第3話 AIのくせに

 今日、僕が朝からイライラしていたことは事実だ。一年前から始めた新しい新規物質の探索がうまく行っていなかったので、不機嫌な顔になっていたのかもしれない。彼女のマニュアルには、『使用者の感情的な起伏が激しい時は、接するのを一時控えるように』と書かれており、場合によっては、学習相談センターへ問い合わせをするよう指摘されていたが、鬱になるほどの状態でも無かったのと、僕の担当は、遺伝子情報を元にした個別化医療での創薬であったので、患者さんが一刻も早く治療を待ち望んでいることを考えると、ゲノムのビックデータと患者情報を合わせ持っている彼女の存在は、開発上とても重要で、彼女が研究補助員から外れることは考えられず、オフスイッチに手をかけたくは無かった。

 それでも、人間としてのプライドなのか、奢りなのかわからないが、これまで、自分は雇用者であり、彼女は被雇用者だと言う主従の関係性をやけに誇張した態度を取っていたことも確かだ。

 朝の珈琲が薄かったので、ぼくは彼女に、嫌みっぽく言った、

「今日は、やけに薄いじゃん。もっとしっかり入れてくれよ。ちょっと、睡眠不足だってことは分かってるだろう」

 彼女は、怒るでもなく、かといって申し訳無いというそぶりもなく、

「昨日は、この濃さで満足していましたよ。一週間のカフェイン摂取量を超えていますので、それに配慮をしたのですが」

 優等生の回答だ。本物の恋人でも、もし、それが妻であったとしても、こんな百点満点の答えをする人はそうそういない。

 彼女は、いつも何故その事象が発生したのかを論理的に説明する。だから、反論できないことも多い。でも、だからこそ、イライラは積もるのである。

 僕は、彼女に愛称を付けていた。今から八年前、僕の三十五歳の誕生日まで付き合っていた恋人の名前だ。選りに選って、誕生日に振られてしまうなんて悲劇中の悲劇で、そんなことを平気でやってのけた悪魔のような彼女の名前を、これから相棒となるアンドロイドに付けてしまうのもどうかと思った。そんなに昔の恋人のことが忘れられなかったのかと言われると、情けないかなそんなところも少しあり、また、『ユキ』という言葉の響きも好きだったので、そのまま使ってしまったと言うのもある。まだ、このモデルでは、愛情などの機微を読み取るほどのAIシステムは搭載されていないので、一度、君の名前は昔の恋人の名前だとインプットしたことはあったが、彼女の解釈は、おそらく、『ユキ』と言う名前は、雇用者の昔の恋人であったという事実だけを分析して、やさしく接することが重要、丁寧な言葉でかつ少しフランクにという程度の言葉の選択プログラムが動いていたのではなかろうか。

 僕は、彼女の理屈っぽい返答にさらに咬みついた。

「開発が進んでいないことはよく分かっているはずだろう。今は仕事優先、僕の身体の事なんて考える必要ないだろう」

「ごめんなさい、分かりました」

 どこまで行っても優等生である。そろそろ、この流れの会話を打ち切ることが優先と判断したのだろう。それ以上反論しにくい会話にシフトしはじめた。もちろん、この三か月間の僕との会話学習で、この単純な六文字の組み合わせが最適と判断したのだろう。

 僕は、ユキの会話収束プログラムに一端載っかることにした。

 それでも、数分もしないうちに、また、僕はつっかかってしまった。

「ユキさぁ、吉岡さんの抗がん剤の件、先にやっつけちゃってと言ったはずだけど、まだやってないよね」

「吉岡綾音さん女性四十八歳の件ですか。他にも、山田拓人さん男性二十九歳、諸星隆司さん男性五十八歳、永田望さん女性五十六歳を先と言われていますが、どうすればよろしいですか」

 困ったような振りもせずに淡々と答えられると、よけいに腹が立ってくる。

「だから、吉岡さんを先にやってよ」

「何をイライラしているのかしら」

 僕の命令が支離滅裂になっていることに直接反論はしてこない、よく学習されている。こんな時は、より極端に、異性モードになったら良いという事を計算し尽して、優しい言い方で返された。寧ろ、「何いい加減なこと言ってるの」と、喧嘩腰になった方が、自分の落ち度も分かっているから楽なんだけれど、彼女の方が一枚上手である。

 僕の方も、少し素直になりかけたのだが、でも、その後に出た言葉がだめだった。僕の琴線に触れてしまった。それは、モラハラでもあり、セクハラでもある言葉であった。

「私が黙れば良いということかしら」

 言葉の選択が早すぎる。もっとコミュニケーションが必要なんじゃないか。これは、彼女のAIがプッツンして切れたということではなく、様々な選択肢の中から、最適な一言を以て、会話を収束することを望んだということだと思うが、僕にとっては、僕の主人としての理不尽な仕事要求であるパワハラに対して、『しかと』によるモラハラ返しで対抗してきたように受け取れた。

 本当は、もっと会話があってからこの言葉に行き着くのかもしれないが、AIは早々と会話のシミュレーションをしてしまい、最後の言葉を選んでしまったようだ。これはバグなんじゃないのぐらいに、冷静に考えればいいのだが、いや、言葉が悪い。そうはいかないのである。

 口喧嘩において一番強いのは、黙ることである。コミュニケーションそのものを拒否するのであるから、先へ進まない。人間どうしでも、そういうことはよくあるが、それは、黙ることによって威圧しているのである。

 例えば、相手が妻や恋人で、人間どうしというなら、それはそれで、やりやがったなという事で、こちらも黙って、根競べとなるのであるが、彼女は仕事のパートナーであって、仕事は詰まっている。このまま根比べする訳にもいかない。

 彼女のAIは、今一番効果があるのは、黙るということだと判断したことになる。なぜなら、仕事は自分で判断した優先順位に基づき、予定通り進めれば良い。相手にしないことが、最も合理的な選択肢となると考えたからだろう。

 彼女のモラハラ発言は、コミュニケーションを求めている僕に対して、コミュニケーションそのものを成り立たせなくする『いじめ』のようなものであるが、これが本当に『いじめ』なら、相手を肉体的、心理的に不快にさせようとする意図が働いているので対処もできるが、相手がアンドロイドだけに、いじめを意図して、言葉が発せられたのではない。僕の受け取り方としてハラスメントだったというだけだ。

 しかも、『私が黙れば良いということかしら』という表現には、僕の心の中で、雇用の主従関係ではなく、私は女性であなたは男性だから私が黙るみたいな、セクハラ返しのようなものまで感じてしまう。絶対に、AIがそんなニュアンスを計算しているとは思えないが、感じてしまえばそれはセクハラになるのである。

 彼女の首の右側のところについているHC(HumanControl)調整つまみが、今までそれほど気にしていなかったのに、何故か大きく目立つように思えた。こんなに露わに付いていたんだろうか。これまで小さな黒子のように思っていたのだが、やけに昔のオーディオ装置のようなアナログのコントルールつまみが誇張されて見える。

 つまみの左にNH、右側にMHと小さくゴシックで首に文字が刺青されている。マニュアルを始めに読んだとき以来、気にしたことは無かったが、左に回せばNotHumanで、より機械的になって、右へ回せばMoreHumanで、より人間的な対応をするようになっている。今はその中央のメモリになっている。

 彼女は少し人間的な反応をし過ぎている、なのに実際はアンドロイドだから、その冷たさに苛立つのか、もっと機械的な対応をしてくれたのなら、「仕方ないか、ロボットだから」となるんだろうか。それとも、人的であれ、機械的であれ、コミュニケーションを壊され、ぼくのアイデンティティに土足で踏み込んでこられたら、どちらにしろ、ハラスメントを感じるのだろうか。

 言葉が発せられて、それにぼくが、極度に反応してしまって、感情が動いてしまった後では、よくわからない。

 とにかく、ここ数ヶ月、大事に育て、仕事の同僚として大きな役割を果たしてくれた、僕好みの容姿であるHR‐WS12型は、機械のくせに女を武器にしたセクハラ返し、かつコミュニティを遮断するモラハラで、ロボット工学三原則の一つである『人に危害を加えてはならない』はしっかりと守られているにも関わらず、僕の心を傷つけた。

 そして、僕は知らず知らずのうちに『AIのくせに』というハラスメントに陥るのである。

 二十一世紀に入って、もう三十年、世界情勢の不確かな移り変わりと日本社会の様々な変革の中で、社会構造はどんどんと変わっていくのに、人はいつも同じだ、人だけは何も変わっちゃいない。

 何も喋らなくなった彼女の目に涙がにじんでいるように見えたのは気のせいだろうか。僕は、HC調整つまみを強くNH側に回した。滲むように出て来た自分の涙で、彼女の固い表情はしだいにぼやけていった。

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AIハラスメント 山野 終太郎 @yamatoku555

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