第6話『覚醒(第三接触・融合)』
「世界は破滅する、この世の終わりじゃ」
全身を灰色に包んだ老婆が誰にともなく、空に向かって呪詛を吐いていた。
「何があっても逃れることは出来ん、皆、殺され灰になる。終わりの始まりじゃ、逃れることは誰も出来ん」
気でも触れたかのような老婆を、街ゆく人々は奇妙なものでも見るように、遠目で敬遠し、眺めつつも、関わりを持たないように視線が合わないように通り過ぎた。
『何だろうね、アレ』
エルファローレは紫蓮に聞くと紫蓮は、
「きっとファントムの起こす事件で心を病んでしまったんじゃないかしら」
と、答えた。紫蓮は自主学習をしに、図書館に向かう途中だった。老婆は白髪だらけの、ボサボサの髪を覆うように、フード付きの外套を被っている。夏を間近に異常とも言える格好。正直、不気味だった。
「終末の時は近い、世界が臨界を迎えるのじゃ。身勝手に地球を荒らした人間には、等しく平等に死の報いが与えられる」
空に向かい、何処とも定めていない老婆の呪詛は、だんだんと語気を荒げ、ボリュームを上げた。何となく紫蓮はそれを遠巻きに眺めてしまう。
「どこに居ようとそれはつけ狙い、回り込み、追いつめる。これは罰なのじゃ。無関心に罪を重ねる人間への罰。心当たりのある者もいずれ現れるだろう」
『紫蓮!視線を外して!』
「え?」
「お主はどうかな?」
「?!」
老婆は不気味に紫蓮を指差し、ニタリと笑った。指を差されて集まった街道の視線より、その笑みが恐ろしくて紫蓮は、目を懸命に逸らした。老婆は高々と笑っている。
『行こう』
紫蓮は老婆を無視して、つかつかと早歩きで、その場を離れる。衆人環視の目に晒されて、恥ずかしさと不愉快さが紫蓮を満たした。紫蓮を指差したしわくちゃな手。魔女を思わせるような長い爪。そうだ、この老婆には底知れぬ魔を感じる。紫蓮の持つ魔法とは違う本質的ななにか。思い出さないように、かぶりを振って思考を霧散させる。
『紫蓮、赤』
不意にかけられたエルファローレの声に、我に返る。横断歩道の信号が赤だった。そして、紫蓮は目を疑う。さっきみた老婆と、全く同じ格好をした老婆が、横断歩道の先でシルバーカーを押していた。恐怖に鼓動が早くなるのを感じる。先ほどの場所からは200mは離れているはずだ。あまりのことに、呆気に取られ目が離せないでいると、目の前の老婆がこっちをゆっくり見て笑った。不気味に、執拗でねっとりした粘土質の視線。襲い来る恐怖に、卒倒しそうになる。走った。足が動く限り、息が続く限り、走って、走った。バクバクと騒ぎ立てる心臓の音が、さらに紫蓮を混乱させた。ファントムと対峙した時とも違う恐怖。殺される、闘うことの恐怖より、オカルトめいた得体も知れない芯にくる恐怖だった。一気に図書館まで駆けると、荒くなった息を整える。吸って吐いてを繰り返していくうちに、気持ちがだんだんと落ち着いてきた。
『過度の恐怖は毒だ、やがて身体中を巡り全身の感覚を奪う』
「怖いこと言わないで頂戴。何だったのかしら今のは。他人のドッペルゲンガーなんて初めて見たわ。自分のだってまだ見たことが無いのに」
そうだ、それほどに先ほどの二人の老婆は、瓜二つだった。
『良かったじゃないか、自分のドッペルを見たら死んでしまうんだろ?』
「そうね、この世に自分と同じ姿をした人は、他に2人存在する。出会ったらどちらかが消滅してしまう。SFの世界はあまり詳しくないのだけれど、未来の世界にも不思議な事や都市伝説のようなことは存在するの?」
『ファントムのこと以外は、ほとんど全てことを、化学が証明したよ。解答はYesだ。ファントム出現から、ほとんどの事象が存在を露わにした。ネッシーもいるし、それに魔法だって科学が造り上げた。ただ、タイムマシンを使った因果律の計算は、まだ解明されてなかったね。僕が被験第一号だったから。それに過去に行くことは出来ても未来に行くことは出来なかった』
「どうして?」
『滅んでいるかもしれない時代に行く意味がないからね。タイムマシンによるパラレルワールドの形成でしか、人類の存亡は図れなかった。僕のいた未来はもう滅んでいるだろうけど、ここから先の未来は幾重にも分岐できる。僕がタイムスリップしたことで可能性は宇宙の広さにも匹敵するほど拡がった。ある意味、人は神になった。まだそれももう逼迫しているけどね』
「宇宙を創り、世界を造る。そうまでして人が生き続ける意味ってなんなのかしら」
エルファローレと話していると、不思議と気分が落ち着いてくる。
『それは『死にたくない』という生き物の本能だろうね。思考し、感情を持ち、社会と自己の存在意義を常に考えて生きる人は、それが顕著に表れる』
「私は死んでもいいと思った。でも本当はどうしようもなく生きたかった。それで学校の屋上から飛び降りたの」
『君は勇敢な人だ』
「自分を殺したことが? 逃避したのに?」
『戦い続けたことに意味がある』
そんな風に考えたことはなかった。エルファローレの言葉が怖いくらいに優しく染みた。
「……テレビの特集で観たわ。自殺の情報は、遺伝子に刻まれるって。親が自殺を経験していると子にも遺伝するんですって」
『君には強くなる力がある。子供が自殺せずに済む環境を作ってやればいい。優しさと気配りができる君なら問題はないはずだ』
母親になった時、子供に何をしてやれるか。自分が負った同じ苦しみを味わわせないように、強くなること。誰かと愛し合って子供をなすこと。それは、今の自分には遥か未来のことのように思えて現実味がない。
図書館からの帰り道、斎川華絵とその取り巻きに遭遇した。
「こんにちは、伊坐凪さん」
「…こんにちは、斎川さん」
俯いて視線を合わせない紫蓮を、取り巻き達がニヤついた表情で囲む。
「早速、図書館で勉強? 流石優等生は違うわね、普段の行いと違って」
斎川が高飛車そうに腕を組んで言い放つ。
「私、もう帰るから……」
紫蓮は関わりを持ちたくなくて、避けるようにしてその場を去ろうとした。
「ずいぶんの態度じゃない、この淫売!」
斎川が紫蓮の肩を突き飛ばす。
「っ!」
「何に睨んでのよ、態度が成っちゃいないわね!」
斎川が手を上げて紫蓮の頬を打とうとした。打たれる瞬間、ファントムに比べて、なんてか弱い暴力なんだろう、と思った。死の恐怖もない。狂気も理不尽さも圧倒的に劣る。ただ自分を誇示するための暴力を、甘んじて紫蓮は受け入れた。打たれる瞬間までゆっくりと見極めて、わざと盛大に倒れてみせた。勉強道具をアスファルトにぶちまける。大袈裟に見せることで、少しは気も済むだろうと思っての行動だった。叩かれた頬に、熱を帯びたが、痛くはなかった。
「いい、今度生意気な態度を取ったらこうするわよ」
斎川は地面に転がった、紫蓮の黒色の筆箱を踏みしめて、ぐりぐりと捩じった。
打たれた頬を抑え、罵倒をやり過ごす。その間も、エルファローレは黙ったままだった。そう、これは自分の問題。自分でなんとかしなくちゃいけないことだ。だが、こんな奴らのためにファントムを撃退していたと思うと、なんだかやるせない気がした。罵詈雑言を言い尽くした斎川は、栗色の長い髪をわざとらしくかきあげ、取り巻きと共に去って行った。
「エルファローレ、これが私の現実、私の世界よ」
どこが強いんだ。こんなにも自分は弱い。
『自己顕示欲の塊のような人だったね』
エルファローレはまるで他人事のように感想を述べた。勉強道具についた埃を、丁寧に払って紫蓮は言う。
「あなたに重要なことは、私がファントムを倒すこと。それだけみたいね」
『僕は君を通してじゃなきゃ物理干渉は出来ない。でも痛みは消してやれただろ?』
「八神蒼博士は優しさまでは学習させてなかったのね」
『人の心は移り変わりが激しいからね、環境に流されることもあるけど突拍子のないこともする。君が屋上から飛び降りた時のように』
「……そうね」
やっぱりこの人は冷たい。感情などないように。
『やり返してやればいいのに』
むしろあきれているような声を出す。
「そうすればもっと酷い目に合わされる。叩かれるなら我慢すればいい。見ていないところで何かされるのが嫌なのよ。上履きがなくなったり、教科書に落書きをされたり。ある意味ファントムよりも卑劣な攻撃の仕方だわ」
『あの子は君を嫉んでいた。君が美しいから』
「嬉しくないわ、そんな言葉」
美しい。自分を卑しく感じる言葉だった。
『厳然たる事実さ、100人の男女に街頭アンケートを取っても君が圧勝するだろうね』
「それが斎川さんの気分を逆撫でするんでしょうね」
しかし、君には不幸が似合う。とまではエルファローレは言わなかった。
家について人心地ついていると、エルファローレが声を上げた。
『紫蓮、ファントムの気配だ!』
「……わかった。行きましょう」
部屋に鍵をかけて窓を開けた。三度目の高速飛行は慣れたものだった。
「今度はどこに気配があるの?」
『浅草の雷門だ、また観光地だね。人が密集している、被害は相当出るだろう』
「早く行かなきゃ」
憂鬱でいることさえ許されない。雷門に着くと、通りは人でごった返していた。若いカップル、商店の壮年の店主に外国人観光客の群れ。
「逃げ……!」
『無駄だよ、君の声は届かない』
エルファローレの言うことももっともだったが、それでも被害を小さくできるならと思った。が、
「どうしよう。こんなに人が密集していたら闘えない」
ファントムは雷門を背に整然と立っていた。歴史の教科書で見たことがある。千手観音の姿だ。
『小さいね』
「そうね、でも仏様の形をしているなんて不気味だわ」
突然千手観音の仏具を持っている腕が動きを見せた。
『紫蓮!防御障壁!!』
「え? マテクト!」
まだ距離の遠い千純観音の腕は急速に膨張し、高速であらゆるものを串刺しにした。観光ツアーの客の列や、参拝に来たOLとその上司、散歩中の老婆とあらゆるものを正確に絶命させた。障壁で攻撃を撥ね退けた、紫蓮以外の唯一の生き残り、老婆が持っていた手綱の先のトイプードルに赤い鮮血が飛び散る。
「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
紫蓮は絶叫する。三百人余りの人が目の前で一瞬のうちに命を奪われた。それが仏の形をしているのが、更に紫蓮の恐怖を掻き立てた。胸の前の手は無慈悲に合掌の形を取っている。自分の内面と外を同時に見るという半眼に、この光景がどう映っているんだろう。怒りと悲しみが全身を撫でた時、千手観音の腕が急激に縮まり、再度臨戦態勢に入った。今度は紫蓮だけを狙って攻撃を放つのだろう。
『紫蓮……動いて!』
エルファローレの声に跳ねるように反応した紫蓮は、夢中で飛び退いた。受け身も着地も関係ない、無様で不格好な逃げ。だが、そのおかげで命拾いした。千手観音の束になった腕が再び通った後は、綺麗に円柱状に抉れていた。空間を飲み込んだように後には何も残らなかった。こんなものを喰らったらひとたまりもない。
「スクリプト!」
浮遊の呪文を唱え、上空に逃げる。その時だった。千手観音の腕の一本が足に絡みついていた。圧倒的恐怖。全身の毛が逆立った頃には、勢いよく地面に叩きつけられていた。何度も。執拗に、丹念に、徹底的に。何台もの車に一度に交通事故に逢うように、全身に激しい衝撃を感じた。エルファローレが必死に防護してくれているが、殺意の塊の暴力に紫蓮は心の底から観念した。バーの降ろされたジェットコースターはコースが終わるまで止まることはない。紫蓮の意識が飛ぶのと同時に千手観音は手を放した。投手の放つ剛速球の如く紫蓮は本堂に体を叩きつけられる。
『紫蓮! 起きて!』
エルファローレの必死の叫びにも、紫蓮はピクリとも反応しない。千手観音が腕を縮めて三度臨戦態勢に入った。今度は躱せない。まともに喰らったら形も残らないだろう。
『……仕方がない。デバイサーの人事不省により、これより第三接触に移る。強制融合!』
放たれた千手観音の腕の束が重なる瞬間、紫蓮の体がまばゆく光り輝いた。千手観音の腕は光と共に迅速に張られた、固く厚い魔法障壁に阻まれ、腕はあさっての方向へと放射状に捻じ曲がった。
「……光が溢れてくる」
『紫蓮! 気が付いたんだね!』
「エルファローレ、この光すごくあったかい」
自分の中から底知れぬ力がとめどなくあふれ出てくる。
『真の魔法少女が放つ命の輝きだよ』
「これならいけそうな気がする。エルファローレ、私のイメージに合わせて」
『わかった、同調率を更に上げる!』
紫蓮を中心に円周状に光の柱が立ち上る。その様子に千手観音は探りの一手を打った。武具を持った二本の腕が紫蓮を襲った。が、紫蓮は驚異的な反射で、それをいとも簡単に掴んだ。
「私たちの何がそんなに憎いのよ……何が!?」
紫蓮は怒りに任せて腕を引き千切った。切れたトカゲの尻尾のように、それは手の中でビクンビクンと跳ね、やがて切れたところから光となって消滅した。キッと千手観音の顔を睨むと、紫蓮は地面を蹴った。千手観音も腕の束を伸ばして応戦する。狙いを逸らすようにジグザグに走る紫蓮に、小分けにした腕が強襲する。それを払い、あるいは叩きつけ、紫蓮は間合いに入る。ラオもテラも使わなかった。ファントムも恐怖を感じる器官をもっているなら恐怖を、同じだけの絶望を与えたかった。紫蓮は全身のバネを使って飛びつくと、千手観音の頭を掴んで勢いに任せて、地面に叩きつけた。そして千手観音の頭を足で踏んで押さえつけると、腕の一本一本を丁寧に、迅速に捥いでいった。花占いの花びらみたいに、面白いように簡単に腕は千切れた。狂気の沙汰だった。傍から見れば、光り輝く少女が仏様に、残虐の限りを尽くしているのだ。その姿が人から見えていないのか唯一の救いだった。腕の半分が捥ぎ取られた頃、千手観音が怒りを露わにした。固く極められていた合唱が解かれ凄まじい手刀が繰り出された。それを紫蓮は後ろに飛び退くと同時にそれを防いだ。手刀を手をクロスして掴み、胸の前で腕を全開に広げて掴んだ腕も捻じ切った。
『紫蓮!早くとどめを!』
半眼から見開かれた千手観音の眼。刹那、紫蓮の目の前は光と衝撃で包まれた。紫蓮は圧力と共に上へ上へと吹き飛ばされた。千手観音が最期を覚悟して自爆したのだった。浅草寺の雷門から本殿への道は綺麗なクレーター状に消滅していた。上空の紫蓮は、無傷だった。
『終わったね。紫蓮の潜在能力がこれほどとは』
「そんな言い方よして頂戴。私はただ……」
『ただ?』
ただ、同じ目に合わせたかったから。
「……なんでもない。エルファローレ、帰るまで操縦お願い」
そう言って紫蓮は心の感覚を閉じた。
「今日は疲れたわ」
風景が自動で後ろに飛んでいくのを見て、少し気分が落ち着く気がした。自分が自分でなくなる感覚が、日に日に増している。それでもこれは生き残るためなんだと、強く自分に言い聞かせた。
白の絶対魔法 柳 真佐域 @yanagimasaiki
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