〜天羽倫子という人間〜

 人生なんて自分の好きなように生きていたいと思っていた。

 私──天羽倫子は奔放な人間だ。

 これは客観的な意見であり、主観的なものでもあった。

 幼い頃から外の世界に興味を持ち続け、出掛けることや、その地で見たものを写真に収めることが好きだった。

 両親は芸術に興味があったこともあり、写真だけでなく音楽や絵など、幼い頃私に多くの刺激を与えてくれた。

 小学校の高学年になる頃には、お高いカメラを買い与えられるほど大切にされていた。

 中学、高校と写真に加え、絵や音楽の感性を磨き、様々な賞を取ってきた。

  もちろん全てのコンクールで入賞できた訳では無いけれど、私の人生の中で誇れることの一つではあった。

 大学は芸術に特化した所に入り、自分の納得のいくまで作品作りに耽っていた。


 そんな私にも彼ができることになる。

 きっかけは些細なもので、とある授業で席が見当たらず、やむ無く見知らぬ人の隣に座ったことだった。

「……写真、撮るんですね」

 彼のカメラを見てつい、話しかけてしまった。

 私の突然の言葉に彼は少し戸惑っていたけれど、共通した部分があったことが、二人の距離を簡単に縮めていった。

 その後は二人で写真を撮りに行ったり、出掛けたりと大学生らしい青春を謳歌することが出来た。

 彼を知る度に、また彼に惹かれていた事はよくわかっていたし、そんな感情がどこか新鮮で嬉しいと思えた。

 彼に連れられて海外へ写真を撮りに行くことも数回あった。

 その度に彼は「将来は世界の全てを写真に収めたい」なんて恥ずかしそうに夢を語った。

 卒業と共に同棲を始め、彼は数年働くとフリーのカメラマンに転身する。

 私もついていける範囲で彼と共に世界を旅し、写真を撮った。

 忙しくて金銭的にも余裕があるわけではなかったけれど、この生活が好きだった。

 旅から帰った彼を優しく抱きしめる瞬間が人生で一番の幸福だと信じていたのだ。

 でも、現実は残酷だった。

 彼の両親から連絡が来た。

 彼は依頼された仕事で海外に出ており、そこでの仕事中に亡くなったのだという。

 突然のことに暫くそれが真実か判断がつかなかったが、帰宅の日を迎えても彼が扉を開かない事を理解し、その日は一日中泣いていた。

 葬儀はあまりにも短く感じた。

 遺族の言葉も、周りの啜り泣く声も、全てが雑音でしか無かった。

 話しかけられることもあったけれど、まともに話せるような心理状態ではなかったため、告別式等はものの数時間で退席した。

 彼の両親は優しく、そんな私を気遣ってくれていたが、返ってそれが私の心の傷を深めていった。

 彼と暮らしたアパートを引き払い、実家に戻ると両親は私の事を察してか、無理に励ますようなことはしなかった。

 ただ、規則正しい三回の食事と、暖かい湯船を用意して私が立ち直るのを待ってくれた。

 彼の居なくなった心の穴が、その風通しに慣れるのに三年以上もかかった。

 その間はひたすらに絵を描き、音楽を作り、そしてカメラを手に取った。

 何かを忘れるためにではなく、彼の想いを引き継いで、今度は私が世界をレンズに写そうと考えたのだ。

 作品は様々なコンクールや雑誌に投稿し、度々評価を受けた。


 しかし、世界は優しくはなかった。


 突然、私の世界が暗闇になったのだ。

 初めは一瞬。普段通りの生活の中、視覚情報が消えた。

 ブラックアウトしたように目の前が闇に包まれてしまったのだ。

 その一瞬に焦っていると、まるで何事も無かったかのように視界は元の世界を映し始める。

 日を増す事にその頻度は上がり、ついには一回の時間が分単位で起こってしまうようになった。

 暗闇の世界はいつも孤独で、音が聞こえている分その恐怖や不安感は大きかった。

 特に人と話している時や、歩いている時に起こると悲惨なもので、会話を止めてしまったり、立ち止まる必要が出てしまう。

 初期症状が出た段階で医者にも診てもらったが、全くの正体不明の病であることしか分からなかった。

 私はSNSやインターネットを使って、この病状について情報を持っている人を探すことにした。

 数ヶ月経つと少しずつではあったが、それらしい情報が入ってきた。

 私の目の病気はどうやら現在の日本の医療では治らないらしい。更に、場合によっては命にも関わるものだとわかった。

 そんな、突然の緩い余命宣告に私は実感をもてなかった。

 ただ時折、目が見えなくなるだけの物だと思い込んでいたからだ。

 そして、私の思い込みは崩れ、一気に生への執着に変わる出来事が起こる。

 普段通りの生活の中、近くの公園に写真を撮りに行った時の事だ。

 幾つかの賞を取っていたこともあり、私は少しだけ調子に乗ってサングラスなんてして出掛けていた。

 遊具で遊ぶ子供たちを見ながら、被写体を探す。

 少し歩いて、公園の広場のシンボルである大きな杉の木の下まで来ると、少しずつ撮りたいものが固まってきた。

 そうして、サングラスをかけていることも忘れてカメラを構えた瞬間だった。

 頭に何かドロっとした物が落ちてくる感覚が私を襲った。それは次第に脳を蒸発させんとばかりに熱を帯び始める。

 視界は既にブラックアウトしており何も見えず、ただ子供の声と近くを通り過ぎた車の音、そして鳥のさえずりだけが私の世界となった。

 立っていられなくなった私は、その場に座り込むと、やがて意識が朦朧として倒れてしまう。



 最後に聞こえたのは自分が倒れる音と、頬に触れた土が擦れる音だけだった。


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