかしら。お店どころか街灯すらない、ひとっこひとりしかいない辛気臭い路地に来る理由なんて、一つしかないじゃない」


 有栖川の頬が心なしか紅潮しているように見える。

 上目遣いで、瞳も潤んでいて、まるで……


「あなたをからかうために決まっているじゃない」

「そこまで俺にからかう価値を見出しているというのか⁉」

「……あなたに会うために決まっているじゃない」

「もう手遅れだ有栖川。その台詞はからかう為に会いに来たという意味でしか捉えられない」

「見た目通りひねくれているわね。唯一の友人が信じられないというの?」

「お前の発言をそのまま信用するにはいかないな」


 朝夕、血を流してしまうから。

 朝夕、胸を触られてしまうから。


「それじゃ、証明しましょうか?」

「……どうやって?」

「こうやって、よ」


 挑発するような眼差しを向けたまま、俺の右手を掴み、持ち上げる。

 そうして、抵抗しようとしない俺をゆっくりと自身の胸へと引き寄せ……


「えっちです! えっちなのはいけませんっ!」


 わさわさと動かす指が触れるか否かの瀬戸際で、制止の声が浴びせられた。

 二人して、音の発信源を、路地の入り口を凝視する。

 視線の先には中学生の美衣ちゃんよりも小さい体躯が、俺の幼女センサーによると小学四年生であろう少女が、腰に手を当てて仁王立ちでこちらを見据えている。具体的には繋がれている手を。ワキワキと動いている俺の手を。


「有栖川、お前の知り合いか?」

「いいえ。あなたも見覚えがないというのであれば、迷子か、本来の目的かのどちらかでしょう」


 ――本来の目的。

 俺がこんな人気のないところに一人でいるのは、何も家に居場所が無くて家族が寝静まるまで時間を潰しているとか、そういう込み入った理由ではない。

 単にエサとしての役割を全うしているだけ。

 人外として人に害成す『厄』をおびき寄せ、退治する為である。

 もっぱら戦闘役は妹だけれども。


 ふむ、そう考えると目の前の幼女はどうだろうか。

 明らかな敵意は感じるし、俺の初体験を邪魔したところから、害を与えられたと言っても過言ではない。


「流石に過言だと思うのだけれど」


 有栖川がそう言うのであれば、ひとまずは迷子の線で考えようじゃないか。

 俺は童女の前に移動し、ひざを曲げて目線を合わせる。


「こんばんは、お嬢ちゃん。こんな時間にどうしたの? 迷子かな?」

「話すふりして吐息をかけないで下さい、えっちです!」


 ぷいっ、と顔を背けられてしまう。

 普段であればその仕打ちに言葉を失うが、今の俺は女の子の分かりにくさを承知している。ならば、完璧に対応して見せようじゃないか。

 俺は常備している黒マスクを装着し、再度幼女と対峙する。


「こんな時間にどうしたの? 迷子かな?」

「顔を隠すなんて、何かやましいことがあるんでしょう。へんたいです!」


 悪化した。小学生に変態と罵られて新しい世界の扉をノックした気がしたが、背後からの圧で扉が開くことはなかった。

 しかしこれでは平行線である。おそらくは思春期にありがちな男への苦手意識が顕著に表れているのだろう。


「有栖川、頼めるか」

「……あまり気乗りしないけれど、春貴君の頼みとあれば」


 一応の合意を示してくれた有栖川にポジションを譲る。

 彼女も俺と同じように、屈んで幼女に視線を合わせ……


「こんばんは」

「話しかけないで下さい。ちじょが移ります!」


 この上なく悪化した。有栖川の身体がわなわなと小刻みに震えている。


「お、落ち着けよ有栖川。所詮は小学生のたわ言だ」

「そんなことありません。わたしはハッキリと、鮮明に、生々しい映像として記憶しています! ちじょさんがへんたいさんとえっちなことをしていました!」


 ああ⁉ 有栖川の怒りのボルテージがあがってる!

 後ろ姿だけ見ていると、今にも殴り掛かりそうな振動っぷりだ。

 いくら口の悪い幼女と言えど、幼女だからこそ暴力は不味い。


「ま、待て有栖川。とりあえず落ち着いてだな……」


 と、二人の間に身体を割り込ませた。

 ほぼ距離のなかった、二人の間に。

 その瞬間……


「……え?」


 強烈な虚脱感と共に、俺は意識を失った。

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