ユゴ六一九――ユーキリスの「群れ」
その日、ネフィが陣地を構えている魔導師部隊へと伝令を届けるため、私はドラゴンを陣地の付近に着陸させました。そこでは、魔導師たちが地面に描かれた魔法陣の周囲に円を描くように並び、声を合わせて呪文を詠唱していました。
その円陣の中心で、魔法陣の中でいくつもの火球が練り上げられ、空に向かって勢いよく舞い上がると、草原の向こうから迫ってくる「移動する砦」へと飛んでいき、爆発しました。
ネフィはその円陣の脇で、テーブルに広げた地図を目の前に、口元を押さえながら、眉間にしわを寄せていました。必死に、真剣に、作戦を考えている様子でした。
「所長、伝令デック、参上しました」
「所長」という肩書はすっかり軍に浸透していました。しかしネフィは、私の呼び声に気づいた様子がありませんでした。
「所長? 所長ーっ!」
私の大声でようやく振り向いたネフィに、私は伝令のメモを差し出しました。受け取ったメモに目を通すと、ネフィは制服のローブの懐からメモ紙を取り出して、ペンを走らせ、丁寧に折り畳みました。
「その者は人々の幸せのために」
その言葉だけで、ネフィは宛先を察しろとばかりに私にメモを渡しました。
「……中メンデシア侯にですね、了解です!」
受け取った私は敬礼して、ドラゴンのもとに走って戻りました。
ネフィの前線参加によって、西方の戦線の魔導師たちの戦力と統率力が整ったのは事実でしたが、それでも、戦線は膠着したままでした。ピントン領の南西部は、極西砦の目の前まで迫っていた戦線が少し押し戻された程度で、魔界の軍勢が攻勢を弱める様子はありませんでした。
そうした戦況の中で私は伝令として、忙しくドラゴンで飛び回っていました。空から見ると戦況は目に見えて分かりやすく、王国軍の兵の死体がきれいに線上に並んで遺棄されている場所がそこかしこで見られました。それは王国軍が攻め入れない境界線だと考えられました。
ネフィが陣を張っていた場所よりもっと前線に近づいていくと、火にかけられた木の実がたて続けに爆ぜるような大きな音が、幾度も聞こえるようになっていました。魔界の軍勢の「石の礫を放つ魔導師」たちは、大きな音を立てて、杖から石の礫をまき散らしながら、王国の軍勢を寄せ付けませんでした。
剣士はほとんど活躍の場を失っていました。できることと言えば、森の中に身を隠して、相手の軍勢の行進に奇襲をかける程度の抵抗で、それでも削れる相手の戦力はわずかで、王国軍は大きな損害を受けていました。ごくわずかの魔法剣の使い手も、剣の届く範囲でしか魔法の力が及ばないことから、魔界の軍勢の攻撃には太刀打ちできませんでした。
空前の危機的状況において「前線で戦える魔導師」という今まで誰も想像したことがない人材の育成が急務でしたが、それを育成する方法も、運用する方法も、誰も知らない状況でした。
石の礫が飛び交う中、私が南西の最前線にドラゴンで着陸すると、開けた草原の戦場では、グロッソが大きな岩に身を隠しながら、弓兵に指示を送っていました。弓兵は草原にわずかに散らばる倒木や岩石に身を隠して、戦場の一番前で弓を放っていました。一方で、屈強な剣士たちが弓兵の後ろで怪我人を運ぶぐらいしかできない状況は、奇態としか言いようがありませんでした。
リンファだったらもっと弓兵を活用できているだろうか――私は軍属として身の丈に合わない考えを覚えたあと、すぐに頭の中でかき消しました。私の考えは非現実に過ぎました。すでにリンファは財務省の官僚だったのですから。
戦場のあちこちから上がる火の手から、それまで嗅いだことのない痺れるような臭いが風に乗って運ばれてきました。その中を、ドラゴンから降りた私は全速力で走り、鎧姿のグロッソのもとに伝令のメモを届けました。
「六班、西の巨石に展開! 十七班、怪我人を連れて一旦東の巨木に退避!」
大きな声を上げて部隊を指揮するグロッソは、まだまだ諦めていないようでした。私はグロッソの大きな背中に身を隠すように走り込んで、グロッソを呼びました。
「侯爵! 伝令デック、参上です!」
私がメモを差し出すと、グロッソは振り向きもせずに後ろ手でメモを受け取りました。封を開き、素早く目を通すと、グロッソはやはり後ろ手を差し出して、私に白紙のメモとペンを催促しました。私が制服のポケットから取り出したそれらを受け取ると、グロッソは走り書きして折りたたみ、ようやく振り向いて、私のポケットにその自筆のメモを直接差し込みました。
「これを所長に!」
「了解!」
私はポケットのフラップのボタンをしっかりと締め、再びネフィの部隊へ届けるため、グロッソの元を後にしようとしました。しかし、そう簡単にはいかないのが戦場でした。
魔界の軍勢が押し寄せてくる方角の上空から「顔のないドラゴン」が、石の礫を地面に吐き散らしながら接近していました。明らかにグロッソめがけて飛んできており、グロッソが身を隠す岩もろとも、石の礫の破壊力で葬る意図が見えました。
私は、あの相手の速さでは、ドラゴンのもとに駆け寄ることも、他の大きな遮蔽物の陰に駆け寄ることもできないと、死を覚悟しました。
そのときでした。「顔のないドラゴン」に向かって、ひとりの剣士が剣を振るって跳びかかったのです。人の跳躍力とは思えない高さで跳んだその剣士の剣には、炎がまとわれていました。明かに「魔法剣」の使い手でした。
「顔のないドラゴン」を正面から真っ二つにして着地したその魔法剣士は、坊主頭でしたが、たしかにユーキリスの顔でした。戦場に、ユーキリスが戻ってきたのだと思いました。私は思わず叫びました。
「ユーキリスさま!」
しかし、私の声にその魔法剣士は振り向きもしませんでした。驚きはそれにとどまらず、魔法剣士は剣を鞘に納めると、背中に担いでいた錫杖をかざして、魔界の軍勢の魔導師に向かって、火球を放ち始めたのです。私は以前のユーキリスが、魔法の杖を使った様子など見たことがありませんでしたから、別人かもしれないと思い始めました。
さらに、魔法を幾度となく発動しても、その魔法剣士は、力を使い切って倒れるそぶりを全く見せないのです。ユーキリスは閉じ込められていたはずなのに、いつのまにこんなに体力をつけたのだろうと思いました。
すると、戦線の後方から放たれる火球の攻勢が一段と激しくなりました。私がそのとき振り向いて目の当たりにした光景は、今でもはっきりとまぶたに焼き付いています。
ユーキリスと同じ顔をした坊主頭の魔法剣士が、何百人と現れたのです。
魔法剣士たちは「移動する砦」や「顔のないドラゴン」を魔法で次々に破壊していきました。その姿は明らかに、ユーキリスの姿をした「別人」の「群れ」だったのです。
すると、山の峰の向こうから、大きな火球が、前線の真ん中めがけて飛んできました。火球は大きな爆発を起こして地面をえぐり、剣士の「群れ」の一部が、私の目の前に飛ばされてきました。その死体の首筋には、「ユゴ六一九」と記された刺青が彫られていました。
すると、私がほうっていたドラゴン近づいてきて、「ユゴ六一九」の死体の臭いを嗅ぎ始めました。私は慌ててドラゴンをいさめました。あきらかに知人の死体ではないのに、見かけはほとんど知人の死体だということに、私はひどく動揺していました。
ひょっとして――私はグロッソとフリオが交換した書類のことを思い出していました。もし、グロッソがゴブリンの「複製」の技術をフリオに渡していたら、「直属」が自分の手中に収めていたユーキリスを「複製」することも可能なのではないか。その憶測に、自分でも背筋が凍る思いがしました。
では、逆にグロッソが受け取った「直属」の技術とは何だったのか――そのことを知るには、そのときからまだもう少し時間がかかるのでした。
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