〜また、世界は光を閉ざす〜
秋も終わりに近づく頃だった。
日を追うごとに私の病状はその存在を主張するかのように私に襲いかかる。
酷い時には授業の際や、芦屋さんと写真を撮っている時など、タイミングを問わず、より不規則になっていた。
恩師である校長先生は、私に早い段階で治療に行くようにと何度も念押しをしていたが、私は生徒に教えることや、芦屋さんとの時間をまだ手放したくなかったため、様々な理由をつけて引き伸ばし続けた。
正直、私はまだ大丈夫だと思っていた。
症状はブラックアウトのみで、以前あった頭痛や昏倒がないため、もう少し教師を続けられると思っていたのだ。
そして私は、その見立てが甘いと思い知らされることになる。
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放課後、美術部の子達を見ながら、私は芦屋さんが写真部の部室に歩いていくのを待っていた。
しかしその日はなかなか現れず、不思議に思った私は一度美術室を出ることにした。
暫くしても芦屋さんは現れなかったので、一先ず美術室に戻る。
生徒に作品の指導をしながら、私もスケッチをしていると、見逃していたのか、芦屋さんが写真部の部室側から足早に出ていくのが見えた。
肩にはカメラをかけ、何やら書類を持っているようで、それを確認しながら廊下を走っていった。
部の生徒に手洗いに行くと伝えると、作品のアドバイスをして欲しいらしく、早く戻るようにと言われたが、私は適当な返事をして美術室を出た。
芦屋さんは既にどこかに消えてしまったようで、校舎上階の中庭が見える場所に行くことにした。
紅葉は既に終わり、赤く染まった葉の多くは地面へと落ち、冬の到来を感じさせていた。
私も簡単にカーディガンなどで防寒はしていたが、如何せん外に出るには寒い季節になっている。
こんな季節に撮りたいのは、暖かい飲料を飲む人や、枯れ落ちた哀愁漂う木だなと、被写体の目星をつけていると、階段の下からパタパタと足音がした。
気になって覗いて見ると、芦屋さんが少し紅潮した顔で階段を登ってきていた。
そのまま上に上がる彼女に声をかける。
「ね、今日は屋上に行って何を撮るの?」
その返事は芦屋さんらしく、夕陽が撮りたいと彼女は言った。
私も来ていいようで、急いでカメラを取りに行く。
美術部の子にはまた明日作品を見ると約束し、カメラを持って早足で屋上へと向かった。
屋上の扉を開けると、私を待っていたのは冷たい秋風と芦屋さんだった。
私が寒そうにしていると彼女は珍しく優しくて、マフラーを貸してくれた。
陽は少しづつ赤く染まり始め、写真撮るにはうってつけだと感じる。
芦屋さんが夕陽に向かってカメラを構えるのに倣い、私も撮ることにした。
二人揃って数回シャッターを切る。
写真は当然良いもので、なかなか撮れないくらいに綺麗なものに仕上がっていた。
それを確認しながら、私は一つのことを思い出す。
あと数ヶ月でここから居なくならなければいけない。
それを今になって実感すると、急にこれまでの日々が愛おしいものになっている事に気付かされた。
そして私の隣にいる芦屋さん。
彼女と出会えたことは私にとってなにより大事で、それでいて彼の死から立ち直る決定的な出来事であると感じていた。
だからこそ、まだ生きていたい。
そう思った私は、近づく別れに芦屋さんが戸惑わないよう、一足先に話をすることにした。
「私さ、来年でこの学校から居なくなるんだ」
そう切り出すと、芦屋さんは酷く動揺したようで、疑問を投げた。
悪いことをしたなと思いながら、私は教師になる経緯を少しの昔話と共に芦屋さんに語った。
恥ずかしさが勝ったのもあり、芦屋さんを探してこの学校に来たという事は伏せたが、それを差し引いても「私の意思と彼の理想を伝える」という教師になる理由は半ば達成されたと感じていた。
一人清々しい気持ちになっていると、私の中にその異変は起こった。
頭の中にずっと溜まっていたかのように熱いものが現れ始める。
こんな時に、と私はただただ悲しくなった。
その熱量から、私の時間は来年まで保たないのだと解らされた。
視界は少しずつ暗くなり始め、その不安感は増していた。
だからこそ、私は見ておきたいと思ったのだ。
私がここから居なくなる話をし終え、一言を添える
「でも、良かったよ。キミみたいな子に会えて」
そして、その言葉を伝える
「ねぇ、キミの最高の作品を見せてよ」
暗くなる視界を抑えるように、私は眼鏡を外す。
夕陽の優しい光がどうにか私の視界に色を残してくれている。
彼女の最も良い作品を見たい。そんな意志の力なのか、視界はまだまだ世界を写し続けていた。
芦屋さんが涙目になりながら一枚シャッターを切る。
私を撮ったのだろう。
そしてカメラを下げ、一言だけ呟いた。
「……今の写真です」
自信なさげな、それでいて泣きそうなその声は、いつの日か私を助けてくれたものと全く同じで、何故かそれがとても嬉しかった。
「……そっか、ありがと」
言葉だけでは私の気持ちを伝えられない。
それだけは分かっていた。
悪いなと思いながらも、私は「それ」をする事にした。
今の私の想いを伝えられるのはこれしか無いと。
狭まりつつある視界の中で、どうにか私は芦屋さんの目を見た。
彼女は泣きそうでそれでいて頬は赤く染っていて、とても可愛らしかった。
そんな彼女が目を逸らそうとする。
それを逃がさないよう、いじわるにも私は、
彼女の唇にキスをした。
「……また、二人で写真、撮りに行こうね」
そして彼女の名前を呼ぶ。
「二年四組の芦屋茜さん」
彼女の名前を呼んだその瞬間、一気に視界がクリアになる。
キスをしたからか、彼女の頬は真っ赤に染まっており、私の頬も熱くなっていた。
彼女との短い間の思い出が一気に溢れる。
写真を撮ることで私たちは繋がり、そしてお互いに成長ができた。
私は教えることの素晴らしさを知り、彼の死を乗り越えて彼の意志を受け継いでこの世界を映そうと。
芦屋さんは自身の世界の写し方を知り、その世界を誰かに伝えたいと。
彼女とのやり取りを反芻し、私はただ嬉しくなった。
そして彼女にそっとマフラーを返し、私は背を向ける。
視界はまた黒く染まり始め、その場を離れることも難しくしてた。
もう一度彼女に会うために、今は自分と戦おう。
そう心に決めて、私は屋上を後にした。
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階段を降りてすぐに私の視界はブラックアウトした。
頭の中は沸騰するように熱く、壁に手をかけていても立っていることさえままならなかった。
せめて、校長先生のところにと思った時、声がかけられる。
「倫子、だいぶ無理をしたね」
恩師の声だった。
優しくそれでいて私を憐れむように、そっと私の手を取り支えてくれた。
そのまま校長室に連れていかれ、恩師の車で近くの病院へと運ばれた。
車の中で恩師は校長らしく私に小言を言っていたが、そんな先生が最後に一言伝えてくれた。
「早く帰ってきなよ、あんたの代わりの教員はおばあちゃん先生なんだから」
心の中でありがとうを言い、私は意識を落とした。
病院で意識が回復すると、少しだけ日数を空けて海外へと渡った。
両親はよほど私が心配なのか、ついて行くと聞かずに半ば家族旅行のような形で日本を出ることになった。
飛行機に乗り、芦屋さんのことを想う。
いつかまた、二人で写真を撮りたい。
その一方的な約束が私をまだ生に執着させていると考えると、どこが可笑しくて一人で笑ってしまう。
アナウンスが聞こえ、飛行機が陸から離れる。
私は自分のカメラを確認する。
そこにはあの日撮った茜色のフィルムがしっかりと残っていた。
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