季節で言うなら春が好き
真樹
第1話
「それで、睦月さんに聞きたいことがあるんだ」
暖房が切られてしばらくたち、うすら寒い放課後の教室で少年と少女が椅子に座って向かい合っていた。
少年は少し緊張をにじませた面持ちで。
睦月と呼ばれた髪の長い少女の方はけだるそうに椅子の背もたれに体をあずけている。スマホをいじっていたが、少年が話し出したのを見て、画面を伏せて机の上に置く。
「何? 私、早く帰りたいからさっさとしてね、佐野くん」
「あ、ごめん。何か用事があるならまたあとででも」
「用がないと早く帰りたくちゃいけないの?」
何も用がないけど、早く帰りたいだけだったようだ。
「……よく考えたら俺も用が無くても早く家に帰りたいわ」
「でしょ?」
究極言えば学校なんてさぼって家でごろごろしていたい。
佐野は納得したようにうなずいて、さっさと用件を述べた。
「立夏さんって、誰か好きな人いるのかな」
睦月はぴくっと眉毛を動かした。
「それ、立夏本人に直接聞いた方がいいんじゃない?」
「わ、わかってるけど、そういうわけにもいかないじゃん。……睦月さん仲良いから、知ってるかなーと」
「んー、さぁ。私たち、あんまりそういう話しないから」
佐野は意外そうな顔をする。
「女子ってそういう話よくするんじゃないの?」
「人によるんじゃない? 知らないけど」
佐野は困ったような表情を浮かべたあと、思いついたようにぱっと口を開いた。
「じゃあ、好きなものは知ってるんじゃない? なんかこう……仲良くなるきっかけが欲しいっていうか」
「ふーん……。立夏のこと好きなんだ?」
睦月の単刀直入な指摘に、佐野の顔が赤く染まる。
「そ、それは……! ……まぁ」
否定しようとしたが、途中でやめて曖昧に肯定した。
睦月がいじわるっぽくにやにや笑う。
「そーだね……食べ物だったらスイカかな、甘いものなら大体好きだけど」
「スイカかぁ。俺も好き。でも加工したやつは苦手」
「立夏もそう言ってた。スイカ味の加工品でおいしいのって、大体メロン風味になってるよね」
佐野はスマホを取り出して、一言断ってからメモを取り出した。
「趣味はーーハイキングとかアウトドア系だっけ?」
「まぁそんな感じ、部活も登山部だし。でも、意外と映画見たり音楽聞いたりするのも好きって言ってたかな」
「へぇ、どんなの?」
「それは本人と会話して聞き出すべきじゃない?」
確かに、とうなずく。
「ええとあとは、好きな色は黒か青系、好きな教科は体育と美術、一番好きなお菓子はじゃがりこサラダ味、好きな匂いはシトラス系ーー一番好きな季節は、冬だったかな」
佐野はせっせとメモを取る。
「ありがとう、参考になった」
「いえいえ、こんな程度でよかったら」
睦月はひらひらと手を振った。
「時間取らせてごめんね。今日はありがとう」
「いいよ別に。最初のは冗談だし」
「そうなの? 俺は帰るけど、睦月さんは?」
「私、学校でやらなきゃいけないこと思い出しちゃったから、少し残ってく」
佐野は何度もお礼を言いながら、教室を後にした。
完全に姿が見えなくなったあとで、睦月は机の上に置いてあったスマホを取り上げる。
画面は通話中。耳に当てて、通話相手に呼び掛ける。
「もう帰ったから、来ていいよ」
『「……趣味、悪すぎじゃない?」』
その声は、電話ごしと直接とでダブって聞こえた。
教室の入り口あたりで、ショートカットの少女がスマホを耳に当てながら佇んでいる。
不満そうな顔のまま、教室へ入ってくる。そして、睦月の正面に立った。
「通話中のままにするなんて。どういう意図があったわけ?」
「え、別に。そっちが切ると思ってたの。むしろなんで切らなかったのか不思議なんだけど?」
睦月はしれっと答える。隣の席の椅子を持ってきて、自分の座っていた椅子の隣に並べた。
「立夏、立ち話もなんだし座ったら?」
立夏は何か言いたそうに口を開いたが、途中でやめ、おとなしく言われた通り椅子に座った。
睦月は足を組む。
「立夏、今日アイス食べに行くんだったよね。この寒いのに、ほんとアイス好きだよね。佐野くんのせいで遅くなっちゃったけど、今から行く?」
「……」
立夏はむすっとしたまま口を閉じている。
睦月は彼女の顔を覗き込む。
「何、立夏ちゃんは何が不満なの? 言ってくれないとお姉さんわかんない」
「お姉さんって、睦月の方が年下じゃん。七か月も」
反射的に答えてしまって、立夏ははっとした表情を浮かべた。睦月は楽しそうににやっと口元をゆがめる。
それでもしばらく立夏はごにょごにょしていたが、やがて答えを口にした。
「なんで佐野くんに、わたしの好きなもの教えちゃったの」
聞いた睦月は、一瞬きょとんとして、それから腹を抱えて笑い出した。
立夏は怒った顔でその肩を叩く。
「ちょっと、今の笑うとこじゃない! 反省するとこ!」
「ご、ごめんごめん。一番怒ってるのそこなんだーってびっくりした」
「むしろここしかないじゃん! 他にどこで怒ればいいの!?」
「私が二人っきりで佐野くんと話したこととか」
立夏はぽん、と手を叩いた。
「あーなるほど。確かに。じゃあ怒る。今怒る」
「……言わなきゃよかった」
顔色に後悔をにじませる睦月。
立夏は今更開き直ったように足と腕を組んでふんぞり返る。
「大体さ、人の好きなものそうやすやすと教えたらダメでしょ! マナー違反ですよ」
睦月は顎に手をあてて、少し考えこむポーズをとった。
「どうして?」
「どうしてって……」
「だって、中学生のころとか、新学期になると自己紹介カード書いて教室に飾ってなかった? 趣味とか好きな食べ物とか。その程度のことしか教えてないと思うし、一般に公開しても問題ないんじゃない?」
「佐野くんのこと一般て呼ぶのやめようよ……」
睦月は妙なところで理性的だった。立夏はちょっと悩む。
「で、でも自己紹介カードはわたし自身が公開していい情報を選んで書いてるじゃん? もしわたしがみんなに自分の好きな色知られたくなかったらどうするの?」
「ーーそんなに好きな色知られるの嫌だった?」
「わたしの言いたいことわかっててはぐらかしてるよね?」
「それは誤解だよ? わかっててからかってるの」
睦月はくすくすと笑いを漏らす。
「でもそうだね、勝手に公開したのはまずかったかも。じゃあ謝罪する。どうもすみませんでした」
深々頭を下げる。
立夏は満足そうにうなずいて睦月の肩を叩く。
「しょーがないなぁ。ゆるしてあげる」
「ありがたき幸せ」
睦月がおどけたように感謝の意を伝える。
「じゃあ次は佐野くんと二人で話してた件について怒るね」
「忘れてないし……マジか」
睦月は嫌そうな顔をする。
それから授業中みたいに手を挙げた。
「はい、先生。そもそも佐野くんと話すことになったのは、立夏さんのせいなので私は悪くないと思います」
立夏は立ち上がって、課題をやってる途中に先生が教室を歩き回るときのように睦月の周りをくるくる回る。
「睦月さん、でも断ることもできたでしょう。なぜしなかったんです?」
冗談ながらも、少し不安の色がにじんでいた気がした。
睦月は、深刻そうな顔でうつむく。
「実は……」
もったいぶった間に、立夏が息をのむ。
「声かけられたとき、『睦月さんが一番立夏さんと仲いいよね?』って言われて、調子乗って『うん』って言っちゃったから断りづらくて……」
「……っん、んん……! それは……しょうがないね!」
恥ずかしそうに身をよじったあと、全力でガッツポーズ。
勢いよく席に座りなおす。
「ね、しょうがないでしょ」
「しょうがないねー。一番仲良しだもんねー」
「ね、いろんな意味でね」
「いろんなって、どんな意味?」
ちゃかすように問い詰める立夏。
睦月は余裕の笑みを返してから、耳元でささやく。
「どんな意味だと思った?」
立夏は肩をぴくっと動かしてから、睦月がいるのと反対方向に斜め後ろへ身をのけぞらせた。
「……べ、別に。」
睦月はそれをいとおしそうにながめる。
立夏は切り替えて話題を変える。
「でもさ、不思議なんだけど」
「何?」
「なんで佐野くんに『立夏は好きな人いるから』って言ってくれなかったの? そうしたら、佐野くんも諦めてくれてちょうどよかったのに」
「『好きな人って誰?』って聞かれたら、私はなんて答えればいいの?」
睦月の言葉には、冷たい響きがあった。
立夏はぐっと唇を噛む。
それから、睦月の肩にそっと寄りかかった。
「……今、外で未知のウィルスとか発生して、わたしたち以外いなくなっちゃえばいいのにね」
立夏は窓の外に視線を送りながら、ぽつりとつぶやく。
「私はヤダ」
睦月のきっぱりとした否定に、立夏はずっこけた。
「だって、二人しかいなかったら、もう一人を選ぶしかないじゃん。七十億人もいる中で私を選んでくれたっていう事実がいいんだよ」
「……そっすか」
立夏は照れくさそうにそっぽ向く。
二人はどちらともなく手をつなぎ、指を絡ませた。
「帰ろっか。アイス、食べに行く?」
「……睦月の家行きたい」
「いいよ。ココア淹れてあげる」
「うん」
二人は手を離し、教室を後にする。
廊下を歩きながら、立夏が思い出したように話し出す。
「そういえば、一個だけ間違ってたよ。わたし、季節は夏が好きだよ。名前も立夏だし」
「ほんと? でも、立夏って五月生まれでしょ。なんで名前に夏って入ってるの?」
「あー、立夏って、立春とか立秋みたいな季節を表す言葉なんだけど、それって昔の暦なんだよね。今と微妙にずれてるっていうか」
「ふーん。どうでもいいけど」
「おい! わたしの名前の由来大切にして!」
睦月をひじで小突く。
「はいはい。じゃ、誕生日とは関係なしに、名前に夏って字が入ってるから好きってこと?」
「あとスイカが好きだから。海とかプールとかも」
「どっちかって言うとそっちがメインじゃない?」
「そうかも」
立夏は楽しそうに笑う。
「あ、でも睦月の誕生日って1月だったよね。じゃあ冬も好き」
「そりゃどうも」
「睦月は? どの季節が一番好き? ――あ、待って当てたい。……冬? 冬じゃない?」
「なんでそう思うの?」
「寒いのも嫌いじゃないって前言ってたから。雪降るって天気予報が出ると嬉しそうに言ってくるし。あとこたつで蜜柑食べてるとき幸せそうだから」
妙に細かい理由に、睦月はくすっと笑いを漏らす。
「そうだねー、冬も好きだよ」
「え、その言い方ってことは、一番好きなのは違うの?」
睦月はうなずくと、立夏の目を見つめて、柔らかな笑みを浮かべた。
「春が好き。――季節で言うなら」
立夏はぴんときていない顔で少し首を傾ける。
「ふーん」
「……察し悪」
睦月はぽそっとつぶやく。
「え、今なんか言った?」
「なんにも」
「嘘、絶対言った。何?」
「なんでもなーい」
他愛もない会話をしながら、二人は並んで歩き続ける
季節で言うなら春が好き 真樹 @masaki1209
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