ヨクウルピナス

薺鷺とう

本編

「世界は広い。地球だけが世界じゃないぞ。もっと下も、上もあるんだ」


 碧希に毎日のようにそう話すのは、彼の父親だ。自宅である神社の、賽銭箱の上に座っていつも煙草をふかしている。家柄に見合わぬ乱れたその姿は、羽団扇豆町ハウチワマメチョウでは有名であった。

 夏休み。碧希が塾から帰ると、いつもの父親の姿がなかった。賽銭箱の前に捨て置かれている煙草の吸殻も、今日は見当たらない。不信に思った碧希はもうひとりの家族である祖父の元へ行った。


「いない……」


 社から歩いてすぐの所に家はある。神社境内にある家は古風な木造建築で、神聖な場であることを認識させてくれる。塾に持っていく鞄の小さなポケットに入っている鍵を取り出して、家へと入る。入る時には、外から見える小さな窓に明かりがないことを確認した。

 普段父親と祖父が、食事をして談笑をする部屋。一面の畳の上には使われていないこたつが置かれている。そこにもふたりの姿はなかった。代わりにこたつテーブルの上には、父親の煙草と祖父の書いたと思われる書置きがあった。


「汚い」

 

 碧希の知っている祖父の字ではなかった。祖父は自分で作った細い筆を使い、読む人を魅了させるほどの達筆だ。書置きからは祖父の、普通ではない焦りのようなものを感じ取った。紙には「ハ団扇豆総合病院」と書かれ、1本の花が添えられていた。


「そうか。ルピナスか!」


 花を握りしめて急いで家を出る。鞄を持たずに鍵は、ズボンのポケットへとしまった。手に持った花を見ながら病院へと走る。父親に何かがあった。ルピナスの花はそれを碧希に確信させたのだ。

 空は既に黒く、燃え尽きていた。



 ハ団扇総合病院は、ふたつに分かれる町の境界に位置する。東京にある小さな田舎町、羽団扇豆と葉団扇豆はかつてひとつの町であった。数年前に町長と副町長が些細なことで言い合いになり、町の分断が決定した。元々小さな町であるために、医者の数が少ない。そこで、今のような町と町の境目に総合病院が建てられたのだった。

 ワイシャツが乱れている。髪も乱れる。髪の根本より滴り落ちる雫は、乱れたワイシャツを酷く湿らせた。やがて町一番の大きさを持つ、総合病院へと碧希は辿り着いた。走り始めて30分は経っただろうか。汗も乾き始めて、体は熱を奪われていく。重く、鈍くなった体を動かして碧希は病院の中へと入った。

 薄暗い。この日の診察時間は既に終わっていた。入口から一番奥まで、まっすぐ前を見る。目で捉えた数ある扉の中にひとつだけ光が漏れていた。駆け足でその扉へと近付く。夜の病院は静かで、碧希の足音だけが響いた。


「父さん!」


 祖父がいた。パイプの丸椅子に座り一点を見つめている。窓だ。大きな窓は病室に月明かりを与えていた。差し込む光を祖父の目線から辿っていく。月明かりは父親を照らしていた。白く、眩しく、そして神々しさまで感じ取れる父親の顔。彼は息をしていなかった。


「おじいちゃん?」


 問いかけるように、座っている祖父を呼ぶ。少しの間祖父は黙っていた。それから鼻に空気を吸い込み口を開いた。その視線は窓に向けたままだ。


「神社の空気がやっと綺麗になる。神様もお喜びになることだろう」


 それしか言わなかった。祖父の目には月明かりに導かれて旅立った父親の姿が見えている。そう碧希は考えた。



「行ってきます」


 いつものように塾へ行く時間。そこに父親の姿はない。同じ言葉を浴びせてくることもない。気楽だが複雑な感情を持って、碧希は家を出た。

 毎日通う道は見飽きていた。毎日決まった道を歩いて塾へ行く。毎日決まった道を歩いて家に帰る。夏休みに入ってからはずっとこれだった。今年は特に夏の調子が良く、天気も一律晴天であった。

 登藤土手は町と町の境になる川に作られた人口物。草が生い茂り、小学生たちの遊ぶ姿が見える。川の手前には暇な釣り人とブルーシート住まい。土手の通り道から眺めるその姿たちもまた、毎日変わらぬものだった。

 碧希がそんな様子を眺めながら歩いていると突然、ひとりの釣り人が大声を上げて言った。


「人間が釣れたぞ!」


 その声の元へ視線が集中する。小学生たちは遊びをやめ、ブルーシートからは顔だけ見えた。当然碧希も声を聞いてその方を見る。

 釣り人の持つ竿の先には確かに、人がかかっていた。それも裸だ。小学生たちはぎゃーぎゃーと騒ぎ出し、「ザンキだ」「ラゴンだ」「24年目の復讐だ」などと異様な光景を表現する始末。しかしそれも軽く思えるほどに、現実離れした状況であった。


「おっさん。こりゃ大物だね」

「魚の3倍よりかあるな」


 ブルーシートの男と釣り人が話す。それから釣り上がった人をゆっくりと芝生へと置く。小学生たちが木の棒や引っこ抜いた雑草で、体のあちこちを突いていくが反応はない。


「死んじゃってる!」


 ひとりが叫んだ。叫び悲しむ素振りを見せ、持っていた雑草を人の胸のあたりに添えた。続くように他も、木の棒と雑草で体を彩っていった。釣り人にブルーシートの男も、汗に濡れた帽子を脱いで自分の胸にあてた。

 その様子を上から眺めている碧希に、釣り人から声がかかる。


「おーい! ちょっとこいつを見ていてくれ」

 

 頷き返事を返すと、釣り人に小学生、ブルーシートの男までもが一斉にそこを発つ。警察に出向くようだ。状況説明や証人は多い方が確実であるからだろう。

 手振りで上がってきた人たちと挨拶をしたのち、碧希は川のすぐ手前に眠る人の下へ向かった。


「水? 汗?」


 横たわる人の姿を観察する。性別は男。まあまあの筋肉質で、余分な肉はほとんどない。年齢は20前後だろうか。高校生とも見えるし、大学生とも見える。髪は茶色く、襟足が肩に届かない程度の長さだ。

 観察する中、碧希はひとつの疑問を持った。川を流れてきたのならば、打撲痕があってもおかしくないのにそれが見当たらない。ましてや、死体にしては発色が良すぎるのだ。


「警察より病院でしょ」


 男をかかえて土手を上る。塾のことなど、この熱された晴天の下から蒸発して消えていた。



「ありゃ。ない」


 警官を連れて戻ると川辺には何もなかった。嘘か幻覚でも見たのだろう、とその場では処理された。



 ハ団扇総合病院もまた登藤土手と同じくして町の境界にある。つまりはそれぞれが近くに位置することを表す。

 しばしば土手を通る人に見られることはあったが、中学生と裸の男は病院へと到着することができた。碧希が病院を前に止まり、ひと息つく。


「逮捕されてもおかしくはなかった」


 心臓が跳ねるかと思うほどの衝撃。碧希の体が大きく動く。その耳元で声がしたのだ。気持ちを落ち着けようと粗く呼吸をする。恐る恐る耳元のあった場所へ首を振ると、ふたつの目がふたつの目と捉えた。


「えっ。猫!? いや裸!」


 裸の男である。さっきまでは見ることのなかった瞳だけを捉え、碧希は一瞬取り乱した。やがてこの裸の男が目覚めたことを現実に、頭に認識させていく。


「……いつ起きたの?」

「ん? さっき」

「さっき?」

「そう。とりあえず服が欲しいかな。よろしくね」


 病院を目の前に。目に見えるは裸であるが、碧希の向かうべき場所は今変わった。



「おっ。いいじゃないかこれ」


 店の外。ショーウィンドウに写る自分の姿を再確認し頷く男。財布の中が空になったのを再確認する碧希。ふたりは葉団扇豆の商店街にいた。どうにかして真夏の昼という環境を乗り越えて、隣町の服屋までたどり着いたのだった。


「よし少年。昼食やランチへ行こうではないか」

「ん……そうだね」


 三度の財布確認が起こる。中は空である。夏休み期間の為に祖父から受け取っていたお小遣いを、男の服ですべて使い果たしたということだ。微かな落胆が呼吸と共に風の流れに共鳴した。


「お金がないよ。とりあえず警察に行こう」

「えーちょっと! 警察はいらないよ!」

「家はどこ? 名前は?」

「……」


 「警察」という言葉に激しく動揺した。男が何者かが掴めない。掴みどころさえも見つからなかった。記憶があるのか、名前は覚えてるのか、これからどうするか。それら多くを碧希は頭で考える。すると、考えるより先に男が口を開いた。


「ネコバ」

「うん?」

「名前だな。『世界を股に掛ける探検家ネコバ』とはあたしのことだ!」

「ううん知らないなあ。ちっちゃい町の境に股を晒す男なら知ってる」


 名乗りの後には高らかに笑ってみせた「ネコバ」と名乗る男。碧希の発言ひとつで、その笑い声は虚へと葬られた。しばしの沈黙が訪れる。だがそれもすぐに破られる。ネコバの腹部から空腹を示す音が出たのだ。


「ねえ。ランチとか昼食行こうってば」

「だからお金がないんだって」

「まあそこはネコバさんに任せておきなさいよ」

「はあ。はあ?」


 ネコバが腕を引っ張る。向かう方向は羽団扇豆であった。



 今の時代に10000円以下で買えるスーツは数多い。今回の場合もそうであった。桑の実色のスーツに身を包み、怪しさが強く目立つネコバの後ろを、財布の中を幾度と確認しながら歩いていた。

 やがて着くは小さな喫茶店。「ルパン」と書かれた看板は密かに碧希に、泥棒の登場を期待させた。


「いらっしゃい」


 ネコバが扉を開けると、バーカウンターの作りの小さな一室に髭を生やしたひとりの男が立っていた。碧希の思い描く像とは大きくかけ離れた姿のマスターは、こちらを見るなり口角を少し上げてみせた。


「案外早かったじゃないか」

「ま。救われの身なんでね」


 マスターとは知り合いなのだろうか。小さな一室に怪しい男たち。疑いや考えを巡らせるのには容易かった。

 碧希は再び視線を感じる。意識を目の前へと戻すと、マスターの目が見えた。鋭くも月白のように光る瞳は、この暗い店内を照らす唯一の明かりにも思えた。


「そんなにも細めて見ずとも、ここまで来るといい」


 右手の人差し指がカウンターのひと席を標付ける。そのように感じたと言える。碧希はネコバの姿とを交互に見るようにし、カウンターの席へとついた。


「それで……」

「あれは欲しいかな。でもその前に昼食やランチよ」

「あぁ。あんたは食せない物はあるか?」


 マスターが問いかけるは碧希だった。好き嫌いはない。幼くから祖父に躾けられたのだ。


「いえ」

「少し待っていろ。だが、少しだ」

「ここのはおいしいぞ。絶品だ少年」

「でもお金が……?」


 問いかけの後には、ネコバが小声で話してきた。ひとつの疑問は金銭問題であった。碧希の持っていた全財産はスーツとなり消えた。勢いで連れてこられたとはいえ、怪しい喫茶店での食事には不安が残る。無銭飲食以上に多額請求。父を失い金銭には余裕ができた家であるが、もしものことを考えねばならない。碧希には食欲がなくなっていた。

 ふっ。そう笑う声がする。隣にいるネコバだ。ネコバとマスターの関係が深いものであれば――碧希は考えをし直す。不思議とネコバの姿を見る度に安心を覚えた。

 やがてカウンターに皿が置かれる。野菜炒めの類のようだ。周囲には豆が並べられている。


「水、塩、湯。何事も手順というものがある。1番は水だ」

「これが好物なんだよ。水ねえ。だったと思うけどなあ」


 ネコバはフォークを使い、夢中で食べ始めた。碧希の前にはフォーク、スプーン、そしてナイフが置かれていた。フォークを使うが正解なのだろうと、ネコバと同じくフォークを手に取る。

 豆の他には葉が主であった。上には添えてある花。羽団扇豆と葉団扇豆に共通する伝統的な花である、ルピナスである。花は皿の端へと寄せ、フォークを使い葉を刺す。


「おーう。葉からいくか」


 マスターが興味深そうに呟く。間違いであっただろうか。碧希はネコバのひと口目を見てはいなかった。

 葉を食す。甘い味付けであった。砂糖が使われているのだろう。野菜炒めは塩系の味付けがされるものであるが、これは違う。碧希の中での新しい味であった。次は豆だ。マスターの視線に手に震えを感じつつも、丁寧にフォークの先を豆へと侵入させる。それから口へ運び、噛む。


「あぁっ!」


 緊張感を吹き飛ばすような、喉を削るかの如く声が出る。その豆は苦みを伴い、更には強烈な熱と塩分を含んでいた。碧希のそれを見たマスターはまた、髭面の口角を上げてみせた。


「いいもんだ、ピュアだねえ」

「ぁえ……ピュア?」


 そう言われて隣のネコバを見る。見ればネコバの方の皿は既に空、添える花さえもなかった。しかし顔は満足感に浸る、幸福な男の姿ではなかった。


「うぅ……う、おいしかったぜマスター今日も」

「それ、コイツも葉から食べたんだ最初」

「な、なるほど。それで?」

「今は花から食いやがる」


 碧希は唖然とした。そんなものが食べられようか。そう思ったのだ。

 ネコバの青くなった顔を、マスターは見慣れたように苦笑いを浮かべながら見ていた。カウンター越しに水を手渡す。


「また水。塩と湯は」

「料理の話だ」

「なるほどね」


 そんなやり取りの後、マスターが口を開く。「世界を股に掛ける探検家ネコバ」の冒険心がルピナスの花を食べるに至ったこと、その気になれば葉と豆で上書きしてしまえば大丈夫だということなどを聞いた。

 店に入ってここまで10分ほどが経過していた。ネコバがゆっくりと立ち上がる。それを見て再びマスターの口が開く。


「どこ行った、どこへ行く?」

「最近は上の方、もっと上に」

「そうか」

「またな」


 ネコバが店の外へ出たので碧希もまた、マスターに会釈をして外へと出た。



 夏の日差し、人に太陽の力を認識させてくれる。その力はありがたくも迷惑で、生を与え生を奪うこともある。それが太陽、夏の日差し。その陽の下をふたりは歩いていた。

 ネコバの纏う桑の実色は、夏には合わない暖色でより暑そうである。夏の昼間をスーツで歩く男、それについていく中学生。傍から見れば怪しい姿であるが、碧希は自然と不安がなかった。更には周囲に人がいなかったのを安心した。


「ねえ、これどこへ向かってるの?」

「んー? 言ったじゃない、上よ上」

「上って何、北海道とか? あまり遠出は無理だよ?」

「ま、いい線だね」


 服を買い、食事をした。その後はなんだろう。目的が明確でないのが碧希は好きでなかった。

 彼の父親は働いていなかった。ちゃらんぽらんでプー太郎、羽団扇豆の有名人はトレードマークの煙草をふかしながら、町を歩くか碧希に同じことを言うだけの生活をしていた。そんな目的のない人生を過ごす、父親にはあまりいい感情を抱いてはいなかった。


「あらまあ」


 その特徴ある甲高い声に現実へと引き戻される。目の前には撫子色の髪をした、しわくちゃの女性がいた。碧希は女性を知っていた、女性もまた碧希を知っている。


「碧くんじゃないか。久しいねえ」

「いえ、2日振りです」

「あり? っけ」


 ここは葉団扇豆の小さな煙草屋。町の角にあるこの店は風水による評判は最悪の、三角形の形をしている。先は尖っていないが窓口になるガラス扉も、中にいる女性も共々細い。

 ふたつの町には煙草屋が3つある。ひとつは羽団扇豆にあり、あとのふたつは葉団扇豆だった。碧希の父親は1番遠く小さな店であるここの、撫子色の老いた女性を気に入ったという。夏休みは塾へ通う度にこの店に寄り、父親のお遣いを頼まれていたのだった。


「ほれいつもの」

「おっ。ありがじゅう!」


 女性が取り出してきた煙草をネコバが受け取る。銘柄は「ヨクウルピナス」だ。


「はい碧くんも」


 ガラス扉から手が伸びて煙草が置かれる。父親が喫んでいた「ルピナスリュペー」だ。それを見てネコバが騒ぎ立てる。


「なにー少年、その歳身なりで吸っちゃうわけ?」

「だあ! なわけないですよ。すいませんおばさん、必要ないです」


 女性はそうかい、と言って煙草を元あった位置に戻す。それを阻止して奪い取るネコバ。ふたりが何やら言い合いを始めるのを見ながら碧希は、父親を思い出す。


「んじゃまた」

「はいよ」



 昼は過ぎた頃か、空は火が放たれたかのように金赤が広がっていく。火はゆっくりと広がり、そしていつの間にか空を覆いつくしてしまう。燃え尽き焦げた空は、人を平等に照らしてはくれない。

 ふたりは登藤土手へと戻って来ていた。夕方が近くなると小学生も家に帰り、釣り人は夜に向けて準備を始め、ブルーシートは行方不明になる。金赤は人を散らす力を持つと碧希は思った。


「んーおいしい」


 生い茂る草に寝そべり、煙草をふかすネコバ。煙草の火は先から口元へと、あっという間に辿り着いてしまう。灰となり落ちていく煙草を眺めながら、寝そべる男の近くに碧希は座る。


「あ、ほらこれ」

「吸わないんですってば」

「じゃあ持って帰りなよ」


 火の広がる空の下、ネコバの大きな黒目が碧希を捉える。先程までとは違って見えるその目に一瞬吸い込まれそうになりながらも、煙草を受け取る。

 「ヨクウルピナス」と「ルピナスリュペー」のふたつ。ハ団扇豆の分断に似た、町が作った2種の銘柄。味にあまり違いはない、と祖父は言っていた。大きく違うのは値段で、前者の方が150円ほど高かった。そのために碧希の父親は後者を喫んでいたのだった。

 また1本、ネコバは柔らかいケースから煙草を取り出し火を付ける。それからくしゃりとケースを潰して川に投げた。


「もう20本?」

「もう20本」

「そろそろ陽が落ちるね」

「だねえ。うん、そろそろかな」


 灰が手元まで来る。指で軽く灰を押し潰して、草たちに与えた。


「んよっと」


 後転をするときのような動作を見せて、前に向かって勢いよく立ち上がる。少し背伸びをしてから、碧希を見てにこりと笑う。


「アリが10匹で?」

「ありがじゅう」

「そうその通り。てことでありがとね」


 気が付けば火は燃え広がり、空を覆いつくすほどになっていた。所々が焦げ跡のようになっているのが見える。

 碧希はこれが最後だとは思わなかった。ネコバが口を開く。驚く碧希の目の前で、スーツを抜き出し裸になる。


「……またね?」

「いやあ、じゃあね」


 ネコバは川へと飛び込んだ。生い茂る草に混じる灰と、脱ぎ捨てられた桑の実色のスーツはこの空の下、目立つことはない。

 碧希は少し涙ぐんでから、家へと帰った。



「塾をサボったって?」


 帰ると社の前で祖父が待ち構えていた。長年着続けていると見て取れる、袴に身を包む祖父。その奥の賽銭箱にはやはり誰も、何もなかった。


「お土産があるよ」


 ポケットから「ルピナスリュペー」を取り出す。それを見た祖父はまた怒り、孫が不良になったと叫んだ。

 父親と祖父の談笑する部屋、ここでふたり夕食をとる。祖父の怒りも、今日あったこと、今日出会った人の話をすることで落ち着いた。


「それで、ネコバ……はなんて言ったんだ最後?」

「うん、それがさ…………」


 川に飛び込む寸前、ネコバが言ったことを口に出す。


「世界は広い。地球だけが世界じゃないぞ。もっと上も、下もあるんだ」

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