エピローグ
○
私たち、勝ったんだよ。みんなが一緒に戦ってくれたから。
人形の国の呪いは解けた。時間はかかるかも知れないけど、ぜんぶ元に戻るよ。
私は、信じてる。
目覚め間際の朦朧とした意識のなか、私はそう言ったのだという。
気がつくと私は、病院のベッドに寝かされていた。ぼんやりとした視界の向こうに、鮮やかな深紅の髪が見える。ようやっと焦点を結んだ、緋色の貌。
「今度こそ本当に、ただいま」
緋色は私の掌を固く握り、彼女らしくない泪を落とした――。
私と黒羽雛菊は、人形店Glass Wildernessで倒れているところを、同時に「発見」された。雛菊は重度の薬物中毒による昏倒と見做され、専門治療の可能な大病院へと搬送された。一方でただ意識を失っているだけだった私は、お馴染みの宵宮市立病院にいる、というわけだ。
「彰仁が来るって。なんだか別のお客さんも一緒みたい」
そう緋色に告げられ、せめてまともな服装を――などと騒いでいるうちに、彼がやって来てしまった。
「直視はしない感じで。病人ではないけどビジュアルに問題が」
佳音と同じことを言うと、緋色がくすくすと笑った。彰仁くんには気を使わせてしまい、ちょっと申し訳なく思うほどだった。
ふたりの「お客さん」が、カーテンの内側に入ってきた。まるで線対称のようにそっくりな外見をした、透明で、美しい――。
「初めまして、なのかな」
私が言うと、片方が小さく笑って、
「そういうことでいいんじゃない? 私が鷹取紅莉栖。こっちが槙奈。いちおう違う存在だって認識してくれたら嬉しいかな」
紅莉栖さん。槙奈さん。ひとりずつ貌を見ながら、私は名を呼んだ。ふたりは順番に、薄く頬を赤らめた。
「ところで佐久間くん」と槙奈さんが彼のほうを向いて言った。「私たち、エクリプスを再始動しようと思っているの。そのためにはあなたの力が不可欠」
「えっと、お誘いは嬉しいんだけど、実は俺、いま――」
彰仁くんは発言の許可を求めるかのように、緋色に視線を送った。緋色が立ち上がり、鷹取姉妹と彰仁くんのあいだに長身を辷り込ませて、
「悪いけど、いまの彰仁は私たちルビー・チューズデイの正式ベーシストなの。超多忙だから諦めて」
彼、デラメアというバンドも掛け持ちしているのではなかったっけ、と思ったが、私はあえて指摘しなかった。
紅莉栖さんが緋色と睨み合う。槙奈さんがするりと彰仁くんの手を握って、
「お願い、佐久間くん。戻ってきて」
「ふざ……」
頬を紅潮させて大声を上げかけた緋色が、ここが病室だと思い出してか直前で口を噤んだ。
ぱたぱた、とスリッパの音がして、未散さんが病室に入って来た。それだけで、ぱっと部屋の雰囲気が華やいだ感じがするから、凄い人だ。
「伊月ちゃん、シャドウェルね、ちょっと修理しておいたよ。見てくれる?」
彼女が鞄を開け、ぬいぐるみを取り出した。手渡されたシャドウェルはふかふかに綿が詰まって、衣装も綺麗に繕われ、ボタンは高級そうなものに変えられていた。滑稽な貌はそのままだが、心なしか、表情が凛々しく見える。
「それとね、もうひとつ新作が完成したんだ。これはお見舞いってことで、伊月ちゃんにあげるね」
彼女が取り出した人形を一目見て、私は息を詰めた。
白い貌を縁どる、ウェーブした髪。黒いラインが引かれた眼と、同じく黒い唇。漆黒のドレスのような服に、胸元には銀の十字架が輝いている――。
「ポーリー」
「シャドウェルの相棒、なんだよね? 話聞いただけで作ったから自信ないけど、こんな感じで合ってるかなあ?」
私は何度も、何度も頷いた。そしてふたりの人形を、強く抱きしめた。
ありがとう。
またしてもスリッパのぱたぱた音。心なしか、未散さんのときよりうるさい。部屋に跳ねるようにしてやってきた少女の名を、私は呼んだ。
「――佳音」
瀬那佳音がそこに立っていた。自分の脚で。
「伊月」
彼女は叫ぶように発して、私のベッドに飛び込んできた。慌てる私の首に両腕を廻して、頬擦りしてくる。
ひととおり騒ぎが収まると、佳音はベッドの端で足をぶらつかせて、
「もし大丈夫だったら、ちょっと付き合って。歩くの久しぶりだから、一緒に散歩したくってさ」
私は頷き、ベッドを出た。彼女と並んで廊下を少し歩き、談話室へ向かう。
ふたりで窓の外を覗いた。丸く、大きな月がよく見えた。雲ひとつない、深い夜空。蒼く澄んだ、美しい月。
「私ね、入院してるあいだに何回も夢を見たんだ。伊月と一緒に、不思議な人形の国に行ったの。人形展がめちゃくちゃ印象に残ってたせいかなって最初は思ったんだけど、夢が進むうちに違うって判った。あれは魔法だったんだって、いまは思う」
佳音は窓に近づいて、
「夢の私は、すごく莫迦なことしちゃった。緋色も未散ちゃんも彰仁くんもマスターもキャロルも、あと鋏持った女の子とか、サーカスのピエロみたいなのとか、でっかい蛇とかが出てきて、伊月と一緒に戦って、私を助けてくれた。そういう夢」
彼女はくるりと私を振り返った。
「魔法、伊月にも利いてた?」
「うん、利いてたよ。私も同じ夢を見てたから」
「やっぱり。怖いこともたくさんあったけど、私は楽しかったな。本当にまったく同じ夢だったのか、答え合わせしようよ」
そう、答え合わせだ。
善き月のしるしには、決して忘れてはならないことを思い出させてくれる力があると、マスターは言っていた。だからこの石がある限り、私は人形の国のことを、忘れはしないだろう。
でも、誰もが判っているとおり、忘れないことと、形にすることは、まったく違う話だ。
音楽を奏でることも、人形を作ることも、絵を描くことも、歌をうたうことも私には出来ないけれど、たったひとつ、自分に成し遂げられることを、私は知っていた。
夢――違う世界からのおみやげ、そして別世界への追慕となるこの物語を、だから私は語る。そこにはきっと、私と共に戦ってくれた、私を信じてくれたみんなの物語もまた、生きているはずだ。
私たちの物語を信じてくれる人がいる限り、決して誰も、消えることはない。この世界も、人形の国も、きっとそうして廻っているのだから。
だから、また会えるよ。ね?
デイジー・チェインソーの人形たち 下村アンダーソン @simonmoulin
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