王都と王城――昴星王時代の終焉

 セペダ昴星王に事の次第を伝えることを「決意」した私は、ドラゴンを王城に飛ばしました。城の正門の前に着陸すると、鍵は厳重に閉められていました。しかし、城の者たちがセペダ昴星王を逃がすのであれば、どこかが開いているはずでした。私は王城の門や扉を一つずつ当たって開いている個所を探しました。


 開いていたのはただ一つ、王城の厨房の勝手口でした。侍従たちはここから逃がすつもりだったのかもしれません。勝手口の前には簡素な馬車が数台止められていました。


 私が改めて勝手口の前に着陸すると、衛兵たちが槍を構えてきました。


「何者だ!」


 その質問に、普段であれば馬鹿正直に答えていたでしょうが、そのときの私はあえて名乗ることをしませんでした。それも「決意」のなせるものだったと思われます。


「陛下を助けに参りました! ドラゴンならひとっ飛びです! お目通し願います!」


 私の決意の言葉が通じたのか、衛兵たちは槍の構えをといて、私を勝手口まで通しました。


「……ちなみに、陛下は、どちらのお部屋に?」


 勝手口をくぐりかけた私の問いに、衛兵はぶっきらぼうに答えました。


「知らん。自分で探せ」


 私は意を決して王の居住域に上がりました。


 王城は無論広く、あてどもなく歩いても王の居室が見つかるわけもありませんでしたが、それでもしらみつぶしに探すことが、王都の脱出を急ぐ状況では一番の近道だと考えられました。


 式典の区域に限らず、王の居住域も、天井が高く、一部屋ひとへやが広く、金箔を貼った燭台や、城の各所に据えられた肖像画や彫像など、贅を尽くしたつくりになっていました。


 私は急ぎ足の一方で、それらの贅沢を、自分の目に焼き付けていました。生まれ育った奴隷の村と、この王城が同じ大地の上に存在していたことの不思議を感じていました。どのようにしたら、このような格差が生まれるのかというのが、直感的にわからなかったのです。そしてまた、私がその奴隷の村から王城に上がるまでになることも、想像できなかったことの一つだと言えました。


 いつの間にか迷い込んでいた後宮には、フレドニアとソニアの姿はすでにありませんでした。私はそのことになぜか安堵していました。フレドニアもソニアも少なからず「思惑」がある人間だというのに、私は二人にどちらかといえば同情的でした。


 大きな倉庫から侍従や使用人の部屋まで、くまなく探しまわっていると、王城の中心部にようやくたどり着きました。すると階段の上のほうから、人の声が聞こえてきました。私がそちらに向かって駆け上がっていくと、あるドアの前で、ギョエテやセオドールら大臣や、高位の修道士や、侍従たちが集まっていました。


「陛下! 城の外にも美しい少年はたくさんおられますぞ! 陛下!」


 そんな言葉で、セオドールが部屋のドアを激しくノックしながら叫んでいました。私は忍び足でその密集に近づき、誰ともなく声をかけて訊きました。


「どうかなされたんですか」


 私の言葉に、私の身分を確かめることもなく、侍従の一人が面倒くさそうに答えました。


「陛下が部屋からお出にならん」


 侍従が深いため息を吐くと、密集の中の一際大柄な人物がこちらに振り向きました。以前よりいっそう顔にしわを深く刻み込んだ、ギョエテでした。


「おお、奴隷」


 ギョエテがそう言うと、周囲の侍従たちは私に向かって厳しい視線を送りました。しかし、すでにギョエテが私と直接会話しているので、間に入って止めるようなことはしませんでした。


「何かいい考えはあるか?」


 ギョエテの突然の問いに対して、私が答えに窮していると、すぐさまギョエテは首を振りました。


「遅い。役に立たんな」


 ギョエテに振り切られて、私は術もなく最敬礼しました。頭を上げると、侍従たちの表情はより一層苛立ったものになっていました。私は今にも逃げ出したい気持ちになりましたが、丁度そのとき、セペダ昴星王が部屋から出てきたのでした。


 セペダ昴星王は、全裸でした。わずかな筋肉がついた華奢な体に、ぼさぼさの赤い髪の毛のまま、廊下に出て、何の迷いもなく歩き始めました。決して若くはないはずでしたが、まるで少年のような風貌でした。


「陛下! お召し物を!」


 侍従の一人が自分のジャケットを脱いで着せようとするのを、セペダ昴星王は手で払いのけました。


「要らん。風呂を沸かせ」


「陛下、いますぐ王城からご避難を!」


 セオドールが唾を飛ばしながら懇願しても、セペダ昴星王は聞き入れようとしません。


「風呂を沸かせ。汗まみれだ」


「魔界の軍勢が攻め込んで来ようとしています、今すぐご避難ください!」


 ギョエテの言葉にさえ、王は無頓着でした。


「ああ、そう」


「陛下!」


 ギョエテたち大臣は、浴場の目の前で立ち止まってしまいました。侍従たちはそのまま浴場の奥へと駆けていき、そのあとをセペダ昴星王が、全裸のまま、迷いのない足取りで入っていきました。


 大臣たちはすっかり肩を落としていました。私はどうすることもできないまま、大臣たちの集まりのそばに立っていましたが、その様子を見とがめたのは、ギョエテでした。


「もういい。奴隷は去れ」


 諦めと、憤りと、虚無感が凝縮したような視線を受けて、私は体が真っ二つに折れそうなほどに頭を下げて、その場から去りました。


 私は無力感にさいなまれながら王城を後にすることになりました。その一方で、帰りの道行きに迷うことはありませんでした。再び王城に上がるときは、誰の道案内もなく動けるであろうほどに、城の中を憶えていたと思います。無論、その後、同じ王城に入ることは二度となかったのですが。私はまっすぐに厨房の勝手口に戻り、衛兵の問いに黙って首を振って答えたあと、ドラゴンにまたがって王城から飛び立ちました。


 私は自分の至らなさに悔しさを抱えながらも、セペダ昴星王の「無関心」に強烈な印象を植え付けられていました。セペダ昴星王の「無関心」な姿勢は、政務にとどまらず、社会や人生そのものに対しても当てはまるのだろう、と思うと、「直属」も「研究所」も、王座から彼を追いやりたくなる気持ちが分かるような気がしました。ドラゴンを飛ばしながら、私はそんな思いに浸っていました。


 そんなときでした。王都を見下ろすと、大きな通りを、何かが疾走していくのが見えました。私は目を疑いました。それは、「馬が引かない馬車」が走っていく姿でした。その「馬車」はグロッソたちが乗っていたものよりも大きく、とてつもない速さで王城の門に迫っていき、なんと鉄で補強された門扉を、突入の勢いのままに破壊して、王城の中に入っていったのです。


 私はその「馬車」が王城に向かっていくのを、止めようとする隙すら与えられず、ただ茫然と見送るしかありませんでした。しかし、次の瞬間に起こったことに、私はいまでも言葉に尽くしがたい後悔の念を抱えているのです。


 王城を中心として、王都が巨大な爆発に包まれたのです。


 まぶしい強烈な光と、鼓膜を破りそうな轟音と、体を引きちぎられそうな爆風でした。ドラゴンと共に吹き飛ばされ、私は空中で姿勢を立て直して墜落しないようにするので精一杯でした。ドラゴンを落ち着かせながら、私は爆発した王都の跡を見下ろしました。


 その爆発は、王城や王都の建物をほとんど潰しただけにとどまりませんでした。


 王城を中心とした魔法陣――ピントンの城の周りに構築されたものと同じ規模の――が、一瞬にして出来上がっていたのです。堀も深く削られ、中心へと向かう真っすぐな道も整っており、今すぐに水を引けば魔法陣として機能する状況になっていました。しかし、王城は、跡形もなく消え去っていました。


 そのとき、私は気付いていしまいました。それは、私の下を駆けていった「馬が引かない馬車」は、魔界の軍勢のものではなく、グロッソたちの手によるものだということでした。そして、グロッソが「直属」から受け取ったのは「技術」ではなく、王都を魔法陣にするための「情報」だったということでした。


 一国の王を抹殺してまで守りたい国があるのか、という疑問に対して、私は自分なりの答えを見つけることができません。ただし、これは私の憶測の域を出ないものですが、グロッソに関しては、セペダ昴星王を抹殺することと、民衆を疎開させて生き永らえさせることは、相反することではなかったのでしょう。それは、グロッソのその先の野望――奴隷も平民も分け隔てなく生きていける国家を作るという野望を叶えるにあたって、むしろ必要なことだったのかもしれません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「九人目」の荷物持ちの手記 小林素顔 @sugakobaxxoo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ