エレラ騎士団長――のちに後悔するだろう

 エレラが陣を張っていた戦線でも、魔法剣士は縦横無尽に活躍していました。以前にアランキスが爆発したその場所は、魔界の軍勢に攻め込まれていたはずでしたが、陣地を取り戻し、元の大公国との国境を、こちらからも超えようとしていました。


 私がギョエテからの伝令を届けに来たとき、エレラはワイバーンで空中から自分の指揮する部隊を俯瞰していました。私がドラゴンで近づくと、エレラは空中で伝令を渡すようにと手で合図しました。私はドラゴンを大きく旋回させて、ワイバーンと交差するように飛んで、エレラにメモを手渡しました。


 メモを読んだエレラは、ワイバーンの上で、こぶしを握りながら、武者震いしました。


「ついに、か! ついに、だ! おい、ついてこい!」


 エレラの言葉に従って、私はワイバーンの後について、エレラの部隊のいる前線に、ともに着陸しました。エレラはワイバーンの上で、声を張り上げました。


「部隊に告ぐ! 前線を『魔法剣士』に任せて、我々は王都の防衛に向かう! これは断じて撤退ではない、王都の危機ゆえの急務だ! 走れ!」


 その指示に従って部隊の兵士たちは、無言で前線に進攻していく魔法剣士たちに背を向けて、すっかり疲弊した傷だらけの体を引きずりながら、王都への道を急ぎました。それを見ていて私は、奴隷上がりの自分がドラゴンに乗っていることに申し訳なく思ったりもしましたが、自分の職責を果たさねばならぬことを思って、頭から卑屈な感情を消し去りました。


 王都に戻ると、城下の広場では人々が物資が少ないなかで食物や古着の物々交換に集まっていました。その真ん中に、エレラはワイバーンで着陸しました。私は、エレラのように胸を張れずに王都の民に頭を下げながら、ドラゴンを広場に着陸させました。


 王都民が怪訝な視線を送るなか、エレラは広場の隅々の届くように叫びました。


「我は騎士団長エレラ! 王都民に告ぐ! いますぐ王都を離れ、故郷か近隣の村に身を寄せるべし!」


 エレラのその言葉で、私は察しました。つまり、グロッソがギョエテに提案したのは「王都民の疎開」だったのです。その考えこそが「王都壊滅」を防ぐ手立てだと、グロッソをはじめ、エレラやエンリケたちが共有していたものだったのです。


 しかし、その考えも、エンリケたちの「思惑」の一つであることを、私は後々、何もできずに、知らされることになるのでした。


 エレラの布告に、王都民の一人が質問の声を上げました。


「なぜですか? 騎士団はその身を挺して王都を守って下さるのではないのですか? それとも、それができないとでも?」


 王都民が、そうだそうだ、と騒ぎ立て始めると、エレラは唇を引き締めて、言いました。


「国王陛下は王城を守ることより、王都民を守ることをお選びになった! たとえ城がなくとも、民が居れば国は必ず復興する!」


 その言葉は、王都民が危機感を共有するのに十分なものでした。王都民は、国王の慈悲心に感動するより、そうした言葉が降りてくることの危うさを、鋭く察知したのです。


 それから数日間、王都はパニック状態に陥りました。貴族や豪商たちの荷物を載せた馬車や荷車が往来を駆け回り、郊外に行く当てのある人々は膨れ上がった背嚢を背負って乗合馬車に並んでいました。疎開にあたっては、郊外に領地のある貴族や、別邸のある豪商、故郷のある平民は、まだ布告を忠実に守っていました。


 しかし、多くの王都民は王都で生まれ育ち、王都でその人生を終えるはずだったのですから、突然の疎開の命令に、少なからず抵抗し、王都にとどまろうとするものもいました。そんな王都民に対して、エレラをはじめとした騎士団の部隊と近衛兵団は、それぞれの諸侯の領地に、強制的に移住させる措置を取りました。


 王都民が王都からほとんどいなくなったころ、騎士団と近衛兵団は街を巡回しながら、残った人間がいないか改めていました。私は騎士団を率いるエレラと共に、ドラゴンで空から街の様子を確かめていました。


「宮女たちはどうした?」


 並んで飛ぶエレラの問いに、私は即答しました。


「故郷のあるものはそちらへ、帰れないものは未だ後宮に、とのことでした」


 私が伝えると、エレラは頭を抱えるように髪をかき上げたあと、ワイバーンの手綱から手を放して、腕組みして考えながら、小さくうなずきました。


「よし。『飼い殺し』の宮女は北メンデシアで預かろう。メモを取れ」


 そう言ってエレラは、私にドラゴンの上で口述筆記をさせました。私は恐る恐る手綱を放してエレラの一言一句をメモしましたが、ドラゴンの調教が行き届いていたおかげで、振り落とされずに済んだのをよく憶えています。


 私は伝令を持って後宮の門前に着陸し、エレラの案を宮女に伝えました。残された宮女たちは自分たちの行く当てを得て安堵したのか、少し笑顔を見せたあと、慌てて後宮のほうへ戻っていきました。


 後宮の門前から飛び立ち、城下の街を見下ろすと、わずかではありながら、取り残されている人々が居ました。それはおそらく奴隷でした。


 王都の上空で再び合流したエレラに私がそのことを伝えると、エレラはあごを撫でながらしばらく沈黙したあと、言いました。


「ああそうだ、丁度いい。『極西砦』の工事の人手にあたらせよう」


 エレラの言葉に、私は耳を疑いました。


「彼らを前線に寄せるのですか? 危険にさらすのですか?」


「あれは王国民ではない。奴隷は奴隷だ」


「恐れながら! ……私も生まれは奴隷でございます!」


 思わず大声で訴えた私に、エレラが返した言葉は、今でも忘れることができません。


「お前は使える奴隷だ。奴隷のなかでも才覚があった。だからここまでの地位に上がることができた。あいつらを見ろ。自分たちで地位を上げようと声を上げることもしない。お前は別だ」


 そう言って、顔色一つ変えず並んで飛ぶエレラに、私は反論することができませんでした。エレラの言葉は、私を褒めているようで、決して奴隷の立場から逃れられない私自身というものを、釘差すものに感ぜられました。


「よし! 疎開の準備はおおむね終了だ! 我々は前線に戻るぞ!」


 エレラはそう言って、ワイバーンを旋回させました。しかしその言葉に、私は新たな疑問を感じ、気持ちを抑えきれずに、ワイバーンにドラゴンを接近させて、エレラに訊いていました。


「国王陛下は? 宰相閣下は? どうされたのですか? 逃がさないのですか?」


 私の質問が続いたことで、エレラはいらついていたようでした。ため息を深くついたあと、エレラは答えました。


「国王陛下は最後の一人になるまで王都に残るのが務めだ」


 その言葉の裏に隠されているものを推し量って、私は鳥肌が立つような恐怖に襲われました。


「陛下はいまの国情をご存じないのでは?! いくら陛下が政務にご興味がないといっても、放っておかれるなんて、あまりに無責任では?!」


 私が思わず問い詰めると、エレラは今まで見せたことのない、人を飲み込む洞穴を思わせるような目つきで私を睨んで、言いました。


「それなら、お前が王城で陛下をお守りすればいい。いざとなったらドラゴンに乗せて逃げられるだろう。そうしろ」


 エレラはそう言い残してワイバーンを加速させ、低空で飛行して部隊に撤収を下命すると、王都から飛び去っていきました。


 エレラのこうした判断が、後々エンリケによって利用されてしまうことを、当時のエレラも気づかなかったでしょう。なぜならその時点では、エンリケたちと共有された判断だったのですから。


 私はその時、自分のその後の行動をどうすればいいか、という「自主的行動の判断」を迫られていました。それは、それまでの人生で私が行ったことのないことでしたから、とても緊迫感のあるものでした。


 そして私はついに人生で初めて「決意」というものをしました。王城に向かって、事の次第をセペダ昴星王に伝えることにしたのです。

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