魔法月人テンキュウちゃん! ~Cosmic Visitor~

青沢浅馬

プロローグ:月からの来訪者

 テンキュウが夢から覚めたとき、周りには誰もいなかった。

 いつもなら母や従者がそばにいてくれるのだが、今はまったく人の気配がない。

「……お母様、お母様? いらっしゃらないのですか!? カザネ……」

 テンキュウの住む屋敷と敷地は、大貴族たちのそれと比べると狭く、質素なものだった。が、それでも数人の手伝いや護衛を就かせるだけの規模は保たれている。

 屋敷では常にテンキュウの話し相手になってくれる人がいて、母が地上の焼き菓子を作ってはテンキュウたちにふるまってくれていて、楽しい生活を送っている。

「おかしいわね……」

 ただならぬ空気を感じ取ったテンキュウは、急いで脱ぎ散らかしてしまった服に身体を通し、足を忍ばせながら廊下に出た。

「お母様……カザネ……」

 信頼している母と従者の名前を吐息のように呼びつつ回廊から庭へと足を進めていくと、ようやく物音が聞こえてきた。

 それが金属がぶつかり合う音だと察したとき、テンキュウは途端に走り出した。


「お母様!!」


「ッ……テンキュウ!? 来てはダメ!」

 外は夜時間で真っ暗だったが、庭には数本の電灯が点いている。そのおかげで複数人が庭で入れ代わり立ち代わり戦闘を行っていることがわかる。

 母は使い慣れていない護身棒を携え、黒くうごめく人型の影と対峙していた。影は仄暗いオーラを立ち昇らせており、全体の姿がはっきりとしていない。ただ顔の目にあたる部分だけが怪しい光をたたえている。

 影はテンキュウの姿を認めると、全身を震わせながら向き直った。赤い眼光がテンキュウに絡みつく。影は手からツメを伸ばし脚に力を充実させた。

(私がお母様を守らなきゃ!)

 テンキュウは母を守るため庭に飛び出した。

「テンキュウ様、ダメだ!!」 

 影がテンキュウに襲い掛かる瞬間、緑色の風が彼女の前に立ち塞がった。

「カザネ!」

 ふわりとスカートを舞い踊らせて、カザネは影を蹴り倒した。影は蹴りの威力で吹っ飛ばされると、崩れるように地面に溶けていった。

「お屋形様! テンキュウ様を連れて早く屋敷の中に!」

 カザネは二人を引き寄せると回廊の方に突き放した。

 溶けていったはずの影が再び地面から生えてきた。それも庭を囲むようにして何体も……。

「絶対にここから先へは行かせない!!!」

カザネはポケットからリモコンを取り出して操作した。

 すると、屋敷全体がシャッターで閉じられ、地中に潜っていく。

 カザネは満足そうに口を吊り上げると、手と足鳴らし構えを整える。

「お二人が逃げ延びるまで私が相手だ……!」



「テンキュウ、急ぎましょう!!」

 母は屋敷の奥までテンキュウの手を引いていく。

「はあ、はあ、お母様……カザネが……みんなは?」

「他の方たちはすぐに逃がしました。カザネは大丈夫です!」

「私、私、夢を見ました……」

「ついにお告げが下りましたか。その兆候があったので、あなたを動かすわけにはいかなかったのです。ちょうどその時に彼らが……」

 苦渋の表情を浮かばせながら母は寝室へとテンキュウを連れ込んだ。

「お母様、ついにわかりました。私たちの運命の人の」場所が!」

「よかった……。さあ、早くこれに着替えてください」


 そう言うと母は、服が入っている棚から、テンキュウ用に仕立てた戦闘服と、上下一式の下着を取り出し、手渡した。

「お、お母様、服は助かるのですが、その下着は……?」

 母から渡された下着は、日ごろ着用しているものではなく、もはやほとんど透明なのではないかと疑ってしまうほど薄く、透き通っていた。

「お母様、さすがにこんなに際どい下着は、恥ずかしいですよ……」

「迷わずそれを着てください。その下着があなたを守ってくれます」

「し、下着がですか!? それは一体どういう理屈で……」

 「その下着の生地は、昔わたくしが地上に降り立った時に使用した羽衣で仕立て上げたものです。それがあなたを邪悪から守る切り札となってくれるでしょう」

「これが、あの家宝『天上の羽衣』なんですか!?」

 テンキュウは耳と目を疑いながら、綿毛のように軽いパンツとブラを見比べた。

 天上の羽衣は昔、母が子供だったときに地上へ持ち出し、その威光を轟かせたという。

 確かに肌触りは極上、見た目上パンツはお尻全体まで包み、ブラは最近成長を加速させてきた彼女のバストを支えてくれそうだった。

 身に着けるとテンキュウは居心地悪そうに身じろぎした。

「あの……その、見えてはいませんか?」

「大丈夫、スケスケですけど大事なところは絶妙に見えてません!」

「す、すけすけ、ぜつみょう……」

 キュッとお尻が引き締まる思いがした。

 

そのとき、ズシンと天井の向こうから破壊音が響いた。

「時間がありませんここから逃げなさい!」

 そういうと母はリモコン操作でベッドをたたみ、そこの床から脱出口を開いた。そこは地下に格納された屋敷のさらにずっと地下へ道が伸びている。

「お母様も一緒に!」

「私はここに残ります。あとは任せました。これからは寝ている間に服を全部脱いでしまう癖はなくすのですよ」

「そ、それは善処します…………キャッ!」

 


「逃がしはしませんぞ……」

 轟音とともに部屋のドアが破られると、山を全身にをまとったかのような大男が姿を現した。髪の毛は赤く逆立ち、顔の彫りは山脈のように深い。白を基調とした機能的な軍服を破らんばかりに筋肉が隆起している。

「ヴワル上級大将、なぜあなたが……っ」 

「部下がいつまでたっても戻らないので、陛下がご心配されています」

「言ったでしょう。あなたたちに娘とこの国は渡さない」

「没落貴族が叫んだところで帝国の覇道は止まりはしませんぞ。素直にお嬢様をお渡しください」

「テンキュウ、行きなさい! 定められた使命を果たしなさい!!」

「お母様!」

 母はテンキュウを脱出口に押しやった。脱出口はすぐに閉じられた。

「カグヤお母様!!!」


 テンキュウはさらに叫んだが既に声は届かなった。地下へ続く道は自動でテンキュウを地下深、深くへと導いていく。

 ついに道の行き止まり、最奥へたどり着くと、床一面が透明な床が広がっていた。

 テンキュウは目を閉じ、胸に手を当て一回深呼吸をした。

  パッと目を開くと足元の感覚が失われた。

 テンキュウの身体は真空の宇宙空間に飛び出していた。

 後ろを振り返ると、日の当たるところは白く照り返し、影の部分は闇の広がる月面の景色が広がっている。

 真空でも活動できる理由をテンキュウは理解していた。

(さすがお母様の羽衣ね……)

 苦笑しながら胸のあたりをさする。

 真っ暗で広大な宇宙をテンキュウはしばし遊泳する。遠くに見えてくるのは青く光る美しい惑星、地球。

 自分の目指すべき道は、はっきり見えている。



「お母様、みんな、待っていてください。私が必ず勇者様を見つけ出し、この社会を、月を帝国から取り戻して見せます!」


 テンキュウは一条の光となって青い星へと吸い込まれていった――

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