009. add-on
散り、小さく爆ぜる青白の稲妻。
反射的に煉は体ごと振り向く。己の背面に小さな体を隠し守れるようにした。
床に伏した男と二人の丁度真ん中、その空中に生じたは小さな円。それは即刻
最早、エンカウントは免れない。スパークを聞いた時点で
その
東洋人らしい起伏のなだらかな顔つきや体つきは幼子特有の丸みを帯び、未だあどけなさが色濃く残る。
直ぐさま
長く柔らかな睫毛を緩慢に
「あなたが、第六位の
と告げた。限りなく黒に近い焦げ茶の瞳を綺麗な曲線にして、にこにこと。
少女にとっては耳慣れぬ異国の言葉。しかし、“パンタレイ”と自分のIDを呼ばれたことだけは解ったのだろう。先程まで煉のスーツの裾をぎゅうと握り、怯えたように前方を見ていたリーゼロッテだったが、愛らしく自分以上に幼い
だが、
「行くな」
煉は声で
おろおろと惑う二つの紫を向ける少女に対して、成る
運良く少年は気付いていないようだが、煉は一度彼と会ったことがあるのだ。この少年、外見こそ無力が服を着て歩いているようなそれだが、これ程に害悪な存在などこの世に数える程しかないと煉は断言できる。故に、邪の化身たる少年がリーゼロッテに危害を加えようと考えている可能性が無いわけではない。
少年はくすっと笑う。
「うーん、コトバ解らないからなんとも言えないけどさー。ぼくの側に寄らせたくないみたいだね?」
言って、くすりと。しかし、その笑みは先程のものとは些か異なりを見せていた。
汚れを知らぬ無邪気さ故の残虐性を孕んだ笑顔。幼気なその笑みは、あどけない面立ちにそぐわぬ成熟しきった翳りと、老成した狡猾さをも内包している。少年が有すそれは、祖母への使いを頼まれた少女を喰らった童話の狼のようで。
相反する気配を湛えた侭、少年はこちらへと歩み始めた。
「何も直ぐに取って喰おうってわけじゃないのにさ」
少年の瞳孔が、円から徐々に横長の楕円形へと変わる……歪曲空間への極めて高度な干渉により引き起こされる生理作用、“対
歪曲空間に対し、三春煉よりも更に上の【権限】を持つ彼ら《にのみ起こる、瞳孔括約筋の特殊収縮。
「まあ、あなたたちが何をしようと、どんな抵抗をしようと、ぼくには全く意味がないわけだけど」
山羊の如しその瞳孔は、恰も天魔の眼。
邪悪を纏い、ぎきっと歯を軋ませて少年が笑声を漏らしかけた時だった。リーゼロッテが急に煉のスーツの袖をぐいぐい引っ張り始め、少年の方を何度も指さし、煉と少年を見比べながら口を必死に動かして何かを伝えようとしている。
少女の行動に、「おいおいどうしたよ」と困惑したのは煉だけではなかった。少年も「え? 何?」と状況が飲み込めていない。しかし、その行動の理由は直ぐに明らかになる。
ふ――と急に、少年の全身に影が落ちる。
先程煉が倒したはずの男が起き上がり、「こン、の……ッ!」と唸りつつ腕を振り上げていたのだ。
怒りと混乱で標的を見失った拳、この侭だと少年が喰らう。屈強な腕が放つそれを子供が喰らえばひとたまりもないだろう。良くて骨折、最悪、死に至る可能性もある。
思わず両手で顔を覆うリーゼロッテ。今は未来を知り得ない彼女が脳裏に描き出しているのは、恐らく惨劇以外のなにものでもない。
だが、彼女が恐れている惨劇は起こらない。決して、この少年には《起こらない。
煉は、それを知っている。
そして、豪と唸る鉄拳が、空気を裂き振り下ろされた。
「――あ?」
怒りも混乱も消し飛ぶ程、男は唖然としたのだろう。疑問の声を漏らし、口を開けたまま目を白黒させている。全力で振るった筈の拳が目標物、もとい少年の三十センチメートル程前で力を失い停止していたのだから。
「急に殴り掛かってくるなんて、危ないなあ」
そんなことを宣いつつ、平然と少年は笑う。意気地悪く口の端を上げる少年を中心として、半径五十センチ程の
少年もまた、最強の盾を有していたのである。
防御の光景も、“最強の盾”という点も、煉が
ベクトルが自らに向いたものは物理的衝撃であれ、
くすっと笑いながら、少年はナイフを無声で
「
呻き、その場に崩れる男を見下ろしながら。矢張り下劣な笑みの侭、少年はくすくすと笑声を漏らす。そして再び煉・リーゼロッテの方へと向き直った。
ゆっくりと歩み寄り距離を縮める少年に気圧されているのか、少女がスーツの裾をぎゅうと掴み、かちかちと歯を鳴らしている。
赤い雫を垂らすナイフを向けてくるのかそれとも他の手段で攻撃してくるのか、何を仕掛けてくるか解らない。決して解らない《。いつでも防御態勢を取れるように煉は構えた、が、
「――《
少年が何処か淫靡に唇を動かして唱えた
紫電が爆ぜ、少年の目前に巨大な紫のモニタが出現。パーソナリティデータ、
そして、実行されたのは
リーゼロッテは「侵かされ、無理矢理モニタを起動させられた」という、自らの身に起こったことが受け入れられず混乱し、悲鳴を飲み込んだような呼気を漏らす。続いて干渉に由来する負荷によって平衡感覚が乱され、数歩たたらを踏んでしまう。ぐらり傾きそうになった小さな肩を、寸でのところで煉が支える。
二人の様子など意に介さず、強制的に引き摺り出したモニタを「へえ――」と舐め回すよう見、
「あーあ、残念だなあ。予測の
独りごちるように喋っていた少年だったが、「というわけで」と改めて二人に言葉を投げかける。いつの間にやら、その小さな体躯を取り巻いていた“不可侵の青”の煌めきも、少女の紫水晶色のモニタも消失していた。
「今日は大人しく帰るよ。あなたたちには何もしない」
にこり、と微笑む彼の足下と頭上を、逡巡の間に生じた
「じゃあね、パンタレイ。そして――面白そうなお兄さん。そこそこ【権限】持ってる
先程、少年が
その仕草が終わらぬ内に二つの
表情に未だ怯えの名残を見せるリーゼロッテの頭をぽんぽん撫でながら、
「何か変なちびっ子が来たり、そいつが
と、笑いかけてやる。少女に悟られないよう、ちらりと刺された男の方へと目を遣った。男は起き上がらない。
少女がこくんと頷くさまを見つつも、
閉じゆく
愉し気に細められた黒茶の眼が、こちらを見ていた気がした。
***
ばり、と青白い閃光が散る。軈て生じ、分離した
だが、青白色の電光も
「帰還したぜー」
少女と共に床に着地しながら告げた煉の前に、彼ら――椅子に腰掛け机上で手を組んだ男と、その傍らに立つ青年が居た。座っている男の方はまだ壮年期に入って間もないと見えるが、その年齢よりも遙かに練り上げられた威厳を纏っている。だが、急に席から立ち上がった途端その顔からは険しさが消え、驚きに眦を決すが、
「リロ!」
とパンタレイ――リーゼロッテの愛称を口にした瞬間に、安堵が満ち溢れた。
普段からは考えられぬ男の様子にリーゼロッテは一瞬面食らったようだったが、堰を切ったように男、もとい、父親の元へ駆け寄る。
「無事で、良かった」
愛娘を抱き止め、噛み締めるように告げた男の表情。それを見た瞬間、煉の脳裏に少女が自分に問うた言葉が過ぎる。
あの、父が依頼したのは、予言者としての私――パンタレイの救助でしょうか。それとも、ただの私――娘の救助でしょうか?
目の前の光景に、思わず淡い微笑を浮かべながら、
――君が心配することは何もねえよ。
そう内心呟き、満足気に鼻を鳴らす。その一方、ある思いが彼の心に翳りを落とした。
いつから自分は人の皮を被っていたのか。今の自分の「それ」が、無償の物であるはずがない。そもそも採るべき選択肢は本当に「これ」だったのか。己が置かれた舞台の上、矛盾した自らに過ぎる遣り切れない思いの侭、
「俺は――俺はどうしたいんだろうな」
我知らず、そんな言の葉が零れる。煉が声を発したのに気付いたのか、男がこちらを見た。その視線に「いんや、何でもない」とはぐらかすように答え、
「まー、感動の再会してるところ悪いけどよ」
と、頭を軽く掻いた。
「もう、こっそりひっそり現場に軍か何か派遣してんだろ? トラックに寿司みたく押し込まれてんだろうなー可愛そうに。掛けといた色んなロック解いてねーから、突入するとき言って貰わないと特攻できないぜ?」
男はふと我に返ったように「あ、ああ解った」と返答し、傍らに佇む青年に視線を送る。青年が首を縦に振ったのを認めると、二の句を継いだ。
「百秒後に突入を行う」
「オーケーオーケー、呆れるほどに迅速だねえ。じゃあその直前に解除するわ。ま、突入してもみんなぐっすり寝てると思うぜ?」
「どういうことだ?」
「今回お宅の開発部からテスト頼まれた弾で乗り込んでみたのよな。一発で即効く
情報を搾り取る人間をより多く確保出来るのはでかい利点だけどな、と続けた後、にやり、と件のえげつない笑みを浮かべてみせた。
「しかし幾ら娘が心配だからって、早急に権力を行使しすぎじゃないかね君、んん?」
「なッ」
煽り文句に男が反論する前に、「あと、持ってきたぜ。それ」などと宣いながら内ポケットから或る物を取り出し、男に向かって軽く投げる。それを見事キャッチした男が手を開くと、角砂糖大の白い記憶媒体が姿を現した。
「流出はしてない。君の言う通り、プロテクト解除にものっすごく手こずってたわ」
「そうか。まあ、我が国が誇る技術は、テクノロジ分野に於いても世界一と言っても過言ではないだろうからな」
凄味を利かせ、だが誇らしげに男は口角を上げてみせる。その満足そうな表情と突入十秒前に免じ、技術は世界一という自負を突き崩す「俺なら一日ありゃ外せるけどよ」の一言を元クラッカーは飲み込んでおくことにした。シンジケートに掛けたあらゆる出入口のロック等々を遠隔解除しつつ、
「任務終了、報告は取り敢えず以上。詳細はまた後日に。これで解散、ってことでオーケー?」
軽口を叩くその頭上と足下、既に
「ああ、ご苦労だった」
「俺もうお家に帰りたくて帰りたくて仕様がなかったのよ。それじゃ、お疲れー。あ、ツンツンしてないでこれからは娘にもっと露骨に愛情注いでやり給えよー」
ひらひらと適当に左手を振るその姿は上下末端から
「……努力、しよう。娘を助けてくれて感謝する」
と男が告げた言葉が煉の耳に届いたのか届かなかったのか。それは煉本人にしか、解らない。
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