第二章 偽りの寓話〜弓張り月〜
第二話 異能の代価
大事な人さえ守ってくれない世界なら–滅びればいい−ただ、そう月に祈った。
* * *
夜の帳が下りた世界しか知らなかった。
漆黒の暗闇と共にしか永久は目覚めることができない。
目の前に捧げれた供物に、永久は目を伏せた。白い鳥が横たわるその姿を見るのは何度目だろう。
「貴女はいつも哀しそうですね。まるで世界に独り残されたような」
ふいに蓮が呟き、永久は自嘲げに嗤った。
「籠の外を知らず、大事なものさえ奪われる世界をあなたは幸せと呼べて?」
目前に捧げられた白い鳥に腕を翳し、永久は自身の手首を持っていた短刀で切りつけた。左手から滴り落ちる血が白い羽を染めていく。
蓮はただその光景を見下ろしていた。
「
「気分の良いものではないでしょう?」
「痛くないんですか?」
永久は顔色一つ変えず、手首の止血すらしようとはしなかった。
「……〝痛い〟などという感情はとうに忘れました」
たくさんの感情を捨てた。捨てなければ生きていけなかったから–。
白い鳥が紅く染まり終えた頃、一際大きく鳴いて–絶命した。
白い鳥は、七扇家が飼育する依代《よりしろ》−名を
七扇家は、代々死者を蘇らせる者と、生者を呪殺する者が交互に生まれる家系だった。
永久に–死者を蘇らせる異能はない。ただその血だけで人を殺すことができるだけ–。
本来ならば罰せられるべき行為を、永久は咎められることなく行う。
一連の儀式を終えた永久が無造作に投げ出した腕を取り、蓮は静かに手当てをはじめた。躊躇なく触れる蓮を永久は見下ろす。
「……怖くないのですか?」
そう聞くのは二度目だ。消毒していた蓮の作業が少しだけ止まる。
「……名を、家を捨てたいと思ったことはないんですか?」
永久の問いには答えず、また蓮は折れそうなほど細い腕に包帯を巻きながら訊いた。
「……見知らぬ誰かの命を奪ってでも、護りたい人がいました。七扇家でしか、護れない人でした。……わたくしが、死なせてしまったけれど……。〝報い〟なのでしょうね」
奪ったから、奪われた–。
陽だまりのような人だった。物心ついた頃には、他人と距離を置かれていた永久に屈託なく笑いかけてくれた人。高い塀を登って、摘んだ花が綺麗だから−と投げ入れてくれた少年–。いつか鳥籠の中から出してやる−と、そう言って永久のために命を散らした人。
「
仕事を引き継ぐ際、粗方の話は聞いているのだろうと察していた。永久は、蓮が櫂の名を知っていても驚かなかった。
「塀越しに出逢って、側にいくと言ってくれました。声しか知らなかった彼は約束通り、わたくしとの約束のために側に来てくれました」
今の蓮と同じ歳の頃、萎れた花を目前に翳して出逢った頃より低くなった声で告げた。
『–約束だ。これからは生涯をかけて傍にいるから。–もう、独り月を見上げなくていい。塀越しに会話しなくていい。ずっと、一緒だから』
初めて見た彼の顔より、泣き笑うような表情に、永久は悟ってしまった。彼は知ってしまったのだと。永久が幽閉される理由も、彼が鳥籠と呼ぶ塀の中で何をしていたのかも。それでも、約束だからと、側にいることを選んでくれた人だった。
「銀の名は〝特別〟です。例え、嫡男とは言え貴女の側にいたいとの理由で叶うわけがない。七扇家当主の計らいがあったのでは?」
「−失われた最古の呪術の継承者と言えばわかるかしら?」
蓮が目を剥く。
「まさか、読めたんですか⁉︎ 解読不能と言われた最古の文献–『黒書』を」
黒書–それは叡智のすべてが綴られた万能書。真っ白な紙に書かれた文字を判別できる者は一族の中でただ一人しかいない。
「生まれつき–ね。彼は右眼が生まれつき、見えなかった。ただ何も見えないはずの右眼だけが、黒書を視ることができた」
言って、永久は目を伏せた。
「わたくしの〝すべて〟–でした」
彼のためだけに、囚われ続けてきた。七扇以外に、〝彼〟を守れる場所はなかったから−
……。
「永久様?」
ふいに倒れた永久を蓮が支える。何度呼んでも永久が応えることはなかった。
その後、永久が目を醒したのは一週間後の夜だった。
高熱に浮かされ、動くたびに四肢には激痛が伴う。意識は混濁し、呼吸もままならない程の苦しみを繰り返し永久は眠り続けた。
〝代価〟なのだという。
人の命を容易く奪える代わりに、自身は七転八倒の苦しみを負う。幾晩も眠り続け、目が醒めたらまた誰かの生を呪う–。呪った命は安らかにあの世に逝く代わりに–すべての苦しみや痛みは永久に還る。
故に、七扇家の異能者は代々短命だった。
籠姫〜終焉の少女〜 葵綴 @lyric-nova
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