第2話 受け取り方
僕の目の前にいる彼女も、先ほど、僕に対して使った言葉に何も悪気はないのであろうが、僕には、ハラスメントのように受け取れた。普通の彼女、つまり恋人だったら、少し喧嘩腰になって、
「それ、セクハラだよ」
僕は、ちょっと強い口調で、それでも遊びっぽく口をとがらせて反論。
「そんなことないよ。普通それぐらい言うよね」
彼女は、にやっと笑いながら、眉間に少し皺を作りながら言い訳をする。
「いやいや、僕だから受け止めるけど、それ、他の人に言ったら絶対アウトだよ」
「そうかなぁ、まぁ、貴之さんだから、これくらい大丈夫ってとこもあったかな。ごめんね」
頃合いを見て、彼女が折れてすぐ休戦となる。
しかし、彼女が僕の仕事の完璧なパートナーであり、ビックデータの主であるから困るのだ。
彼女は、僕の所に来たとき、初めはお茶の入れ方も知らなかった。
「お茶入れて」
と頼んだら、なんと湯飲みにお茶っ葉だけ入れて持ってきたのである。
「これ何」
僕は、不思議そうな顔をわざと作って見せて、聞いてみた。
「お茶です」
冷静沈着に答えられてしまったので、たまげてしまった。
ぼくは、大手製薬会社の研究開発部門において、新薬開発を行っているのだが、決して、お茶を入れてもらうために彼女を導入したのではない。寧ろ、同僚という意味では、形態と声の性別は男でも良かったのかもしれない。ただ、なんとなく、カタログをぺらぺらとめくったところで、彼女の容姿が気に入って、思わずネットのカートに入れてしまったのだ。
学習済みタイプを買いたかったが、価格が高すぎて、購入のための稟議を通せなかった。最近のAIはそれなりのものであるから、来てから学習すれば良いだろうと思ったのも事実、少し、育てる楽しみもあるかなと思ったのも事実、でも、女性型ということで、恋人も妻もいないぼくとしては、それなりの下心があったというのが真実だ。
ゆっくりといろんなことを教えてやろうとは思ったが、基本パッケージでお茶を入れることも教えていないとは思わなかったのである。
研究業務の補助、所謂、助手という職業は、基本的にはルーチンワークが中心であるから、ほとんどは、専門用にカスタマイズされたタイプを導入することが多い。もちろん、一連の開発を担うワークステーションを導入する手もあった。ただ、それはあくまでも、コンピュータであって、コミュニケーションを基本とした補助業務を行うものではなかった。第四次産業革命のコア技術となったAI革命以来、研究開発部門は大きく変わった。もちろん、それ以外の仕事も大きく変わったが、研究へのAIの応用は、他の仕事とは異なり、創造活動の補助にも使われるようになった。
今や当たり前になってしまった車両の自動運転は、元々、人不足に対応して、人間の仕事を代替することから始まった。安全性が確実になれば、法的規制のみが障害であり、技術的なハードルは低い。東京オリ・パラの開催を境にして、急激に社会実装されたスカイカーも、まだまだ価格的には高く、僕の収入ではとても手が届かないが、今や、三十三階の高層オフィスにあるぼくの研究室の窓越しにも、時々通り過ぎていく。これもAIにより無人化されたモビリティの一つだ。この建物沿いに、人の目には見えないけれど、スカイロード3号線が走っているのである。すべてコンピュータが運転するのだから、ぶつかることも無く、好きなところを飛んでいけば良いと思うのだが、ロードなんて概念だけが残り、そこだけやけにアナログ的である。
輸送産業は、無人ドローンの早期の社会実装により、技術面でもサービス面でも、最も発達した産業と言えるだろう。それでも、産業としての基本的なブレイクスルーは何かというと、元々人間が操作していた機械をAIプログラムが操作して、ルーチンになる人の仕事に成り代わりやってしまおうということで、人はその分クリエイティブな仕事に特化しようということだ。
人口は予想に反せず減少の一途を辿っているから、社会の欲求をそのまま実現して来たのだが、2025年を過ぎる頃から、次第にその方向性も異なってきて、クリエイティブな分野にもAIは進出してきた。特に、研究開発においては、人とAIとのコミュニケーションが重要であることが指摘され、ビックデータとAIを搭載しただけの作業ロボットからコミュニケーションによって、創造活動も補助するアンドロイドが市場を席巻してきたのである。
アンドロイドと一般的には言うが、学術用語としてはヒューマノイド・ロボットと呼ばれることも多い。鉄腕アトムやASIMOも、映画のスターウォーズのC3‐POも、人型に作られているが、何故人型でなければならないのかは、聖書にまで遡って考えられるべき哲学的命題であるのだろう。僕は、単純に、人との同化による平和観、もっと単純に言うと、わかり合える世界観、もっともっと単純に言うと、社会的欲求なんだろうと、自分なりに解釈していた。基本は社会への帰属欲求で、言語であれ、態度であれ、表情であれ、行動であれ、所謂、コミュニケーションをしたいという人間の本能であるだろうと思っている。
新しい創造に貢献するために、どの国も、アンドロイドの開発に力を入れた。特に、開発力で抜きんでていた日本は、いち早くグローバルモデルを完成させ、生活基本パッケージとそれぞれの職業に合わせたビックデータを搭載したモデルの量産が進んだ。
僕の研究補助となったのは、研究の創造性を最もかき立てるタイプとしてネットカタログに売り文句が書かれていたHR‐WS12型の創薬開発カスタマイズモデルである。
WS12型は未学習タイプであるので、来たときはお茶の入れ方さえ知らなかったのだが、そんなことは何の問題もなかった、僕が困ったのは最初の一週間だけだった。しかし、三ヶ月が過ぎる頃、何か彼女との会話の中に違和感を覚え始めた。それが何の違和感かはよく分からなかった。学習過程において問題があったのかもしれないが、普通に接して、普通に生活を送ってきたのだから、それ以上のことはできない。そして、今日の一言に行き着くのである。
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