〜茜に染まる〜
春が過ぎ、夏がやってくる。
生徒たちは、夏休み前のテスト勉強に追われていた。
私はそれを痛ましく思ったので、美術の時間を自習にしてあげると、意外なことに遊び出す様子もなく勉強をしてくれた。
芦屋さんのクラスも同様で、デッサンの授業よりも静かな時間が流れていた。
私は教壇にキャンバスを広げ、デッサンをする振りをしていた。
デッサン自体はしていたが、書いていたのは目の前に置いた果物ではなく、芦屋さんだった。
端正なショートヘアーに、左目の涙ボクロ。
それだけしか外見的な情報がなかったので、簡単に描けてしまう。
特に飾り気もなく、年頃の女の子のように隠れてメイクもしていない。
そんなことを分析していると、彼女が視線に気づいたようで目が合う。
私はにっこりしたが、彼女はすぐに目を逸らし、また勉強を再開した。
彼女の担任が言っていたように芦屋さんの成績は良く、他の子が自習に飽き始める頃になっても、変わらずに机に向かっていた。
その集中力があるならと、私はまた写真のことを考えてしまっていた。
────────────────────
夏休みが始まる。
高校二年生の芦屋さんは、この夏は遊ぶなら最後の夏になるはずだ。
そう思い、夏祭りの見回りを志願したはいいものの、当日に隈無く探してみても、彼女の姿はなかった。
そんなうちに私の巡回時間は終わり、私もお祭りを楽しむことにした。
屋台付近には生徒がいるため、近くのコンビニで軽食を摂ると、カバンからカメラを出す。
撮りたかったのは踊りと花火だった。
街を一周回るようにダンスや舞踊が行われるのをひたすらに撮っていた。
芦屋さんも撮っているかもと思ったが、またしても姿が見えない。
そして、祭りのプログラムは進んでいく。
最後の花火は小規模なもので、せいぜい数分の打ち上げとなっている。
しかし、私はその味気ない花火が好きで、毎年ある場所で撮っていた。
打ち上げ場所は小さな山の中腹で、その隣に同じくらいの山がある。
お祭りの日は登山道が封鎖されるが、隣山にはもうひとつの登山道があるのだ。
そこから山へ入り、見晴らしの良い場所へと到着する。
カメラを構え、その瞬間を待った。
一枚、もう一枚。
シャッターを切ったのは数回だった。
花火は打ち上がる前の状態から、最も開く瞬間まで、どこを撮っても良いが、私は消える瞬間が好きだった。
だからこそ、私のタイミングより早くシャッターを切る音がある事に気づいた。
私のいる見晴らし台の真上、頂上までの登山道に彼女はいた。
芦屋さんはシャッターを必死に切っていた。
何枚も撮る時や、花火をじっくり見てから撮る時があり、彼女なりに試行錯誤しているのがよくわかった。
写真部の夏のコンクールに出すのだろうかと、思いを巡らせ、邪魔をしないように静かに私は見晴らし台を後にした。
その後は学校で勉強しているのを見かけたり、近くの公園などでシャッターを切っている彼女の姿を見ることが出来た。
カメラを構える彼女にどうして既視感を覚えていたのか、私は薄々気づき始めていた。
芦屋さんの表情は彼に似ていたのだ。
真剣にシャッターを切り、確認をする。それが良いものだった時の表情は、私が好きな顔だった。
だからこそ、私は彼女を特別に応援したいと思うのだ。
夏休みが明けて、私は写真部の夏のコンクールの結果を見に会館まで来ていた。
美術部の方は数名が入賞したため、私の心は軽かった。
そんな軽い足取りで芦屋さんの作品を探す。
しかし、芦屋さんの作品はおろか、私の高校の写真部の作品が一枚もなかったのだ。
確かに写真部は真面目な部活動ではないが、芦屋さんの作品すらないとは思いもしなかった。
そんなことに驚いていると、彼女─芦屋さんの姿を見つける。
「お、珍しいね。ウチの写真部はこういった展示に興味なさげかと思ってたけど?」
彼女は勿論結果を知っているだろう。だからこそ、少しからかう様に言った。
芦屋さんはそんな私にムッとしたのか、少し目を細めると皮肉っぽく言う。
「先生こそ、休日にわざわざ写真を見に来たんですね、意外です」
そんな芦屋さんを見て、変に落ち込んでいないことを知ると、どこか安心してしまう。
見ていた一枚の写真。家族が手を繋いでいる幸せの瞬間を切り取った一枚を見ながら私は言った。
「……まぁ、好きだからね、写真」
その後私は最初の授業で言った話をした。
きっと彼女がぶつかっている壁は、私もぶつかったものだと感じていたからだ。
それでいて、彼女にもう少し写真を楽しんで欲しいなと思い、一言言い残して私は会館を後にした。
その帰り道、私の中で考えが固まった。
彼女─芦屋茜は私を助けてくれた生徒に違いない。そんな彼女の作品の手助けをしたい。
そして、彼女の『最高の作品』を見てみたいと。
────────────────────
休みが開けた日の放課後、私はカメラを持って写真部の部室に居た。
芦屋さんが来る前に来てしまったのは予想外だったが、他の部員は来ていないようで、かえって助かった。
そして、芦屋さんが部室の扉を開ける。
「え…………」
彼女の驚いた表情に、つい意地悪がしたくなる。
「よ、居るとは思わなかったでしょ」
芦屋さんは私のカメラを見ると意外そうな顔で話した。
「先生も、写真撮るんですね」
私は芦屋さんと写真が撮りたい想いが先走って、彼女の手を取ってしまう。
「ね、一緒に撮りに行こうよ」
私のその行動が意外だったのか、芦屋さんは一気に顔を染めていた。
そこまで恥ずかしいことをしたのかと思ったが、彼女の染った顔を見ていると、私まで恥ずかしくなってしまう。
芦屋さんは私の手をゆっくり剥がすと、ぎこちなく断った。
突然の事で驚かせてしまったのだろう。私も反省し、その日は美術部に戻った。
私はその日以降、彼女に会う度に誘うことにした。
彼女の眼差しや、カメラを構えている時の雰囲気が何処と無く好きで、彼女にカメラを教えたいと思ったのだ。
そんな私の思いとは裏腹に、彼女は私に会う度に、少し目を逸らしながら断っていた。
その時の仕草や、表情がまた可愛くて、私は彼女に惹かれているのを感じていた。
芦屋茜という少女は、女性的な面を余り見せない子だった。
放課後に勉強をする彼女は周りを寄せつけず、どこか冷たい雰囲気を持つ子だった。
友人が居ないか心配をしていたが、全く居ないこともないようで、時折友人と話している姿をみかける。
ただ、自身の一人称が周囲とズレている事は気にしているようで、「僕」から「わたし」に言い直すことが数回見受けられた。
あの日公園で倒れた私を助けてくれたのは彼女で間違いないだろう。
しかし、私はその恩が返したくて彼女にカメラを教えたいのでは無いと、この時点で気づいていたのかもしれない。
───────────────────
ある日の放課後、美術部の子達は秋のコンクールに向けて総仕上げを始める頃だった。
この段階になると最早私が口を出すよりも、それぞれの感性に任せた作品に仕上げるのが一番だと思い、私はただ窓の外を見ていた。
視線を下に向けると、中庭で変な姿勢で写真を撮っている芦屋さんを見かける。
彼女は中庭のシンボルである木が撮りたいのか、その周辺を移動しながら、首を傾げていた。
そして、思い浮かんだかのようにベンチの上に四つん這いのようになると、カメラを構えた。
(……あの姿勢、ぱんつ見えそうだな)
そんな不躾なことを思いながら、私は適当な理由をつけて美術部を後にした。
中庭に着くと、芦屋さんは変わらぬ姿勢でカメラを構えている。
スカートの裾がヒラヒラとする度に私は周りを見渡して、下着が誰かに見られてないかとヒヤヒヤしていた。
シャッターを切る音がしたので、そこで声をかける。
「どう?納得いくものは撮れた?」
芦屋さんは私が声を掛けると分かりやすくビクッとして、どこか忌々しげに振り向いた。
「……驚くじゃないですか、やめてくださいよ」
それなりに集中していただろうと思い謝る。
「ごめんごめん、かなり集中してたからさ。少しからかいたくなっちゃったんだ」
そう言いながら、私は持ってきたカメラを構える。
芦屋さんは角度や光の具合等を考えながら撮るタイプだと私は感じていた。
だからこそ、感性やその時の偶然に任せて撮ることが出来るというのも教えてあげたかった。
「どんな作品も、考えながら作るのもいいんだけどね……」
一枚の紅葉した葉が落ちるのが見えた。
それはきっとこのシンボルの木に重なるだろう。
それを撮ろうと思った瞬間だった。
「…………!」
目の前が暗闇に変わる。
まさか、ここで起こるとは。
しかし、私は芦屋さんを心配させたくないと思った。
完全な直感。
葉が落ち、木に重なる瞬間を感覚だけで捉える。そこでシャッターを切ると、私の視界はまた彩を取り戻した。
写真を確認すると、私の思った場所に葉が写り込み、無事一枚の作品に仕上がっていた。
それを芦屋さんに見せると、彼女は少し驚いたように目を開く。「こうやってさ、ちょっとした変化を待つのも楽しいよね」
私の変化に気づかせない様に笑顔で私は言った。
少しだけかいてしまった冷や汗を隠すために、私は別の被写体の所へと行く。
この学校の園芸部は「四季花壇」というものを作っている。
ひとつの花壇に、一年を通して時計回りに花が咲き続けるというものだ。
私はそこに行き、カメラを構えた。
視界は既に良好で、その他の症状も出る気配が無い。それを確認して、芦屋さんの言葉に耳を傾ける。
「でも、周りの花が咲いてないと撮りづらくないですか」
動揺を隠すために数回シャッターを切っていたが、確かにそれは感じた。
「ん〜、確かにそうかも」
撮った写真にはどれも空白となった土色が覗いており、ズームをしても、良い写真とは言えなかった。
写真を見ながら唸る私に芦屋さんはさらに続ける。
「先生は、写真はどれくらい撮っているんですか」
少し、嬉しかった。その質問は、芦屋さんから私に近づいてきてくれたような気がしたのだ。
「え……。年齢バレそうでやだなぁ。まぁ長いには長いよ。それこそ絵よりはね」
少しだけ意地悪に私は答えた。
芦屋さんは少し気まずそうな顔をしてそれを隠すようにカメラを構えた。
私もまたカメラを構えて、そして少しだけ恥ずかしい話をすることにした。
「本当は写真部の顧問が良かったんだけどね〜、美術教員が美術部の顧問に、なんて言われちゃったし」
小さなため息が出てしまう。そんな私の話を芦屋さんは黙って聞いていてくれた。
「まぁ、写真部も活発じゃなさそうだったし、いいかなって思っちゃったよ」
私のほんの少しの本音に、芦屋さんが不満げな空気を出しているのが分かった。
「でも、自分はちゃんと活動してますよ。……最近になってからですけど」
唇をとがらせ、不満そうにする彼女の横顔が私の心を擽った。
「ごめんて、でもさ」
カメラを下ろし、芦屋さんの方を見る。彼女は依然としてカメラを構えたままだった。
そして、私は心に浮かんだ素直な気持ちを一つ、伝えることにする。
「君みたいな子が居るって知ってたら、無理にでも写真部の顧問になってたよ」
芦屋さんの顔が赤くなっているのが分かった。耳が赤くなっていて、彼女の横顔がより愛おしく見える。
芦屋さんがシャッターを切る。彼女はその写真を確認すると、項垂れてしまった。
「…………なんですか、それ」
髪で赤く染った耳を隠すようにするも、彼女のショートヘアーでは隠れきらない。
そんな彼女を見ながら私は自然と笑顔が出た。
「ん?私の素直な気持ちだよ」
その一言を彼女に送ると、何故か私も恥ずかしくなってしまい、それを隠すように立ち上がった。
芦屋さんは依然として項垂れており、耳が赤いのもそのままだった。
「さて、そろそろ戻らないと、流石に部の子達にどやされちゃうからね」
そう言って私は足早にその場をあとにした。
時間にしては半刻も過ぎていなかったにもかかわらず、私はとても長い時間が過ぎたような気がした。
美術部にもどり、中庭を見ると何故か芦屋さんの姿はもうなく、悪い事をしたなと反省した。
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その次の日から、芦屋さんは私が一緒に写真を撮っていても特に嫌がる様子はなく、二人で楽しい時間を過ごすことが出来た。
美術部の子には小言を言われたが、その埋め合わせをする事を約束すると、引き下がってくれた。
芦屋さんは、ほとんど毎日のように写真部に行き中庭や、校庭、学校の敷地外の工場など、様々な場所で写真を撮っていた。
その中で、私は彼女に写真の技術や、機材の種類、使い方などを教えた。実際に機材を用意するとなると、費用がかかってしまうため、話の中で教えることしか出来なかったが、その話を聞いている時の彼女の顔は興味津々で、楽しそうだった。
発作のように起こる私の病状も、彼女といる時は調子が良いのか起こることは少なく、メガネを外して撮ることが無ければ、視界はしっかりと世界を写し続けた。
しかし、時折頭の中に熱いマグマのような熱を感じることが増え、この時間の終わりが早まっているのだと気付かされた。
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