塵の子供たち 他短編

パウロ・ハタナカ

第1話 願い

 波打ち際の岩場には、綺麗な花の模様が彫られていた。


 丁寧な仕事ではない。

 しかし美しい。

 花開いた瞬間の描写なのだろうか、私は花を彫った者の執念にも似た感情をそこに垣間見る。


「祈りだ」

 老人はそう言葉にした。

「波に打たれるたびに、神への祈りが行われる」

 私は濡れるのを気にすることなく、岩場に彫られた花模様に近付いた。

 彫られた花の断面にそっと手を添える。


 指先で感触を確かめるように、ゆっくりと触れていく。

 波に打たれると、花の表面が息づくように暖かくなる。


「誰がこれを?」

 振り返るとそこに老人の姿はなかった。


「聖職者だ」

 となりで声がした。驚いたことに老人は私のすぐ隣に立っていた。

「孤独に生きた悪魔の成れの果てだ」


「悪魔が聖職者に?」

 私がそう訊ねると、老人はゆっくり頭を振る。

「堕天使のがすべて悪だった訳ではない。人の子を愛したが故に、地に堕とされた天使も多い」


 神は時に残酷な行いをする。

 いや、そうじゃないな。

 神はいつだって傲慢で身勝手だった。


「孤独な悪魔は何処に?」

 老人は何も言わず歩き出した。

 汚れてくすんだローブを引きずりながら、老人は波打ち際を裸足で歩いた。


「悪魔はそこの棺で眠っている」

 海岸沿いの洞窟。

 ぽっかりと開いた穴の側に、岩を削って造った無骨な棺があった。


「死んだのか?」

 老人は頭を振った。


「なら、この棺は?」

「眠っている」

 棺に触れると、いくつかの鮮明なイメージが見えた。


 女がいた。

 すみれ色の美しい瞳を持つ女が。

 彼女を愛した男がいた。

 力強い金色の瞳を持つ男だ。


 二人は愛し合い、やがて子をなす。


 美しい娘を抱いて、男は神に祈りを捧げ、そして感謝した。

 けれど男の祈りが神に届くことはなかった。


 洪水は全てを飲み込んでいった。

 男の娘も、男の愛した女も。


 私は棺から手を離すと、老人に向き合った。

「子を殺した感想は?」


 老人は頭を振る。

「数億いる子供のひとりを死なせたからといって、何を感じる必要がある?」


「彼は何を願って、あの花を彫ったんだ?」


「復活の日がやってこないことを」


「忘れないために、永遠の死を願う……か」


「お主は死を恐れるか?」


「考えたこともない」私はそう言って海に視線を向けた。


「そうか、なら恐れた方が良い。死は平等に全ての生命に与えられるものだからな」


「死を嘲笑うものが、死について説くのか」


「宇宙が空にあるように、私も、そしてお主も、いずれは宇宙の塵に還る」


「神でさえ理に抗えないのなら、救いはあるのか? 希望は?」


「人は安らぎを得るために、神を信じる」


「なら神に裏切られた者たちは……彼らは何を信じれば良い?」


 老人は何も言わない。


 岩場に打ち付ける波の音だけが聞こえた。

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