〜暗闇は茜色に〜
声が聞こえた気がした。
真っ暗な世界に、音しかない恐怖の世界に。
(……女の子?)
その声は震えていて、それでもどうにか振り絞って出したような声だった。
「……ぼ、僕が救急車を呼びます!えと、あなたは……!」
聞こえているこっちが不安になるような声。頼りのないそれは何故か私の感覚を取り戻さんとしていた。
(…………手が、あったかい?)
そんななんの情報も無い物に私は何故か安心してしまう。
「も、もしもし!……人が、倒れて、その!……」
聞こえたその頼りのない声は、その後もずっと私の耳に残っていた。
目が覚めて私の視界を埋めたのは真っ白な天井と、少し古びた蛍光灯。
窓が空いているのか、何処か涼し気な風が気持ちよかった。
「……!目が覚めたんですね!先生!天羽さんが!」
看護師の女性が私を見るなり去っていく。私は数年単位で意識を失っていたのだろうか。
そんな漫画みたいな展開は当然なく、担当医から聞かされたのは丸一日目が覚めなかったという事実だけだった。
更には私の病状についても不明な点が多いから、入院はして欲しいとの事だ。
当然私はそれを断った。
自分の病状は分かりきっている、担当医と数時間話してようやく入院の話を無しにしてもらった。
効果があるかは分からないが、目からの情報量を少なくするために、紫外線や諸々をカットするメガネを購入することを約束し、事なきを得る。
その話が終わると、両親が私を待っていた。私が倒れ、病院に運ばれた後、目が覚める数分前まで付きっきりだったという。
母は泣いていた。当然だ。
父にも当分の間は外出を禁止された。何が起こるかわからないからだ。
それでも、私には海外に治療に行くまでにやるべき事が見つかったのだ。
「ごめん、母さん、父さん。私の最後のワガママを聞いて欲しいんだ」
私は、私の意志を、彼の理想を、何処かの誰か伝えたかったんだ。
担当医から私が運ばれた時の状況を教えて貰った。私が倒れた時、通報してくれたのは私の母校の生徒らしかった。
しかし、平日の昼間ということもあり、救急車が来るなり、その子は何処かへと行ってしまったという。
まずはその子を探そうと思った。
更に私が伝えたい事。意志と理想。それを残すには学校が最も適していると考えた。
幸運なことに、母校の校長は私の恩師で、私自身も教員免許を持て余していた。
早速話をつけに行くと、当然断られた。
それでも、私に風が吹いた。
母校の美術教師が産休に入る事になった。その関係で約一年の間、美術教員が必要になったのだ。
私の恩師は渋々私を起用することにし、各諸々の手続きや許可に追われることになる。
御歳60近くの恩師にこんな苦労をさせてしまった事は、大変申し訳なく思ったが、私にはとにかく時間がなかった。
私は一年も居られないため、新年度の時点で二人の美術教員を新たに採用するのだ。当然苦労も多いだろう。
私も度々恩師と共に各方面へと赴き、その手伝いをした。
そして年は明ける。
慌ただしくすぎた時間はこの為にあったようで、私は晴れて教壇の上に立つこととなる。
目的は二つ。
私の意思や想い、そして彼の理想を不特定多数の生徒の誰かの心に残すこと。
そしてもう一つは、私を助けてくれた頼りない声の女の子を探すこと。
教師ということもあり、一つ目の事は容易に行えると思っていた。実際、ほぼ全ての学級の美術授業を受け持つのだ。当然忙しいが、機会が多い事は嬉しかった。
難航したのは人探しだった。一人称が『僕』の女子生徒は容易に見つかると思っていたが、全く居ない。
美術部の子に聞いてみたものの、成果は得られなかった。
そして私は出会う。正確には見つけただが、そんな事は特に関係ない。
ある平日の午前。
授業は午後からだったので、少し遠回りをして学校へと向かっていた時だった。
私が倒れてしまった公園に一人の女子生徒がいた。
(……サボりかな)
その子に話しかけなかったのはその手に持っていたものが原因だった。
まだ真新しいカメラ。
その子はそれを構えて何やら真剣に写真を撮っていたのだ。
その表情にどこか既視感を覚えたが、それが何故かは分からなかった。
邪魔するまいと声をかけなかったが、代わりに声をかけたのは近くの駐在所の警官だった。
そして私は確かに聞くことになる。
「あ、え!?いや、僕、生徒じゃないです!あっ!授業始まるから行かないと!ごめんなさい!」
その生徒は、訳のわからないことを焦りながら言うと、警官から逃げるように学校へと走っていった。
方面が学校だったからか、警官も後を追うことはなく、その場でやれやれとため息をついていた。
私は彼女の後を追うように学校へと向かう。
美術準備室に荷物を置き、職員室へと向かう。
目的は一つだった。が、それも簡単に達成されてしまう。
職員室に入るや否や、教師に説教をされている生徒がいた。学校に着きすぐに捕まったのか、カバンとカメラを肩にかけたまま怒られていた。
五分とせずに生徒は解放され、教室に戻っていく。
ため息をつく先生に私は話しかけた。
「今の子っていつもあぁなんですか?」
すると、その子の担任の先生は肯定する。
「……芦屋のサボり癖には手を焼いてるんです。ただ成績が悪くないからあまり強くも言えないんですよね」
芦屋 私はその子の名前を反芻する。
そして、すぐにその機会は訪れた。
放課後、私は部の子の絵を見るのに疲れて一度廊下に出た。
そこへ写真部に向かうであろう女子生徒─芦屋 茜が通りかかる。
「ふぁ……、お、こんにちは」
眠くなっていたのは事実だったが、こんなところを見られるとは思わなかった。
芦屋さんは会釈だけして、去ろうとする。
そんな彼女に私は少し悪戯してみたくなったのだ。
「ねぇ、キミ写真部でしょ、少し写真見せてよ」
あれだけ真剣に撮っていたのだ。良いものがあるに違いないと踏んでいた。
しかし彼女は目線を下げ、頬をかくようにすると言う。
「あ……、納得いくの撮れてないんでごめんなさい」
その仕草で彼女の左目の下に涙ボクロがあるんだとか、どうでもいい事を知る。
彼女のカメラを見る。まだ新しい事から、まだまだ初心者だと理解した。
それを差し引いても、あの表情で撮った作品を誇れてない事に少しだけ苛立ってしまう。
「あ〜、そういうタイプね。んじゃいいや!」
意地悪くそう言って一言邪魔をしたことを謝ると、私は美術部に戻ることにした。
その後、少し早く帰る私の目に映ったのは、何処か不満げにシャッターを切る彼女だった。
彼女のクラスの授業になった時、私はいつも通りの話を生徒にした。
皆真剣に聞いてくれている中、芦屋さんだけは少し驚いたように私を見ていた。
その日の放課後から、私は私の目的が少しずつ達成されていくことを感じることになる。
美術部の子はもちろんだった。嬉しいと思ったのは、芦屋さんがその日から毎日部室に行くようになったのだ。
帰りのホームルームが終わると、廊下を早足で歩く彼女の姿が見えるようになり、休日には公園で見かけることもしばしばあった。
そんな彼女の変化が私はとにかく嬉しくて、応援したいと思った。
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