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 いらっしゃいませ、すら言えなかった。―――次々入ってきた彼らを見て、私は激しい吐き気を催した。


 顔を手で覆い、カウンターの内側に突っ伏した。その姿を直視したことさえ、後悔せずにはおれなかった。入ってきたのは、それほど奇怪で、珍妙で、気味の悪い、化け物としかいえない存在だった。


 最初に入ってきたのは、目の大きい男だった。尋常な大きさではない。釘ほどの太さ長さのあるまつげに囲まれた、りんごのごとき巨大な目玉をかっと見開いて、ぎょろぎょろ私を睨むのだ。顔を近づけるまでもなく瞳孔の動きがわかる。あまりに大きいせいか、その焦点は遠くはずれており、どこかに落ちていく途中のような錯覚があった。


 目の大きい男は言った。


 「ひひひひひ。見える見えるぞ。そんなところに隠れても、おまえのすべてがよく見える。五〇本もある若白髪。乳房の横にナイフ傷。下着の色はピンクだぁ! ひゃひゃひゃひゃひゃ」


 次に入ってきたのは、鼻の大きい男だった。顔全体が、酒に酔ったかのように赤い、脂まみれの鼻だった。しかも垂れ下がるかぎっ鼻で、口とあごは隠れて見えなかった。鼻筋の両脇にある小さな点のようなものは、もしかして目だろうか。鼻の穴からは鼻くそのまとわりついた鼻毛がぼうぼうと顔を出し、ふうふう通る息にふるふる揺れていた。


 鼻の大きい男は言った。


 「ひひひひひ。臭う臭うぞ。そんなところに隠れても、おまえのすべてがよく臭う。今朝のトーストママレード。麝香じゃこうのコロンは似合わぬぞ。生理は昨日終わったか?! ひゃひゃひゃひゃひゃ」


 続いて入ってきたのは、耳の大きい男だった。両耳とも顔本体より大きく、まるで造物主が作り損ねた蝶の残骸だ。その蝶は死にかけで、びくびくびくびく脈打って小さく動いている。耳介のうねりが、恐怖を呼び起こすほどの無秩序な歪みであることを、私は初めて知った。


 耳の大きい男は言った。


 「ひひひひひ。聞ける聞けるぞ。そんなところに隠れても、おまえのすべてがよく聞ける。脈拍は分に八五。ほぅら今したまばたき三回。パンツのゴムがきしんでらぁ! ひゃひゃひゃひゃひゃ」


 男たちの淫猥な笑い声を聞くだけで、背筋に怖気が走り、体中から汗が吹き出した。非日常とか違和感とかの言葉では言い表せない、人として拒絶すべき、角度の狂った歪みだった。


 彼らが店に入ってきた、それだけのことだ。だが、私の頭の中で、何が起きたのかわからないという叫び声が渦巻いた。何も、認められなかった。


 「貴様ら、覚悟はできているだろうな」


 用心棒の声がして、私はふっと正気を取り戻した。彼は、外でちらとでも見たからだろうか、私ほどのショックを受けていないようだった。彼の救いの手を期待して、私は、カウンターの内側から少しだけ顔を出して様子をうかがった。


 用心棒は、カウンターごしに私をかばう位置でショットガンを構えて彼らに銃口を向け、ただちに出ていけと顎で示した。


 その前に口の大きな男が立ちはだかり、巨大な口をくわっと開いた。タバコがいちどきに百本入りそうな巨大さだった。そして、本当にそうしているかのようなまんべんなくヤニ色の歯と、口内炎だらけの汚い歯肉があらわになった。その奥の口蓋垂のどちんこは、その俗称通り、本物の陰茎のようにだらしなく垂れ下がっていた。


 そして口の大きい男は、突然笑い始めた。


 「ぼはははははははははぁっ!」


 その笑い声の声量はすさまじかった。店全体が大きく揺らぎ、埃がどっと降ってきた。真正面に立っていた用心棒は、声の塊を叩きつけられた衝撃でカウンターに体を打ちつけ、一声うめいて動かなくなった。


 私は息を飲んだ。私の信頼する、どんなトラブルにも身を張ってくれるかの用心棒が、これほどあっけなく倒されるとは、夢にも思っていなかったのだ。むろん彼を罵る余裕などなかった。このおぞましい怪異どもから、自分の身を守らなければならない。私は恐怖におののき、用心棒の存在に寄り掛かって緩んでいた、自身の危機管理の甘さを呪いながらも、金入れの横の引き出しをがたがた鳴らして開けた。そこには、下の兄がせんべつにくれたリボルバーがある。私は震える手でそれを取り出し、ぎこちなく構えた。


 「出てって! 撃、撃つわよ!」


 だが男たちは怖れる様子もなく、むしろ歓喜と思える表情を見せた。


 目の大きい男はさらに目を大きく見開いて。


 鼻の大きい男はぶぅふぅ鼻を鳴らして。


 耳の大きい男は耳に手を当てて、もっとその臆病な声を聞かせろというように。


 口の大きい男はまた高らかに笑った「ぶひょっほっはっはぁ!」


 さらにもうひとり、顔の大きい男がいた。これまでの男たちの巨大にして不気味な顔のパーツを、アンバランスこそないものの、すべて兼ね持っていた。特にえらの張った顎幅がとてつもなく広かった。あまりに広すぎて、建物の扉から入れないほどだった。だが男は、扉を支える柱に顎骨を押しつけた。めりめりと木の裂ける音がした。この建物を破壊してでも、むりやり入ってこようというのだ!


 何のために? 何のために? 私には何も解らなかった。ただ、彼らは私に迫ってくる。そうして恐怖を叩きつけてくる。


 ついに顔の大きい男が柱をへし折った。梁が傾き、またどっと埃が振ってくる。目の大きい男が見開いた目から滝のように涙を流し、鼻の大きい男は突風のごときくしゃみを始めた。


 顔の大きい男は、柱を折った勢いのままに店内に転がり込んできた。立ち上がりざま首を振って、耳の大きい男と口の大きい男をまとめて顎で薙ぎ払って押しのけると、その巨大な顔を突き出しながら、私のいるカウンターへ迫った。さながら古代のファランクスの進撃だった。だがその盾には、昂揚で真っ赤に染まった顔がついていて、脂汗を撒き散らし、正気とはとうてい思えない奇声を挙げているのだ!


 「ひ……」


 小さく引きつった声しか出なかった。私はほぼ反射的に、圧迫感から逃げたい一心で、リボルバーの引き金を引いた。


 がぉん! 反動で手首が跳ね上がった。ぐきと鈍い痛みがした。慣れない危険物を扱った報いだ。だが顔の大きい男の巨大な顔は、そんな私にでも当てられる的だった。男は脂で汚れた鼻の頭でまともに銃弾を受けた。


 顔の大きい男は、倒れなかった。それどころか、砕けた鼻からだくだくだくと鮮血を流しながら、緩慢な足どりで、さらにのしのしと迫ってくる。ぎろぎろした瞳は憎悪に染まり、緩んだ口からはよだれが垂れ鼻から流れる血と混じってぼちゃぼちゃと床に滴った。対照的に細く短い腕は、虚空をあてどもなく掴んでは離すことを繰り返していた。


 私の意思は凍りついてしまった。二発目なぞ及びもつかなかった。逃れられるわけもなく反射的に後ずさり、後方の酒棚に激しく背を打ちつけた。数本の瓶が倒れ、床に落ちて割れた。


 腹の底からの恐怖と、立ち上る蒸留酒の芳醇な香りが、無意識のうちにすべての神経を刺激した。腕には鳥肌が立ち、顎から汗がしたたり、喉の奥でごぶりと音がして、自分の息でさえ自分のものでなく、どこからか這い出てくるようだった。


 涙がぼろぼろこぼれ落ちた。どうにもならなかった。私は顔を覆い、そしてついに、たまらず悲鳴をあげた。


 「い……いやああああああああああっ!」


 そのとたん。


 わぁっという歓声が、外から屋根の上から、どっとあがった。……あれは文句なしだ! 一着は、顔の大きい男だ!


 人がいた。それも、大勢。見覚えのある、町民たち……壊された扉の向こう側に群れて、薄ら笑いを浮かべて、見ている。扉の向こうだけじゃない、屋根の上、床、この建物のありとあらゆる隙間から、遠慮なしに、悪意と好奇の入り交じった視線を、ざらざらと流し込んでいる。町中の人々が、いま行われている賭け・・を、胸躍らせながら見守っているのだ。

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