そして最後の日
マティスは多くを救ったかもしれない。彼は多くの人ならざるモノを屠ってきた。そのお陰で守られた命もあったが、心に傷を負った者もいた。
確かに人ならざるモノ―――
けれど、時にソレは人と共に寄り添い、生き、そして守り慈しんでいた。
人を守っていたはずだった、そのために戦っていたはずだった。しかし、心が摩耗したマティスには自分と同じ側である人ならざるモノを許容する余裕はなくなっていた。すべて殺害対象、その関係者に恨まれようと、殺されそうになろうとその手を止めることなく男は殺し続けた。
赤髪の悪魔、そんな風に呼ばれるようになっていた。
そして、長きにわかり彼はついに私の下へとたどり着いた。
「やぁ、長い旅路だったね。お疲れ様」
すっかりと生気を失った目をした彼を屋敷に招き入れ、暖炉の傍のソファに座らせた。ぬぐい切れない死臭を纏い、硝煙を香水代わりに現れたマティスはあの日と変わらない姿をしていた。
「君の旅はどんなものだったかな?」
客人である彼の為にお気に入りの紅茶を用意する。今の彼にこれを味わう余裕があるとも思えないが、お客様にはお茶を出すのがポリシーの私は自分の為にお茶を用意した。
「……」
一瞬視線を上に向けて、私の顔を見るがすぐに床へと視線を戻してしまう。どうやら大分疲れているようだった。
「思い出に浸っているのかな?それとも私が何か仕掛けてくると思って警戒しているのかな?」
彼の正面に椅子を持ってきて座り、用意した紅茶を飲む。
「何のために、俺に声を掛けた?」
「妙な事を聞くね、君が力を欲しているようだったから手を差し伸べたんだが、気に入らなかったのかな?」
マティスは自分の手のひらを眺めながらゆっくりと旅の出来事を語ってくれた。
世界中を旅し、時には組織の一員となり戦った事。指名手配されて追い回されたこと、初めて恋に落ちた事。そして、守り切れず目の前で失った事―――
ぽつり、ぽつりと時間をかけて、当時に戻ったかのように彼の脳裏には鮮明に出来事が思い出されているのだろう。するりと語れる話もあれば、嗚咽交じりで言葉にならない悲しい事も。
一人で抱え続けた長い時を、同じように老いず生きる私に語ってくれた。すべての話が終わるまで、私は一体何杯の紅茶をお替りした事だろう。
そして、最後に残った人ならざるモノの匂いをたどり私の下へとたどり着いたのだと言い終えると、使い古されたナイフを懐から取り出した。
「そんなもので私を殺すつもりかな?」
「違う。貴方にお願いがあってここに来た」
机の上にナイフを置くとマティスはやっと私の顔を見た。
「お願い?」
「貴方を殺すから、俺の事も殺してほしい」
妙な願い事に私は首をかしげてしまう。彼の言葉は一緒に死のうと居ているように思えてしまったからだ。
死ぬはずだった運命を、死ねぬ運命に引きずり込んだ私へ復讐ではなく頼み事。
「長い間、人と違う時間を過ごして分かった。一人は辛い」
「元々君は人だからね、しかし死にたいなら私を殺して勝手に死ねばいい」
「……もう、俺は人じゃないだろう?人ならざるモノをすべて殺すまで俺は死ねない。俺は俺を殺せるのか?」
成程、そういう事か。
「確かに君の力は人ならざるモノを殺す。けれどすべての人ならざるモノを殺すまでは死ねない。君が存在する以上人ならざるモノは世に存在するわけだ。
確かに死ねないかもしれない。
けど、死ねるかもしれない。試してみたらいい」
「そうやって、自分と同じ一人ぼっちを作りたいのか?」
私は笑った。
そうだと言ってやろうかと思った。しかし、別にそんなつもりはない。
そもそも深く考えてはいなかった。彼がどうなるかなんて。本当に殺しきるとは思っていなかったから。もっと早く耐えられなくなって精神が壊れると思っていた。思考できず、廃人になるだろうと思っていたのに、壊れ切らなかった。
だから、私は少しだけ困っていた。
第一、殺されるつもりもなかったからだ。
「つまり君は静かに眠りたいんだね」
「ああ、もう……疲れた」
「なら眠ればいい。苦しい思いもしない様に、眠ればいい。そして君が目を覚ました時はきっと新しい世界が待っているだろう」
私はナイフを拾ってマティスの胸に突き刺した。
あの夜と同じ赤い血を流している。
「貴方が居れば、俺は―――」
「そうだね、死ねないね。でも眠る事は出来る。おやすみ、そしてよい夢を―――
君が目覚めた時にはきっと、また新しい世界が広がっている。
新しい世界を私が用意しておこう」
止めろとマティスが叫んだが、そんなことはお構いなく私は彼の首を切り落とした。
これでも死なない。私が生きている限り、時間をかけて彼はまた傷を癒して目を覚ますことだろう。
目を覚ました時、君は一体どんな顔をしてくれるかな?とても絶望をするかな。
私は彼の傍で目を覚ますその時までずっと、ずっと一緒に居た。
そして数年後、ゆっくりと彼は体を起こした。
私は、おはようと優しく笑いかけ、そして同時にさようならを告げた。
唯一の顔見知り、人ならざるモノ、最後のつながりを彼の目の前で切ったのだ。
ああ、やっぱり君はいい声で叫ぶ。
君の感情の高ぶる声は何度聞いてもいいものだ。
死ぬつもりはなかったが、こんなにいい声が聴けるのならば最後の手向けとしては最高だ。
ありがとう。
叫び、涙し、助けを求めるマティスの声はほかの誰にも届かない。
彼に差し伸べられる手は存在せず、彼を受け入れる物も居ない。
その後、彼がどうなったかを語るものも知る者ももういなかった。
哀れな男の話をしよう 猫乃助 @nekonosuke
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます