59話 秋樹が反抗期になった。

「今日、買い物に行くから連いてきなさい」

 

 太陽もまだ寝ぼけ眼をこすっている午前六時。

 パジャマ姿のままリビングに下りてきた秋樹あきは、台所に立つ俺を見るなり、開口一番そう告げてきた。


 上から目線というか、不遜というか。

 俺の予定など関係ない。お前はこの決定事項に従えばいいだけだ、と言わんばかりの態度である。


 本日は日曜日。洗濯物は昨日のうちにあらかた済ませてしまったから、あとは食事を用意して掃除機をかけてしまえば、午後は丸々暇になるけれど。


(すこし遅めの反抗期だろうか……)


 まあ、秋樹はおとなしすぎるくらいだったからな。これくらい反発的なほうがちょうどいいというものだろう。

 コンロの火を弱め、味噌汁をおたまでかき混ぜながら。


「なんだ、どこか行きたいところでもあるのか?」


「口答えしない。アンタはわたしの命令に従ってればいいの」


「口答えじゃなく単なる質問だったんだが……まあ、うん。買い物ぐらいならかまわないぞ。今日はそれほど忙しくもないからな」


「そう。お昼前には出かけるから。ちゃんと準備しときなさい」


「ああ、了解した」


 ふん、と高慢に鼻を鳴らして、テーブルに腰を下ろす秋樹。

 上から目線だろうがなんだろうが、秋樹は……ひいては三姉妹は、俺の雇い主だ。彼女たちの命令は絶対遵守である。むしろ、上から目線であるべきとも言えるくらいだ。


 ……それでも、まあ。

 すこしだけ。ほんのすこしだけ。


「? なに?」


「いや……」


 今日になって突然、こんな態度を取り始めたその理由だけは、気にならないでもないけれど。


 

     □


 

 午前十時。帰りが遅くなったときのために、さくら夏海なつみにおやつのクッキーを用意すると、俺は秋樹と共に葉咲家を出た。

 空は青く、陽射しもそれなりにある快晴だったが、一月の冷気はしっかりと俺たちの体温を奪っていった。

 こうして路地を歩いて体を動かしていても、身体の芯が底冷えしていくのがわかる。


「秋樹。寒くないか? よければ俺の手袋を渡すぞ」


「このぐらい平気。バカにしないで」


「バカにはしてないけど……じゃあ、手でもつなごうか。俺は昔からキャサリンに『歩くストーブ』と呼ばれていてな。日頃から体温が高めなんだ。ほらほら」


 コートから手を出して、秋樹に差し出す。

 が。秋樹は路上に捨てられたビニール袋を見るかのごとき無関心の目を向けると、ぺしっ、と俺の手を払い除けた。


「だから、平気って言ってるでしょ。余計なことしないで」


「むぅ……」


 善意で言っただけだったんだが、どうやら気に障ってしまったようだった。

 ……いや、そうだな。

 今日の秋樹は、明らかな反抗期モードだ。言い方は悪いが、もっとナイーブな腫れ物をあつかうように接したほうがいいのかもしれない。


 思えば、いやわざわざ思わなくとも、秋樹だって思春期の女の子なわけだから、デリカシーに欠ける対応は避けて然るべきだったな。それこそ、夏海から賜った『騎士』という称号に相応しい振る舞いを見せねば。


 そんなことを考えながらたどり着いた先は、叶画かなえ駅前だった。

 昨日、秋樹が書店巡りで訪れていたはずだが、なにか買い忘れでもしたのだろうか?

 そんな俺の疑念を空気で察したのか。隣り合う秋樹が、街路樹を歩きながら不機嫌そうに口を開いた。


「昨日は古谷ふるやさんに邪魔されちゃったから、あらためて見て回りたかったの。文句ある?」


「まさか。俺もちょうど、新しい料理本がほしかったんだ。連れてきてくれてありがとう」


「そ、そう……なら、いいけど」


 尻すぼみに語気を弱め、秋樹は早足で近くの書店に入っていってしまった。その背中を追うように、俺も遅れて店内に足を踏み入れる。

 秋樹は迷わず一般文芸コーナーに向かい、品定めとばかりに本を開き始めた。新しい物語に出会った期待と興奮に、眼鏡の奥の瞳が輝いている。こういうところは、いつも通りなんだけどな……。


「じゃあ、俺はあっちの料理コーナーにいるからな」


 小声で告げて、秋樹の下を離れようとすると、ぐいっ、と後方に引っ張られた。

 振り返ると、秋樹が片手で本を開きながら、もう片方の手で俺のコートを掴んでいた。器用だなオイ。


「ここにいて」


「いや、料理本を見に……」


「いなさい」


「……はい」


 ナイーブに。今日の秋樹に逆らってはいけない。

 仕方なく秋樹の隣に並び、俺も適当に文庫本を手に取る。


「秋樹。このミステリー小説、秋樹好みの設定じゃないか? 結構おもしろそうだぞ」


「え、どれですか――――、あ」


 こちらの本を覗き込んできた姿勢を急に戻し、秋樹はしまった、とばかりに俺の顔を見つめた。


「ん、どうした?」


「き、気安く話しかけないで!」


「えぇ……」


 唐突な拒絶と共に、ぷい、と顔をそらしてしまう秋樹。

 秋樹の情緒が、秋の空よりも移ろいやすすぎる。秋だけに。いまは冬だけど。

 くだらないジャパニーズダジャレを脳内に浮かべつつ、俺は新たな文庫本に手を伸ばしたのだった。

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【Web版】元スパイ、家政夫に転職する 秋原タク @AkiTaku

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