夢Ⅰ

河野章

夢Ⅰ

 妙な目にあったことはないですけど、ちょっと変な夢を見たことはありますよ。

 そうKさんは語った。

 Kさんが小学校5〜6年生の頃のことだという。毎晩見る妙な夢があった。

「場所は決まって、家の近くの国道にかかる橋の手前なんです」

 そこは通学路からも外れた学区外だったが、その橋がかかる大きな川や河川敷はKさんたち小学生男子の格好の遊び場になっていたという。河口の近い、緩やかな川にかかる大きな橋だった。

「だから、馴染みの深い場所ではあったんです。夢に見ても不思議じゃなかった。ただ、夢と実際とが大きく違うのは、夢ではその橋に人っ子一人、車の一台も通っていないってことでした」

 それは実際、国道上下4車線の大きな道路の延長にあった橋だという。

 いつもは交通量も多く、歩道部分には犬を散歩させている人やカートを押す老人などが多く行き交っていた。交通事故も多く、橋の両側には事故注意の看板があったほどだという。

 そこに夢の中では誰もいない。時刻は夕暮れのようで、空は一面灰色がかった朱色で、一人で立ち尽くすKさんの影も大きく伸びていた。

「そこでぼんやり立っているとですね、こういきなり、頭の中に声が響くんですよ。『真ん中を歩け』って」

 真ん中ですか?とつい私は尋ね返した。Kさんは真面目な顔で頷いた。

「そうです。こう、ぐわあんと響くような男とも女ともつかない声が一言、『真ん中を歩け』って言ってくるんです」

 子供のKさんが立ち尽くし動かないままでいると、その声は一定の間隔を開けて、再度「真ん中を歩け」と言ってくるという。とても妙な話だった。

「そう、妙なんですよ。確かに、車も人もいませんから、歩こうと思えば歩けるんですけど……普段の交通量を知っているから、夢とはいえ怖いじゃないですか。だから、僕は毎晩夢で躊躇するんです。行こうかどうしようか、声は散々煽ってくる。それで迷っているうちに目が覚めるんです」

 それが10日あまりも続いたという。

「気になってきたから、実際に国道の橋を見に行ったりもしました。けど特に何もないんですよ。いつもどおり、たくさん車が通っているだけ」

 その夢が少しずつ変化しだしたのはその頃だという。

「声は変わらず、『真ん中を歩け』って言ってくるんですけど……その橋の真ん中に、妙なものがあることに気づいたんです。ものっていうか跡っていうか……赤黒い、シミのようなものと何かの残骸です。高いところからグチャって落ちてきた、そういう感じでした」

 Kさんは目の前に腕で輪っかを作ってみせた。これくらいの大きさです、としれっと言う。橋の手前から背伸びしてようやく見える位置にそれはあったという。ちょうど橋の真ん中あたり、盛り上がったそれをKさんは背伸びして眺めた。

「それが、毎日夢を見る度に、最初は生々しかったものが、だんだん色褪せてきたんですよ。赤黒いのから赤茶色に、黒っぽいシミになって最後はうっすらとした赤に灰色の跡が残るだけになってました」

 夢を見出して20日目くらいだという。

 十分妙な夢じゃないですかと私が言うと、そうですかねぇ、とKさんはそう気味悪がってもいない。そして、まだ終わりじゃないんですよという。

「それで、ある日ふいに夢を見なくなって……気にもしなくなった頃に、友達と河原で遊んだんです。長袖を着ていたから秋だったと思うんですけど、夕方でした」

 友達とボールで遊んでいたKさんは、なんとなく橋の上が気になった。だからわざとボールを蹴飛ばして遠くへやり、拾ってくるふりをして河原の土手を駆け上がったという。

「そうしたらあったんです、車が行き交う橋の真ん中にあの赤黒いシミが。カラスか何かがぶつかったんじゃないかと今では思います。そういう、今まさに何かが飛び込んで轢かれた、そういう生々しさでした」

 小学生のKさんは妙に納得して、その場を去って友人のもとへ帰ったという。

「あの夢はカラスの死を予知したんじゃないかと思うんですよね」

 酒を手に笑うKさんの楽観さが私には少し怖かった。なのでつい聞いてしまった。

「じゃあ、『真ん中を歩け』の声は何だったんですかね……」

「さぁ。……僕にじゃないと思いますよ、あんな交通量の多いところで僕はそんなことしませんもん」

 変な夢でしょう?と笑うKさんに私はそれ以上何も言えなかった。



【end】

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夢Ⅰ 河野章 @konoakira

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