私が居た街 2-3

ここのケーキにはいつも助けられた。

一人暮らしを始めた時、ちょっと何かあるとケーキを買っていた。

テストの後、友達と喧嘩したあと、嫌な事があった時、彼と別れたあと、

クリスマス女子会、誰かのお誕生日、いつもここのケーキだった。


何回目か忘れたけど、いつものように買いに行って、

どれにしようか迷っていたら、店長さんに


「ねぇ、幸せ、逃げちゃうよ?」


と、突然真顔で言われた。

なんのことかわからず、ショーケースから顔をあげて一瞬ポカンとしていると


「今、かなり大きなため息ついたの、自分で気づかなかった?」


と、一瞬で笑顔になって、今度は笑われた。


「あ、ため息ついてました?すいません!なんか、疲れてたのかな?

やだな、自分じゃ気づかなかった!」


慌ててぼんやりモードの頭を切り替える。そんなため息ついてたかな私。


「ため息貯金とかしてみたら?1回につき、1000円とかいいんじゃないかな」

「なんか、私、すぐ貯まっちゃいそうです」


思わず二人で笑った。その後


「そんな、お疲れの方には、こちらのケーキがおすすめですよ。黒イチジクのタルト」

「無花果?」

「そう。この無花果は、特別なんですよ。たぶん、今まで食べたことない味だと思うよ」

「そうなんですか?」

「今月、10月のおすすめ」


そこにあったのは、タルト。

上にカットされた無花果がきれいに7つ並んでいる。

皮が黒っぽい。皮の内側は、まるでブラッドオレンジのようなつぶが見える。

でもつぶつぶの色はオレンジよりも、もっと濃いピンクのような赤のような。


「この無花果はね、僕の育った地元で作ってるんですよ。」

「これ、生ですよね?生の無花果、食べたことないですよ。ドライフルーツでしか……」

「本当ですか?美味しいのに。もったいない」

「じゃあ、そのタルトください」

「きっと、びっくりしますよ。他の無花果食べられなくなるかもしれません」


そこまで言われると、食べてみたい。

迷わず、その無花果のタルトを選んだ。


挨拶もそこそこに、店を出た。急いで帰る。

でも、ケーキの箱は大事に抱えて。


家に着いて部屋に入ると急いでお湯を沸かして紅茶を入れた。

ワクワクしながら箱をあけて、タルトを取り出す。


「キレイ……」


思わず、言葉が出る。きれいに並んだ無花果。

ツヤツヤだ。

その奥にはカスタードクリームが見える。

フォークで無花果を一つとる。

無花果の香り。甘い香り。桃のような、

南国のフルーツのような、バニラのような、

でも、決してきつくない。そのまま口に入れてみる。


(おいしいっ!)


甘い。

みずみずしさと、その甘さが口いっぱいに広がる。

噛むほどに甘さが広がりプチプチとする食感がある。

飲み込むと、すっと甘さがキレていく。

はじめて食べた生の無花果。こんなにおいしいんだね。

すっかり虜になっていた。


それから、しばらくは

「無花果のケーキ」にはまった。

夏の終わりから秋、冬にかけてが無花果の旬らしい。

今まであまり気にしていなかったが、

世の中には「無花果のケーキ」や「無花果のタルト」が沢山あった。

大きなお店で無花果のタルトを見つけた時、色々と食べてみたが、何かが違う。


確かに甘くて、いい香りがするのだが、何かが違った。

それが「何なのか」はわからない。でも、感動が薄い。

あのお店の、あのタルトがやっぱり一番おいしく感じた。


それから毎年、秋になると、無花果のタルトを食べるようになった。

でも、あの味以上のケーキに出会う事は無かった。

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TOWN ~君の住む町~ mao-mao3 @ma0rin

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