おいでやす神様

 遊女には格式がある。一般的に有名な花魁おいらんとは、一定以上の格式を持つ遊女の総称だ。そして禿かむろは15歳以下の未成年に与えられる格式で、他の格式に比べれば当然低い。17歳の私は例外処置が施されたようだ。


 そして禿は、花魁の下に付く。謂わば師弟関係のようなものだ。


――責任重大やね。


 菊のその言葉の意味を、私は後から知った。禿の出来が悪いと、その師である花魁の評価が下がるらしい。菊は既に禿が一人いる。花魁の中でも禿が付けられる遊女は、特に格式が高い。つまり私がヘマをすれば、菊が築き上げた地位を脅かすことになりかねない。


 責任は、たしかに重大だった。


 神をもてなす遊郭、千秋。千の秋と書いて千秋。その名に因んで、遊女の源氏名には秋の花をそのまま使われる。私の場合は芒。


「ほら芒。ボヤッとしてないでさっさと支度して!」


 たった今私の名を呼んだこの子が芙蓉ふよう。同じ菊の禿。14歳のこの子は私よりも歳下だが、しかし立場は私よりも高い。この子は6歳の頃からこの業界にいる。見た目はこの通りお人形さんのように端正で、遊女としての技術もすんなりと身につけていった。その才能を買われて菊さんの禿となっている。


 駄々をこねてこの業界に来た私とは、根本的に違うのだ。


「待ってよ芙蓉ちゃん。まだ着付けに慣れなくて」

「ちゃん付けすんな! あたしの方が立場は上なんだぞっ! 芙蓉さんと呼べ!」


 相手を魅了する艶やかな着物が、千秋での仕事着であった。現代社会に例外なく影響されて育った私は、その着物を着るのに苦戦していた。


 ようやく仕事着に着替えたら、芙蓉と一緒に菊の元へ向かう。


「まったく芒はノロマなのよ。だから芒なんて地味な名前を付けれるの。分かってる?」

「ごめんね。私ってずっとこんな感じだったから。それに比べて芙蓉ちゃんは凄いね。何でもテキパキとこなしちゃって」

「だから芙蓉ちゃんって言うな!」


 芙蓉は襖を開けた。そこには艶やかな着物を身に纏った菊が座っていた。さすが花魁。相変わらず美しい。これを見てしまえば、きっと人間の男どもなんてイチコロだ。


「ごめんね芒。今日は私のお仕事を見てもらうつもりだったのだけれど。外せない予定が出来てしまったの」


 申し訳なさそうに菊は言った。しかし私は内心ホッとしていた。今日、菊さんが男とまぐわうところを観察しろと言う。よく考えなくてもとんでもないことだ。


「姉さんまで……。殆どの花魁が千秋にいないことになってしまいます。大丈夫でしょうか」


 芙蓉が不安そうに言った。姉さんと言ったが、私と芙蓉は菊さんのことをそう呼ぶ。


「大丈夫よ。今日のお客さんは少ないはずだから」





 しかしどういう訳か、本日は客の入りが非常に多かった。


「芙蓉! 案内をお願い!」

「はいっ! 行くよ、芒!」


 私と芙蓉は主に客の案内や遊女が来るまでの相手を務める。


 千秋は人間の遊郭と違う。千秋を利用するお客様は、文字通り神様だ。そしてそのお客様は、性的快楽を求める。しかし性的快楽と言っても、肉体的な快楽よりも精神的な快楽を求めるらしい。


 千秋ではそれを”心の快楽“、”心の絶頂“と呼んだ。


 私にはそれがよく分からなかった。だからそれを理解するために、菊のお仕事を見学する予定だったのだ。


「本日はようお越し頂きました」


 芙蓉がお仕事モードの口調で言う。そして私たち二人はゆっくりと頭を下げた。今日はこれで何人目だろう。案内と暇つぶしの相手だけなら、今日だけで達人の域に達した気がする。


 ドスンッ!


 凄まじい振動。がらんがらん、と天井が軋んで、パラパラと埃が落ちてくる。


 私は思わず顔を上げた。


 神様の容姿は人間の姿をしているのもあれば、化け物のような姿をしているのもいた。この神様は後者だ。一応人型ではあるが、図体はでかいし、異常なほどに脂肪が付いていて、うねうねと触手のようなものが身体中から生えている。こんな気持ちが悪い奴と床入りする遊女は大変だ。


「早く連れて行けぇ!」


 気が立っているようだ。私は内心逃げ出したい気持ちに苛まれた。


「はい。お待たせして申し訳ありません。すぐに案内致します」


 しかし芙蓉は表情を崩さず、丁寧に接客した。さすが芙蓉である。私も臆してなんかいられない。


 芙蓉と私がお客様を案内する。やがて遊女が待つお座敷の襖を開け、お客様を通した。


 しかしおかしい。お座敷には遊女一人しかいない。千秋のもてなしは、何も遊女と床入りするだけではない。まずは美味い飯をふるまい、そして主役の遊女と付き人数人による舞を披露する。その付き人がいない。


「芒。舞はもう覚えたわね?」

「う、うん」

「じゃあ私たちが付くわよ」


 お客様に聞こえない程小さな声で芙蓉は言うと、私の手を引っ張ってその遊女の隣に着いた。ちらりと遊女は芙蓉を見た。すると芙蓉は、こくりと僅かに頷いた。


「わっちは金木犀きんもくせいでありんす。こちら禿の芙蓉と芒」


 金木犀と名乗る遊女は、芙蓉の意図を察したらしい。私たちはその紹介の後に、両手を床に付け、ゆっくりと、丁寧にお辞儀をした。


「さあ、こちらにお掛けになって」


 予め用意されていた席にお客様は腰掛けた。するとその図体のあまり、ドスンと部屋が揺れる。お客様が席に着いたら、襖が開いた。そして酒と料理が宙を漂いながらお座敷に入ってくる。ゆらゆらと酒と料理は移動していって、やがてお客様の周りに配置されていった。


「どうぞ、お召し上がりくださいな」


 しかしお客様は、料理をじっと見つめたまま一向にありつこうとしない。


「なんてキラキラしてやがる」

「えっ……」


 お客様が言った。そのワードに、私は思わず反応してしまう。漏らした声に、芙蓉は肩肘で私を突ついた。


「あんたも。そこの女二人も。この料理だって」


 お客様はそう言うと、わなわなと身体を震わせる。剣呑けんのんたる雰囲気に、私は冷や汗を流す。


「俺を舐めてるのかっ!」


 その触手で、豪快に料理を吹き飛ばした。吹き飛んだ料理や食器は、しかし壁や床にぶつかるや否や、光の粒子となって飛散した。その為お座敷を凄惨に汚すことは免れた。


 しかし、なんてことだろう。お客様はかなり御立腹な様子だ。


「くそう。くそう。俺は醜悪だ。醜くて、だからこそ、キラキラしたものが、こんなにも眩しい」


 頭を抱えて、お客様は蹲った。すると金木犀がそっと近寄って、その大きな身体に手を置いた。


「大丈夫でありんす。お客様は醜うやらあらしまへん」


 金木犀は恐れることなく、置いた手で優しく撫でる。すると金木犀の手とお客様の身体の隙間から、橙色の花粉のようなものが空気中に広がっていく。


「ふっ……くぅ……ああ……」


 お客様は呻き声を上げ始めた。花粉はお座敷に充満した。甘い香り。それを吸い込む度に、頭がぼんやりとしてくる。


「しっかりしなさい、芒」


 その声によって私は意識を取り戻した。見ると芙蓉が頬を赤らめながら、私の両肩に手を置いていた。


「金木犀様の遊技ゆうぎよ」

「遊技……?」

「ええ。優れた遊女にはね。お客様をもてなすわざを身につけているものなの」


 私はお客様と金木犀を見た。あれほどご乱心だったお客様は、金木犀に撫でられて大人しくしている。それどころか何かを堪えているかのように、呻き声を上げていた。


「あれはね。心の愛撫によってもたらされた心の快楽に、感じて、喘いでいるの」


 私はその行為をじっと見つめる。すると何だろう。心が切なくなってくる。心臓が高鳴っている。何かを欲してしまう。


「落ち着いて芒。この香りには媚薬のような効果があるの。それが金木犀様の遊技だから」


 媚薬……。そうか。お客様は愛撫によって感じている。それはつまり、そういう営みであって、それを見つめるということはつまり、そういうことなのだ。だから私は興奮してしまったのだ。


 気をしっかり持て。私は今はもてなす側。正気を失ってはいけない。


「ふ、ふざけるなぁっ!」


 唐突に、お客様は叫んだ。そしてドンッと思い切り床を叩く。するとまた部屋中が揺れて、その衝撃で私と芙蓉は床に伏せてしまう。


「きゃあっ!」


 それは金木犀の叫びだった。私は顔を上げると、お客様に首根っこを捕まれて、じたばたしている金木犀の姿が目に入る。


「キラキラしている奴はそうやってなあっ! 日陰者を陥れるんだっ!」


 ドクンと、またお客様の言葉に私は反応する。


「ふんっ!」


 お客様は金木犀をそのまま投げ飛ばした。金木犀は襖を突き破って、廊下の床に叩き付けられた。そして気を失ってしまう。


「金木犀様!」


 芙蓉が駆け寄ろうとした。しかしお客様が立ち塞がる。さすがの芙蓉も身の危険を案じて、立ち止まってしまった。


「この俺が。他の神々に散々いじられてきた俺が。醜くない訳、無いだろうがぁあ!」


 まるで咆哮だった。


「キラキラしてる奴みんなそうだ。自分の言葉を簡単に信じると思っていやがる。許せねえ。許せねえっ!」

「ひぃっ!」


 芙蓉は情けない声を上げて、腰を抜かしてしまう。


「お客様……」


 私はボソッと呟くと、一歩ずつ踏み出した。何だろう。私は何をするつもりなのだろう。


「す、芒!? 何やってるのっ!? あんただけでも逃げなさい!」


 芙蓉の声だ。普段は勝ち気で生意気な子だけれど、根は優しい。本当に優しい子なのだ。


 やがて私は、お客様の眼前に立った。


「くそう。くそう。なんて俺は惨めなんだ。もうこんな思いをするのは、嫌だ」


 お客様は私に気にせず、目を瞑って言った。その言葉に、私はまたも反応してしまう。


 ああ、そうか。そういうことか。



「ええ。分かります。お客様」



 私はお客様のその大きな身体に、そっと手を置いた。


 私はこのお客様に、共感していたのだ。


「分かる、だと……」


 お客様は瞑っていた目を見開いて、私を見つめた。


「ええ。私もそうでありましたから」

「嘘をつくな! お前はキラキラしている。そんな奴が俺の気持ちなんて、分かるものかっ!」


 触手が私の身体に巻き付いた。その触手の力によって、私は持ち上げられる。


「ええ。私もせめて、ずっと前から今の様だったら、親から捨てられずに済んだのかも知れません」

「なん……だと……!」


 触手の力が弱まった。


「あなたと同じように、他の人間からいじめも受けていました」

「俺と、同じ……」


 触手の力がさらに弱まっていく。


「ええ。だから分かるのです。あなたがキラキラしたものに苛ついてしまうのも、よく分かります。私もずっと前はそうでした。見たくないですよね。自分には……」


 触手に拘束されたまま、私は身を捩って手を伸ばす。お客様の醜い顔。その顔の頬をそっと撫でた。


「暗闇がお似合いだと、そう思っているんですよね」


 触手の力は完全に抜けて、私を解放した。私は着地して、今度はその大きな身体に、そっと抱きついた。


「ああそうだ。俺には暗闇がお似合いだ。醜悪で、惨めで、何も出来ない。ただ神よりも劣る存在に、八つ当たりするしか出来ない、下らない存在だ」

「そうでしょうか」


 私の言葉に、伏せていた顔を上げた。しょんぼりとした表情をしている。


「だってあなたは私のことを、キラキラしていると仰ったではありませんか」


 私はそう言って、さらにぎゅっと抱きついた。救ってあげたい。心からそう思う。


「私がキラキラしていると、そう言ったのはお客様が初めてですよ」


 嘘偽りの無い、本心を伝えるのだ。


「それは、お客様がお辛い経験をしてきたからこそ。そんなお客様だから、私をそう見てくれた」


 そうしてあげるのが、きっと良い。それが分かる。


「私はその言葉で、どれほど救われたことか」


 だってこのお客様は、私に似ているから。


「私を救ってくれたあなたにも、キラキラして頂きたいのです」


 ふと、気配がした。優しい気配だ。ほんのりと暖かくて、心が穏やかになってくる。私はちらりと周囲を見た。


 私とお客様を囲うように、ススキが沢山生えていた。


「嘘。これって、遊技……!?」


 芙蓉が言った。これが私の遊技。まるでススキ野ように、部屋いっぱいに生えている。


――ススキの花言葉を知ってる?

――ススキの花言葉は『活力』と『通じる心』

――芒。あんたも名前に恥じない、立派な女になるんだよ。


 菊の言葉が脳裏を過る。通じる心。きっと私はこのお客様と心が通じ合って、お客様に元気になって欲しいと切に願ったから。


 だからきっと、私は遊技に目覚めたのだ。


「芒と言ったか」


 お客様の声に、私は顔を向けた。お客様の顔は、先程よりも良い。気持ちが変わってきているのだろう。


「俺も。お前みたいになれるだろうか」


 だから私は、もう一押ししてあげるのだ。


「ええ。お客様に暗闇は似合いませんよ」

「ああ……ああ……」


 お客様は、ぽろぽろと涙を流す。そして、身体中が輝きだした。


「えっ、えっ!? どうしたの!?」

「心の絶頂が近いの」


 芙蓉が私の隣に立って言う。


「ほら、逝かせてあげなさい」


 逝かせるって、どうしたら……。


「芒……」

「お客様……」


 お客様の顔を見て、私はふと思った。この方は、私を必要としている。今まで何の役にも立てなかった私を、心の底から必要としてくれているのだ。


 そう思うと私は、途端に嬉しくなってくる。ならば私の精一杯で、もてなしをするまでだ。


「お客様。どうか。どうか頑張ってくださいっ!」


 そして飛びきりの笑顔を、お客様に向けた。


 あなたは私がキラキラしていると言ってくれた。だから私は安心して、自信を持って、あなたにこの笑顔を届けることができるのだ。


 スマホが飲み込まれていったあの暗闇を、今なら照らすことが出来るかも知れない。


 私が言った途端。まるで閃光の様に、一瞬だけ輝きが増した。輝きが落ち着くと、お客様は半透明になっていた。


 どうやら、心の絶頂を迎えたようだ。


「ああ。ありがとう。また来る」

「ええ。どうかその時は。ご贔屓に」


 私は深々とお辞儀をした。お客様は光の粒子となって、天に昇っていった。


「芒……」


 芙蓉の声に、私は振り向こうとした。


「やったねっ! 芒っ!」


 私が振り向くより前に、芙蓉が飛びついてきた。


「凄いよ芒! まだ禿なのに心の絶頂をさせてしまうなんて!」


 そして、どこからともなく拍手が響き渡る。あれだけ騒いでいたのだ。いつの間にか他の禿やお客様が野次馬として駆けつけていた。


「よくやった、芒」


 その野次馬をかき分けながら現れたのは、菊だった。


「姉さん! 帰っていたのですか!」


 芙蓉が驚いて言った。


「ああ。芒がお客様の触手で拘束された時から、ね」


 菊はそう言いながら、私に近寄った。そして優しく頭を撫でてくれる。


「まさかそのまま絶頂させてしまうとは、思わなかったけど」


 そして菊は、私に顔を近づけた。美しく顔が、私の微笑みかけている。

 

「少しは、うちに近づいたんじゃない?」


 その言葉に、私は溶けそうになる。ようやく味わえた幸せに、脳が処理しきれないのだ。





 これが千秋のお仕事。神様がお客様であり、お客様は神様である場所。


 これから私は、菊のように立派な花魁を目指して、ここで修行を始める。


 かつて脳に焼き付けた京の町の景色。


 その景色と同じくらいに、大きく、キラキラした存在と、なるために。

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ススキの遊郭〜はんなり花魁おいでやす神様 violet @violet_kk

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