第15話 被災地旅行記その1

里山と闇のはざまに朝の薄さがのぼってくるころ、久慈は月齢18.5の光に見おろされていました。思いつきがここまで来ました。


能代にラーメンを食べに行ってた頃までは普段の思考だったのです。中学生のころにはじめて食べた十八番。なんとなく鍋の締めを思わせるスープには極上のチャーシューとレモンの香りが載り、味噌だけのつもりが醤油まで平らげることになってしまいました。その後、セキトで志んこもちを喰らったあたりから、このままなにかの手のなかにいるのはイヤだと思いはじめました。

「行こう」

瞬間がそう思わせたとき、田中泰延さんの旅がよぎり、被災地を巡ることに決めたのです。わたしはまだ久慈を歩いたことがなかったので。


逃げるように東へ。鹿角市大湯はストーンサークルで有名ですが、温泉地でもあります。花海館でナトリウム塩化物泉につかり、飲泉し、経営者の老夫婦と歓談しました。やはりコロナがぎゅうぎゅうに首をしめているようです。


ストーンサークルのとなりを走り抜け、JR花輪線と寄り添いながら盛岡へ。Hot JaJaというどこかのブラウザみたいな名前のお店でじゃじゃ麺をいただきました。麺に肉味噌をからめてぐちゃぐちゃにかき混ぜてたべる乱暴な食べ物ですが、これがうまい。食後に玉子を割り加えてチータンタンというスープにして飲みます。


母に盛岡にいると連絡をしたところ説教されました。大の男がどこでなにをしようが構わないと思うのですが、母はいつも口うるさくわたしを縛り付けようとします。取り合わないでいたら、ひとしきり怒鳴られたあと一方的に電話を切られました。そこで、ようやくわたしはなにから逃げようとしたのかわかったような気がしました。わたしは大人になりたいのです。


久慈まではほぼ一時間半でしたが、眠気がきたので車を停めて眠りました。外気は28.4℉。放射冷却がわたしをぶるぶる震わせて起こしました。


いま、ミニストップの駐車場で車の暖房に感謝しつつこの文章を書いています。6:15。イナズマンの子門真人を聞きながらこれからなにをしようか考えています。


とりあえず二度寝することにしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駄文集「忙中備忘記」 そせじ番長 @jnakata2014

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ