exit《the Spell》

 翌日。


 煉は二時間程前に朝食を取り、それから諸用を済ませて今し方一息ついた所だった。


 短く息を吐き、どさりソファに腰掛けつつ脚をゆったり組む。そしてテーブルの上に起きっぱなしにしていた携帯端末を手に取り、或る人物の電話番号を表示。くい、とセルフレームの茶縁眼鏡を上げ、番号に間違いがないのを確かめてから通話ボタンをタップし、耳に当てた。


 呼び出し音が五度鳴った後、受話器の向こうから『はい、もしもし』と極めて平坦な常套句が返ってくる。


「あーもしもし? おっひさー、元気かよ? ……うん、そうそう。まさかの俺、三春煉様。俺からの電話とか滅多にねーことだぜ? 喜びたまえよ」


 こちらが誰であるか解った途端、相手は若干驚いたような声を一瞬漏らしたが、それも直ぐに冷静なものへと戻った。その相変わらずな様子に「変わんねーな、君は」と思わずにやりとしながら、受話器の向こうから投げかけられた問いに答える。


「やー、まあね。ちょっと今日“そっち”行こうかと思ってさ。いや、何しに行くって訳じゃないんだがよ。君、今日暇だったりする? ……おー、マジで? ……応、じゃあその時間に。久々に飯でも食おうや。……うん。ちょっとぶらぶらしてから行くから、何かあったらまた連絡するわ。じゃあな、」


 たすくん、と相手の愛称を呼び、通話終了を押した。


「さて、と」


 立ち上がり、黒いスキニーパンツの後ポケットに携帯端末をじ込みながら、その足で寝室へと向かう。


 ドアを開けると、静かな寝息が聞こえた。く音を立てぬようベッドの方へ向かうと、横向きの胎児のような姿勢で何とも気持ちよさそうに惰眠を貪る姿がそこにあった。


 その光景に思わず溜息を漏らし、


「はー……もう。飯食ったあと横になるな、っつってるのに」


 などと呆れたように呟きつつもベッド脇に腰掛け、緩く丸めた左手で白い頬に軽く触れる。何度か繰り返しふにふにとした感触を楽しむ。すると、「うぅ……」とくぐもった声が聞こえたと同時、長い睫毛が少しだけもたげられた。


 眠そうなまなこがぼんやりこちらを見ているのを認め、頬を弄んでいた手を頭に移動。ゆっくりと髪を撫で、その滑らかな感触を楽しみつつ口火を切る。


「俺、ちょっと出掛けてくるわ。昼の分は冷蔵庫に入ってるから、温めて食っててくれ、な?」


 未だ夢から抜け出し切れていないぼやけた空気を纏いつつも、不機嫌を露わにする顔。その何とも言えない不貞ふてくされ顔に「悪い」と思わず苦笑が漏れた。撫で方を変え、なだめるように軽くわしゃわしゃとする。


「晩飯までには絶対帰ってくるから待っていたまえ。何も日がな一日居ねえって訳じゃないからよ」


 言うと、それなら勘弁してやるが絶対帰ってこい、と言わんばかりに眉をしかめられた。しかし、やがてゆるゆると眉間に寄った皺がなくなり、それに伴い睫毛が降りる。どうやら睡魔には勝てなかったようで、夢に落ちてしまったらしい。「欲求に素直なことで」と先程とは種類が異なる苦笑を漏らしながら、ゆっくりと立ち上がる。


 そして、柔らかな桜色がさす頬に、


「じゃ、行ってくる。愛してんぜ」


 と、静かに唇を落とした。


 静かに扉を閉め、転移テレポートの準備に取りかかる。無声にて開錠ログインし、天啓メッセージに座標――目的地を無声宣言した。直ぐさま円環アニュラスが彼の頭上と足下に生じ、二つは引かれ合うようにして重なる。


 神隠しのように忽然と消えた男が向かった先。


 それは、日出づる国が首都、和歌山某所である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Cyber Sorcerer 高坂 悠壱 @tetracode

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ