エピローグ 〜色調は〜

 天羽先生が僕の目の前から消えて2年が経つ。

 僕は大学へ入り、その生活も落ち着いたものになり始めた。

 季節は冬を迎え、近々雪が降ると予報もあって、大学生活の二年目が過ぎ去るのを待つばかりとなってしまった。

 写真は続けていて、サークルにも入り仲間らと写真を撮ることもしばしばあった。

 でも、僕は何も変われなかった。

 服装こそ、最初は避けていたスカートも履くようになったし、お洒落やメイクもそれなりにするようになったけれど、写真だけはその進歩を見せずにいた。

 別段手を抜いているわけではなかったし、むしろカメラの勉強や機材も少しずつ揃えていて、より多彩な写真を撮れるようになったはずだ。

 その原因はわかっているつもりだ。

 あの日、あの夕陽の中で撮った先生。

 僕はあの写真より良いものを撮れていない。

 結局高校最後のコンクールも入賞こそしたものの、集大成とは言えなかった。

 だからこそ、天羽先生には悪いと思いながらも僕はある解決策を講じたのだ。

 それはいいのだが、困ったことに僕の目の前に、とある悩みの種がある。

「芦屋くん、君があのような素晴らしい写真を撮っていたとは驚きましたよ」

 サークル室に居るのは顧問の笹岡教授だ。

 長身で美形。でも変人。

 教授は悪い人ではないけれど、僕はその距離感がどこが苦手だ。

「ぼ……私がどんな写真を撮っててもいいじゃないですか」

 僕がため息をつくと、教授は何故か嬉しそうに笑っていた。

「別にその一人称は気にしなくてもいいと思いますよ?秀でた人はどこか他人とは違う部分がある」

 教授とは、僕が入学して少し経つくらいにキャンパスで写真を撮っていた時に声をかけられた。

 サークルに入るきっかけになったのは、間違いなくこの人なのだが、僕の一人称の癖を見られたのが、笹岡教授への苦手意識に拍車をかけたのだ。

 教授は暇なのか大抵サークル室にいて、自身の研究や講義をしている姿はなかなか見た事がない。

 一応授業のコマを確認したこともあったが、講義自体はしているようで、生徒と話している所も数回は見られた。

 気になる点としては、笹岡教授の周りにいる生徒の大半が女子で、挙って教授に言いよっているのだ。

 教授自体はそれをわかっているのか、その甘いマスクで笑いかけながら、水のように躱していた。

 脱線したけれど、僕はとある大きな賞に、あの日の天羽先生の写真を出すことにした。

 賞に出すことでその写真に囚われた自分を解放しようと考えたのだ。

 そして、数日前にその結果が発表された。

 結果は、大賞を取ってしまった。入賞金に加え、近くの美術館に一週間展示されるという。

 予想もしていなかったその結果に僕は驚きを隠せないでいた。

 そして、明日からその展示が始まる。

 驚きが大きい中、僕は少しだけ期待をしていた。

 もしかしたら、少しの可能性でも天羽先生が見に来てくれるのではないかと。


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 展示を明日に控えたその日の帰り、僕は笹岡教授の車に揺られていた。

 笹岡教授は、写真の心得があるから顧問なのだが、教えるのは気まぐれで、今日はその気まぐれが良い方向に向いたようだ。

 教授に写真の指導をしてもらい、遅くなったということで駅まで送って貰うことになった。

「芦屋くん、明日はめでたい日ですね」

 ハンドルを握りながら教授は突然話し始める。

 基本的に送って貰う時は一言も話さないのだが、この日ばかりはそうはいかないようだ。

「……まぁ、めでたいかは知らないですけど、教授がそう思うならそうなんじゃないですか?」

 つい、素っ気なくなってしまう。

 笹岡教授はそんな僕の態度に何も示さず続けた。

「……ですから、今日は一緒にディナーでもどうですか」

 その誘いに思わずため息が出てしまう。

 そこらの女子生徒なら飛んで喜ぶ誘いなのだろうが、生憎僕は笹岡教授のことが別段好きでも嫌いでもない。

 もちろん写真を教えてくれることに関してはとても感謝しているし、尊敬もしている。

 笹岡教授は齢を見せないタイプで、殆どの人は二十代に見間違うだろう。そんな美貌を持ちながら御歳三十二にして独身だ。

 恋愛の相手には困らないであろう人間なのに、どうしてと僕はいつも思っていた。

 笹岡教授に関してはきっと恋愛にはならないと僕は確信している。

 だからこそ何も答えずに助手席から窓の外を見る。

 高校時代に見ていた商店街や山の風景とは違い、大学付近は都市部だ。高層のマンションやオフィスビルか立ち並び、夜になっても尚その輝きは続いていた。

「……もう駅が近いからここでいいですよ」

 笹岡教授はそれを断る返事ととってくれたようで、駅前のいつもの所で車を停めた。

「明日、展示を見に行くなら迎えに行きますよ?」

 僕が降りると教授は先程の誘いがなかったかのように話す。

「迎えとかは大丈夫です」

 少し言いにくくはあるが、僕はその言葉を言うことにした。

「あと……僕は教授の気持ちには答えられないと思います」

 そう言って、僕は教授の車から背を向けた。


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 次の日の朝、目が覚めたのはいつもの起床時間よりも幾分か早い時間だった。

 カーテンを開けて外を見ると街には雪が降り始めていて、その景色だけで冬が本格化したことを思い知らされる。

 大学に入ってからは近くのアパートを借り、一人暮らしをしていたため、こう動きたくない日に限って米が炊けてないだとか問題が出てしまう。

 不摂生とわかっていても寒さには勝てなかったので、朝からカップ麺を啜ることにした。

 今日の授業はそこまで重いものもなく、二限のみだったので午後は自分の写真が飾られているのを見に行こうと考えていた。

 テレビでは降雪量の心配や雪自体に喜ぶ者のインタビューが流れており、どこか別の世界かのような気がした。

 洗濯物を部屋干しし、出掛ける準備をする。

 授業用のノートと筆記用具、それにカメラ。

 歯を磨いて家を出る。最近こそ無くなったが、鍵のかけ忘れが一時期多発し、冷や汗をかいた思い出が蘇ってくる。

「……よし」

 きちんと鍵をかけ、扉が開かないことを確認すると駅まで歩き始める。

 傘は盗難防止のために一際悪趣味なテープを持ち手に巻き、それを何事もないような顔で使っていた。

 雪と言っても都会では数センチも積もらない。

 それにも関わらず、雪の粒は比較的大きくてそれが地元の大雪を思い出させた。

 駅に着くと大方の予想通り電車は遅延していて、それでも影響のない範囲だったので安心する。

 無事に大学に着き、授業を受ける。

 講義のテーマなんてあまり見ずに取ってしまったため、どうしても眠気が襲うが、何とか板書だけはと耐えに耐えた。

 二限が終わった時、僕のスマホが鳴る。

「……げ」

 着信相手は笹岡教授だった。

 しばらく無視しようと放置したが、鳴り止む様子もなく渋々出る。

「…………なんですか」

 ため息が出るのを必死に抑え声を出す。

 そんな僕とは対照的に先生はどこが息を切らしていた。

「……芦屋くん!急いで正門まで来てください!」

 それだけ言うと先生は電話を切った。

 何事かと勘ぐったけれど笹岡教授があんなに急いでいる様子は見た事がなかったので、余程のことがあったのだろうと思い、言う通りに正門へと行く。

 正門には笹岡教授の立派な車が止めてあり、私を見つけるなり先生は運転席からこちらへと駆けてくる。

 その姿に近くの女子生徒は騒いでいたが、その先にいるのが僕だとわかると途端に無表情になる。

「芦屋くん、一先ず展示へ行きましょう!作品に人だかりができてるんです!」

 わけも分からず教授に促されるまま車に乗り込むと、教授はハンドルを握りながらも少し落ちつくためにか、深呼吸をした。

「…………すみません。取り乱しましたね」

 そう言いながらも、教授の息はまだ整いきってはいなかった。

「……落ち着いてからでいいですよ」

 僕のそんな優しさに何故かムッとした教授はそのまま話し出す。

「内容自体は先程言ったものと変わりませんよ。芦屋くんの作品に異様な人だかりができているんです。私も何が原因か調べようとしたのですが、人が多くてわかりませんでした」

 笹岡教授はどこか不思議そうな顔をしていた。

「私の生徒の作品ですと言ったんですけどね。『そんな訳ない』とか『教授がこんな時間に居るわけない』などと言われてしまいまして……」

 確かに朝のこの時間から美術館に居る方がおかしいと僕は思った。

「……それは教授が悪いかと」

 教授は僕の率直な意見に驚きの表情になる。

 正直こっちを向かなくていいから前を見て運転して欲しい。

「……まぁ、私が悪いかは置いておきましょう。もうすぐ着きますよ」

 教授は慣れたハンドル捌きで車を停める。

 美術館の駐車場はそこそこ埋まっているようだったけれど、これが全て僕の写真のところにいる訳では無いと思い込んでいた。


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「…………何これ」

 僕の予想は外れたようで、美術館にいるほぼ全ての人が、僕の写真の周りにいた。

 その数五十から百に満たないほど。

 僕の写真を半円状に囲むようにできたそれは、まさしく人の壁だった。

「私が来た時にはこの状態だったんですよ」

 事態の説明を求めるように僕は教授を見たが、彼はその一言で自身も分からないと示した。

 一先ずこの集団に聞いてみようと中に入っていく。

「……!す、すみません、これって何を見てるんですか」

 割り込むように入り、急に声をかける僕に周りの人は迷惑そうにしていたけれど、そんなことを気にする余裕はなかった。

 僕が声をかけた初老の人は、こちらに視線を向けると衝撃的な一言を言った。


「ん?あぁ、『写真に写ってる人がこの写真を見てるんだよ』」


 その瞬間に僕は動いた。

 周りの人は怪訝そうな表情で割り込む僕を見ていたが、そんなものは一切目に入らなかった。

 写真に写っている人。それは天羽先生しかいないのだ。

 もちろん他人の空似かもしれない。それでも僕はこの人混みを掻き分けてでも確認しないといけない。

 人を掻き分けた隙間から、写真の目の前に立つ人物が一瞬見える。

「…………!」

 垣間見えたその後ろ姿。

 髪はセミロングから少し伸びていたけれど、先生のカメラのストラップは忘れもしない。

 先生、天羽先生と、僕の叫びたい気持ちが逸っていく。

 そんな中、後ろから笹岡教授の叫び声がする。

「今進んでる子はその作品を撮った子です!通してあげて下さい!!」

 周りの人が僕を見て、道を作るように身を引いた。

 今日この日になって、初めて僕は笹岡教授に感謝をすることになる。

 できた一本道。僕の目線の先の人物が振り向いた。

「……せん、せい」

 天羽先生だった。

 僕の口から漏れたその言葉を拾い上げるように、天羽先生は笑った。

「うん、待ってた。それとただいま、元気だった?」

 少しおどけたように言う先生に、怒りなんてものは湧かなかった。

 その代わりと言ってはなんだが、僕の目からは大粒の涙が零れてきた。

「…………先生、天羽先生……!おかえりなさい!」

 天羽先生が近づいてくる。気づかなかったが、周りからは拍手が湧いていた。

「……ごめんね、急に居なくなって」

 先生はその場に崩れてしまった僕の頭を撫でてくれる。

 正直どんな感情で、どんな言葉で先生に会えた気持ちを伝えればいいのか分からなかった。

 涙は勝手に出てきたし、再会の言葉もろくに言えずに、ただ先生の名前を連呼してしまっていた。

 先生は僕を優しく立たせると、手を引いて歩き出した。

「芦屋さん、写真を撮りに行こう?」

 涙はまだ止まらなかったけれど、僕は頷いて一緒に行くことにした。

 もはや周囲の目なんて気にもならなくて、ただ僕は先生に会えた嬉しさを胸にいっぱいにすることにしたんだ。

 人だかりを抜けると笹岡教授が僕達を迎えてくれた。

「……初めまして、ですね。私は芦屋くんの所属している写真サークルの顧問、笹岡です」

 教授は紳士的に挨拶をすると、天羽先生にも求めるように見つめた。

「あ、うん。私は天羽倫子。芦屋さんの……なんだろ高校の時の担任では無いんだよなぁ…………へへ」

 何故か照れくさそうにそう言う先生が可愛く見えて、僕は涙が流れる中、笑ってしまう。

「……先生は、僕の大切な人ですよ」

 その言葉に笹岡教授も天羽先生も驚いた顔をした。

 なにかおかしなことを言った覚えはないけれど、と少しの間言った言葉を反芻する。

「…………あ、え、いや……えと……違うんです!違わないけど、えっと……」

 僕は自分が言った言葉の重大さに気がついてしまった。

 こんなにも堂々と天羽先生に告白してしまったのだ。

 自分の顔が一気に熱くなるのを感じる。笹岡教授は驚いた顔から何故か納得したような表情になっており、僕の手を握っている天羽先生は顔が真っ赤だった。

「…………なるほど、流石は芦屋くんだ」

 笹岡教授がニコニコしているのが気に食わなかったけれど、それよりも天羽先生だ。

「……先生、あの」

 僕の言葉を先生は待たなかった。

「ありがとう、芦屋さん。私もだから嬉しいよ」

 世界が止まった。

 その言葉で僕の思考は完全に停止していて、何が起こったのか、何を言われたのか、理解することが出来なかった。

「………えと、笹岡教授?写真撮ってもらっていいですか?」

 軽くフリーズしている僕を他所に、天羽先生は笹岡教授にカメラを渡すと、美術館の外へと急ぎ足で向かった。

 当然僕は手を取られているから一緒に足を進める。笹岡教授は渡されたカメラを大切そうに持ちながらその後に続いてくれた。

 外は朝と変わらずに雪が降っていて、気温も室内に比べると大分寒かった。

 外に出るなり先生はバックからある物を取り出す。

「これの使い方、さすがに分かりますよね?」

 先生が取り出したのはとあるカラーフィルターだった。

 ストロボに付けるタイプで笹岡教授は当然のようにそれを手に取りカメラの準備をする。

「さて、ロケーションは問題ないね」

 そう言って先生はコートを脱いだ。

「…………え、先生?」

 戸惑う僕のマフラーやコートを脱がせようとする。

「ね、いいからさ。薄着にした方が『ぽくなる』よ!」

 言葉の意味はよくわからなかったけれど、先生にはこうしないと撮れない写真があることだけはわかった。

 寒さに耐えながら、薄着になる。

「……なるほど」

 カメラの準備をしていた笹岡教授が何かに気づいたように呟いた。

「笹岡教授、いつでもいいですよ」

 天羽先生は変わらぬ笑顔で僕の両手を取り視線を合わせる。

 その表情はとても柔らかくて、優しくて、それでいて綺麗だった。

 先生は高校の時とは違い、眼鏡をしていなかった。だからこそ、吸い込まれるように僕も目を合わせる。

「……天羽先生、あえて聞きましょう。色調は?」

 笹岡教授が言う。その言葉に先生は高らかに答えた。



「桜色で!」



 シャッターが切られる。

 その写真に写っていた世界は僕の知る雪景色ではなかった。

 降る雪はフィルターによって、舞い散る桜のように写っていて、春の日のように柔らかく、暖かいものだった。

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色調は桜色で けい @key_novel06

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