王国宰相ギョエテ――王城の岩石

 私がドラゴンをいさめている間に、後ろからグロッソが近づいてきました。辺りを警戒しながらグロッソは、「ユゴ六一九」の首筋の刺青を確認すると、うなずいて言いました。


「なるほどな。デック、さっきの伝令を」


 言われて、私がポケットにしまっていた伝令のメモを渡すと、グロッソはそれを戦場に飛び散った火にかけて燃やしました。


「書き直す。二、三枚もらえるか?」


 グロッソに訊かれ、私は五、六枚のメモ紙とペンを渡しました。グロッソはしばらく空を見上げたあと、メモを二枚、三枚と繰りながら、長々と伝言を書き綴りました。


「これを宰相閣下に。直接渡せ、いいな」


 折りたたまれた伝言を渡され、私は思わず驚きをそのまま言葉にしてしまいました。


「お言葉ですが、私のような人間では宰相閣下にお目通りなど」


「中メンデシア侯から、と言えば何とかなる。何とかしろ」


 グロッソは優しく微笑みかけてくれましたが、その威圧感は十分に伝わってきました。


 私はドラゴンを飛ばして王都に向かいました。空から戦場を見下ろすと、魔法剣士たちは驚異的な運動能力で草原を駆け回り、石の礫を放つ魔導師たちを駆逐し、「移動する砦」を破壊しつくしていました。


 魔法剣士たちは言葉をやり取りする様子もなく、しかし見事な連携で魔界の軍勢を圧倒し、そのままの勢いで、山の向こうへと攻め入ろうとしていました。その姿を見る限り、顔が一緒とはいえど、魔法剣士たちがユーキリスと同一の生物ではないのは明らかでした。


 ピントン領から王城へと向かう間に、ドラゴンが腹を減らしたので、私はやむなく着陸し、野垂れ死んでいる旅人を食べさせました。私はドラゴンが死体を食いちぎっている様子を見ながら、なぜ旅人の死体は平気でドラゴンの餌にすることができて、ユーキリスの顔をした「複製」の死体にひるんだのか、自分でも不思議に思い、そしてまた、自分の冷酷さに疑念を抱きました。


 私は、奴隷の祈りなどが誰かに通じるのかと疑問に思いながらも、後ろめたさにたまらず、見よう見まねで、食いちぎられている死体に印を切って手を合わせたあと、その場を飛び立ちました。


 王城では官吏たちが部屋から部屋へ忙しく走り回っていました。戦時ですから無理もありません。私はその中をまるで同じ官吏のように――奴隷出身とは思わせないように堂々と――歩を進めて、宰相室の前にたどり着きました。


 部屋のドアの両脇に立っていた番兵は、私の軍属の制服を見て、目の前に立ちふさがり、いぶかしげに眉根を寄せました。私は敬礼して、番兵の眼光に負けないように大きく息を吸いました。


「中メンデシア侯より、宰相閣下へご伝言です!」


 私の言葉に、二人の番兵は互いの顔を見合わせたあと、片方が手のひらを差し出しました。


「受け取る」


 番兵の言葉に、私は思わずポケットを押さえました。身を引きながら、それでも、気持ちで負けまいと声を張り上げました。


「直接お渡しするように下命されてきました!」


 私の言葉に、番兵は舌打ちしました。


「閣下はお忙しい。軍属ごときが出しゃばるな」


 そのとき、ドアの向こうが騒がしくなりました。番兵が姿勢を正して、ドアノブをつかみ、左右のドアを開けました。そのとき現れたギョエテの姿は、強烈な印象を残すものでした。


 巨大な岩石――そんな単語が頭をよぎりました。筋骨隆々として平服の上からでもその肉体の強靭さが分かりました。顔もしわが深く刻まれ、一見では表情を読み取ることが難しそうな、威厳が凝縮したような面立ちでした。


 なぜこんな肉体でありながら前線に出ていないのか、前線に出ていないのにこんな肉体が必要なのか、いやむしろこの肉体あってこその宰相としての立場なのか――様々な疑問が頭をよぎりましたが、それよりも私は目下の任務を遂行しなければなりませんでした。


 ギョエテは開いたドアから足早に廊下を歩いて先を急いでいました。私は慌てて声をかけて並んで追いかけました。


「閣下! 閣下!」


 大臣や従者たちを連れて歩くギョエテには近寄る隙がありませんでした(その中にはセオドールもいました)。私はグロッソの名前を使うことにしました。


「中メンデシア侯からご伝言です!」


 私のかけた言葉にようやくギョエテは振り向きましたが、それでも歩みを止めようとはしませんでした。


「ここで読み上げろ。歩きながらだ」


 前に向き直ってそう言ったギョエテに、反論することは出来ませんでした。私は上長同士のやりとりであるメモを、一介の軍属が開封することに、そしてグロッソとの約束が守れそうにないことに気後れしながらも、なにより情報を伝えることが第一だと覚悟を決めて、封を開き、歩きながらグロッソのメモを読み上げました。


「中メンデシア侯グロッソより宰相閣下へ。ピントン領南西において魔界の軍勢の撃退に成功するも今後の敵方攻勢に注意が必要。最悪の場合、王都壊滅の恐れあり」


 すると、私の読み上げに、ギョエテは突然立ち止まりました。大臣たちもギョエテと共にその場で止まって、私のほうに向き直りました。


「王都壊滅だと?」


 私も自分で読み上げながら、グロッソが危惧していることの重大さを感じ取って恐ろしくなっていましたが、それ以上の恐ろしかったのは、私を睨みつけるギョエテの視線でした。それは、鬼神のそれとでも例えられそうな、相手に一瞥で恐怖を与えるものでした。


「……まだ続きが」


 私が喉を絞って言うと、ギョエテは私の手からメモを奪い取り、目を素早く動かしページを繰りながら、一通り読み終わったあと、一言、呟きました。


「無茶な」


 呆然としているギョエテからメモを受け取ったセオドールが、顔からあふれる汗をハンカチで拭きながら文面を流し読みすると、ギョエテに囁きました。


「閣下、これは検証が必要な情報です。軍務省にお預けください」


「検証している間に攻めこまれると書いてあるが」


「攻め込まれる前に検証を終わらせます。閣下、お任せください」


 ギョエテにそう言って、セオドールは一礼し、廊下を早足で進んでいきました。その背中を眺めながら、立ち止まっていたギョエテは私に向き直りました。私は慌ててひざまずきました。


「中メンデシア侯から、と言ったな」


「はっ、恐れながら」


 ギョエテに確認され、私は深く頭を下げて答えました。するとギョエテは、ふうむ、と深い息とともに唸って、言いました。


「彼をはじめとして、冒険者上がりの連中が、ずいぶんと『賢い奴隷』を飼いならしていると聞いたが、お前か」


 その問いに、私は返事をためらいました。冷や汗が体中から噴き出してくるのを感じていました。


「お前か」


「恐れながら、わたくしめは奴隷の出ではございますが、賢いかどうかとおっしゃられますと、はなはだ疑問ではないか、と」


 私は喉が震えそうになるのを必死にこらえてそう言いました。私の言葉に、ギョエテは鼻で笑いました。


「謙遜できる知能はありそうだな。メモとペンを」


 私は顔を上げることなく、ポケットからメモとペンを取り出そうとしましたが、従者が先に渡していました。受け取ったギョエテは、走り書きを一枚ずつ従者に渡して、従者はそれを丁寧に折りたたんで次々に封じていきました。


「それぞれの宛名の通りに渡せ。絶対に間違えるなよ」


 私は震えそうな手でそのメモを従者から受け取りました。メモのそれぞれには、エンリケ、エレラ、グロッソの宛名が記されていました。


「承知イタシマ、いたしました!」


 私の応答の声は裏返ってしまいました。そのことを恥じる暇もなく、私は最敬礼してギョエテの前から立ち去りました。


 この、グロッソがギョエテに宛てた伝言こそが、その後の王国の命運を変えることになるのですが、もちろん私は知る由がありませんでした。さらに言えば、ギョエテも、セオドールさえも、「その後」を訳も分からずに迎えたのではないか、と思うと、私はグロッソたちの「思惑」に、背筋が凍る思いがしてしまうのです。

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