僕は彼女の……

リーズン

第1話

 

 ごめんなさい……。


 ピチャッ、クチャッ、ピチャッ、薄れ行く意識の中、室内に鳴り響く水音を何処か遠くに聞きながら、僕は彼女と初めて会った時の事を思い出す。


 ・・・・・・・・・


 ・・・・・


 ・・・


 ・



 僕の名前は有田 健吾 15歳。

 勉強も運動もそこそこ、顔だって悪くは無いが格好いい分けでも無い。いたって何処にでも居る様な何の変哲も無い人間だ。


 やりたい事、ましてや夢が在る訳でも無い。

 日々ただ過ぎて行く日常に何か刺激的な事が起きないかなぁ~、何て考えているつまらない奴。


 だけど……そんな僕でもこんな田舎には来たくなかった。


 僕の親は離婚した。


 前から仕事ばかりで家庭を顧みなかった父に母の心は限界を迎え母は浮気した。


 不仲だった両親は母の浮気を機に別れたのだった。


 まあ、当然の結果だとは思う。


 息子である自分でさえこの家庭は続かないと思った位だ。

 この結果は不思議でも何でも無いただの予定調和の出来事だった。


 浮気した母は離婚届けに判を押すと、次の朝には少しの荷物を持って逃げる様にもう居なくなっていた。

 自分がかつて愛した旦那にも、自分がお腹を痛めて産んだ息子にすら一言も無く……だ。


 しかし話しはここで終わってはくれなかった。


 僕を引き取った父は、母が出て行った次の日には別の女を連れて来た。

 そう、仕事ばかりしていると思って居た父もまた、母が浮気するよりも前から浮気していたのだ。


 当然新しい生活を始める父にとって僕は邪魔者以外の何者でも無く、僕は祖母の元に追い出される。もとい預けられる事になった。

 初めは会った事も無い孫を預かる事などしたく無かったのだろう祖母も、父の再三の願いに、より少し前突然僕を引き取る事を了承してくれた。


 言いたくはないがきっと父が金の工面をする方向で話でも付けたのだろう。


「離婚も浮気も何をしたって良いけど僕にまで迷惑を掛けないで欲しいなぁ」


 祖母の暮らす土地は田舎どころか村としか言い様の無い廃村寸前の場所だった。

 バスは日に四本、コンビニは無く、駅も無い。在るのは田んぼと畑ばかり、今まで東京に暮らしていた子供には何の苦行だろう? と、言いたくなる様な環境だった。


「オマケに場所によっては電波も届かないとか……」


 ここ日本? それが素直な僕の感想だ。


 そんな村は過疎化の影響で子供が少ないこの村の学校は取り壊され、僕は毎朝早起きしてバスに乗り込むと、近くの町の学校までわざわざバスを使ってまで通わなければいけない。


「せめてもう少し近ければなぁ」


 祖母の家は村の中でも奥の方でバス停からも遠いい。前に父に聞いた話しでは、祖母はこの辺りの地主らしくこの辺りは祖母の土地らしい。


 何でも祖母はこの土地の巫女の様な物をやって居たらしく。村に何か不幸が在る度に村を救って崇められる様な立場だったらしい。

 僕がここに越してくる少し前にも、雨の影響で起きそうだった土砂崩れからこの村の危機を救ったのだ。と、家に礼をしに来る村人の老人等が話しているのを聞いた。


 だからからか祖母はあまり家には居無い人で、早くに祖父を無くした父はあまり祖父母との家族としての思い出は無いと言っていた。


 金持ち。


 そんな状況だけ聞けばこの言葉が浮かぶが、実状としてはただ所有しているだけ。しかも、いざ相続するとなると何にしても莫大な金が掛かる事から、父としては不要な物だと常々僕に愚痴を言っていた。


 そんないくつかの事から父は祖母と疎遠になっていた。にもかかわらず祖母は僕の事を受け入れてくれた。それに感謝している身としてはこうして一人の時に文句を吐き出すしか無かった。


 そんな訳で僕は少しの不満を抱えてトボトボと畑の中を帰るのだった。


「ふぅ、着いた。ただいま~。って、あっ!」


 僕は思わず出てしまった帰宅の言葉に少しばかりしまった……と、思ってしまう。


 それと言うのも祖母はここの所具合が悪く寝たきりの為、出来る限り静にしようと思っていたからだ。


「お帰りなさい」

「えっ?」


 帰って来ないと思って居た返事に思わず間抜けな声を上げながら声がした方を見る。

 するとそこには僕よりも少し年上に見える黒いセーラー服を着た女の子が居た。腰の辺りまで伸びた艶やかな黒髪。切れ長の目、透き通る様な白い肌、それは今までテレビの中でさえ見た事が無い綺麗な人だった。


「……だ、誰?」

「あぁ、ごめんなさい。私は貴方のお婆様の友人で鏡 鏡子と言いうの鏡子で良いわ」

「友人? ばあちゃんの?」

「ふふ、確かに不思議ですよね? でも私、本当に貴方のお婆様とはお友達なのよ?」

「は、はぁ? それで、どういった用件で? 祖母は今具合が悪くて……」

「ええ、知っているわ。だから今の内に会っておきたいって春子に呼ばれたのよ」

「えっ? 祖母にですか?」

「ええ、そうよ。ああそうだ、春子が貴方の事を呼んでいたの。来てくれるかしら?」

「えっ? はぁ、分かりました」


 僕は鏡子と名乗った女の人の後を追い祖母の元へ行く。


「春子呼んで来たわよ」

「ありがとうございます鏡子さん。健吾突然で驚いたでしょ? 彼女は……私の友人なの」


 一瞬言い淀んだ様に思ったが、その後の友人と言う言葉に本当だったんだ。と、僕はその事をあまり深く気にしなかった。


「それでね……彼女は少し特殊な事情で、貴方と同じ様に住む場所が無くなって仕舞ったの。だから、悪いのだけど今日から彼女もこの家で暮らす事になりました」

「そう言う訳でヨロシクね。健吾君」

「まあ、僕も居候だから文句は無いよ」

「そう……ですか。それじゃあ……彼女の事を宜しくね健吾」


 いつもハキハキと喋る祖母にしては歯切れが悪い。そうは思うが、きっと具合が悪い中、無理をしているのだろうと思い、僕は祖母から彼女に視線を向け話し掛ける。


「はい。えっと、鏡さん? でいいのかな」

「鏡子で良いわ」

「じゃあ、鏡子さん」

「呼び捨てでも良いのに?」

「それはちょっと……」

「ふふ、まあ良いわ。これからタップリと時間も在るしね? う~ん。健吾君って良い匂いがするわね?」


 そう言って鏡子さんは僕に抱き付いて来る。


 正直、彼女さえ出来た事が無い僕には刺激が強く固まってしまう。


「えっ、あ、あの、えっと、そんな事無いですよ」

「ううん。良い匂いよ。本当に……とっても素敵」

「鏡子さん」

「あら、怒られちゃったわ。残念」


 祖母の助け船にホッとする僕。


 離れてくれて嬉しい様な残念な様な。


「健吾。彼女の部屋はあの空き部屋で良いわ。布団を運んで置いてくれる」

「あっ、うん」


 祖母に言われて部屋を出ようとした時「健吾」と、後ろから祖母に呼び止められる。


「どうしたの?」

「……その、ごめんなさいね。健吾」

「ううん。気にしないで大丈夫だよ」


 その時の祖母は何時に無く弱々しく感じ努めて笑顔で答えておく。




 それからの日々は今までの退屈な日常とはまるで違った。



 鏡子さんは最初の少し冷たい雰囲気とは違い、いつも明るく、しかもなぜか僕にいつも抱き付いて来た。

 何時も抱き付いて来るので何でなのか──と、聞いてみたら彼女は何時も「だって、健吾君良い匂いがするんだもの」何て言っては、僕の質問をはぐらかして抱き付いて来た。


 そんな彼女との生活はとても楽しく、何時もと同じ日々に退屈を感じていた僕は毎日がとても充実していた。


 三ヶ月が過ぎた頃、思ってもみない事が起きた。


 なんと鏡子さんの方から僕に告白をして来たのだ。


 流石に鏡子さんの冗談だろうと思った。彼女の様な人が自分の様な冴えない人間を好きに成る筈が無いと。でも口を付いて出た僕の言葉に彼女は少しムッとして、いきなりキスをして来たのだ。


「これでもまだ信じられない?」


 僕が何かを言う前にそのまま何度も何度も浴びせる様にキスをして、その気持ち良さに僕の中には疑う気持ちがすっかり無くなっていたのだから、我ながら単純だと思う。


 楽しかった。今までの生活が人生が全て嘘なのではと、思う位に僕の人生は幸せの絶頂だった。


 でも……それから更に半年後、祖母の具合がまた悪くなり、そのまま僕や鏡子、医者の目の前でポックリと逝ってしまった。何故か祖母は最後まで僕に謝っていたのが不思議でならなかった。


 その後医者が帰り夜も遅い事から、その日は何もせず次の日に葬式等の色々な準備をする事になった。


 正直体が重かった。


 初めて見た人の死は僕の心に重くのし掛かり凄く疲れた僕は泥の様に眠った。


 ・・・・・・・


 ・・・・・


 ・・・


 ・


 ふと、人の気配を感じ目を開ける。するとそこには、僕に股がる様な体勢になっている鏡子が居た。


「…………」


 何をしてるの? そう聞こうとした僕は声が出ない事に気が付く。


「ふふ、こんばんは健吾君……」

「…………」


 その時僕は気が付いた。


 いや……気が付いて仕舞った。


 彼女の口元が赤く濡れ、何かを口の中で咀嚼している事に……。


「……! ……?!」

「あら? 駄目よ? 夜は静かにしなくっちゃ。それに、痛くは無いでしょ? 大切な彼氏に苦しい思いは私もさせたく無い物」


 訳が分からなかった。彼女の言っている事も、彼女が僕の事・・・を食べている事も。


「ふふ、はぁ、美味しい。あんっ、暴れちゃダ~メ。健吾君の中身取っても美味しい。それにやっぱり凄く良い匂い♪」


 痛みは無い。


 だけど目の前で自分自身が食べられているという、根源的恐怖が知らず僕の頬を濡らしていく。


「ふふ、分からないよね? そうだよね。でもねこれは決まって居た事なのよ? 貴方がここに来た時からね?」


 僕の事を食べながら、一人恍惚の表情を浮かべ語る鏡子。

 突然の出来事に今まで気が付かなかったが、その背には鳥の羽根の様な黒い翼が暗闇の中でもなお黒く何時の間にか生えていた。


「気が付いた? ふふ、皆知らないけれどこの世界には人間以外の様々な生き物が居るの。私はその内の一人。春子は昔この村を救う為に私と契約したの。その契約は村を救う度に誰かを差し出し私に捧げる事と、自分が死んだ時にその亡骸を私に食べられる事よ」


 それを聞いた瞬間僕は全てを悟った。祖母が僕を引き取った訳、最後の瞬間まで僕に謝り続けた訳その全てを……。


「ええ、貴方が考えた通りよ。私はこの村を三度救った。最初は春子が死ぬ時に自分を食べて良いと言う契約。二度目は自分の大切な旦那を差し出したわ。そして、最後は健吾君よ」


 そう言って嗤う彼女の顔は恍惚としている。


「春子も人間にしては頑張って居たわ。最初に私の力で危機を救って以来、村人はすぐに春子を頼るのだもの。でもどうしてもダメだった。だから旦那を私に捧げ、そしてこの間も……」


 超上の力。


 その力の恩恵を一度でも受ければ人間なんて簡単にそれに頼りたくなるだろう。

 実際僕もそうだし、この村の村人もそうだった。

 だから祖母はずっと家にも帰らずにこの村を守ってきたのだろう。

 危機が起きないように、もし起きたとしても人の力で解決出来るように……でもダメだった。


 だから僕が選ばれた。


「ずっと我慢していたのよ? だって貴方凄く良い美味しそうな良い匂い何だもの。途中からは我慢出来なかったから男女の仲になって味見しちゃったけどね?」


 涙が溢れる。恐怖が体を満たす。


「ふふ、愛してるわ健吾君。とても楽しかった。充実してた。でもね? 恋人同士よりよっぽど愛し合ってるでしょ。普通では体験出来ないものなのよ? だって貴女は私に食べられて私の血肉になるんだもの。男女の仲で言う一つになるとは違う。これって究極の愛だと思わない?」


 ──彼女は嗤う。


 ──嗤いながら僕へと問うて来る。


 ──だが、僕にはそれに答える力が無い。


 ──恐怖に叫ぶ力も、抗う力も出す事が出来ない。出来ているのはその意思が涙と共に溢れ出す事だけだ。


 しかし、それも次第に意識と共に薄れていく。


「さようなら健吾君」


 その言葉を最後に僕の意識は沈んで行く。


  そう、彼女にとって僕は恋人なんて物じゃ無かった。


  僕は彼女の……食べ物だった。


  もう何も見えないし聞こえない。


 ただ、全てが消えるその一瞬、祖母の声が聞こえた気がした。


 そしてその言葉が最初から答えだったのだと……。


 ごめんなさい……。

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