優しい悪魔
丸 子
悪魔に会ってみたいですか?
あなた、そう、そこのあなた。
あなたは悪魔に会ったことがありますか?
え? 黒いマントをはおって大きなかまを持っている?
そうそう、それ!
って、それは死神です!
悪魔は、どんな姿にでもなれるといわれています。
よくあるのは頭に二本のカーブしたツノが生えていて、全身が黒くて、手には三つ叉のやりを持っていますよね。
そう、おっしゃるとおり、たしかに、しっぽは矢のような形をしています。
・・・・・よくご存知ですね。
もしかして、あなた、悪魔ですか?
ちがう?
よかった・・・悪魔に悪魔の話をするところでした。
今回は優しい悪魔のお話をしましょう。
お話の主人公は荒井山けいた君。
小学五年生の、どこにでもいる、ふつうの男の子です。
ただ、ちょっと荒っぽい性格が気になりますが。
「名は体をなす」といいますから仕方がないのかもしれません。
#######
荒井山けいたは怒っていた。
実際、けいたは常に怒っている。
しかし、今また、新しい怒りを覚えていた。
けいたの怒る理由。
それは数え切れないほどあり、そして信じられないくらい単純なものだった。
例えば。
廊下を歩いている時、後ろから来た子のつま先が、けいたのかかとに当たった。
それだけ。
別に、上履きが脱げかけ転びそうになったわけでもない。
かかとがすりむけるほど強く当たったわけでもない。
けいたでなければ、気付かないで歩き続けている程度の軽さ。
後ろの子も自分のつま先が当たったなんて気付かない程度の弱さ。
それだけで怒った。
例えば。
クラスメイトの男子がふざけあって、たまたま、けいたの机の近くまで移動してきて、あと少しで机にぶつかりそうになった。
その、ぶつかりそうになった距離、
ふざけあう荒ぶる空気、
声の大きさと高さ。
その一つ一つが理由で怒った。
けいたが怒ると、みんなは大抵おどろく。
怒られるようなことをしていないから。
普通では怒らない範囲の出来事だから。
でも、けいたは常にイライラしている。
だから、怒る。
そして、暴れるのだった。
今日も、けいたは怒っていた。
帰りの会が長引いていたからだ。
新しい怒り。
どんどん生まれる怒りのエネルギー。
そのエネルギーがマックスに到達する寸前で帰りの会は終わった。
怒りのおさまらないけいたは、乱暴にランドセルを背負うと、
一番に教室を出て、
一番にくつを履きかえ、
一番に正門から外に出た。
一番。
それは、けいたの怒りを静める数少ないもの。
けいたの爆発寸前の怒りが、少しだけおさまった。
気持ちが落ち着くと、決まってけいたは歩くのがゆっくりになる。
背中のランドセルは重いけど、そんなに気にならなかった。
どんどん、気持ちが落ち着いて、どんどん、心が静かになっていった。
久しぶりに良い気持ちだった。
今日は天気が良く、心地よい風が吹いて、さわやかな日だった。
「帰ったら、何をしよう」
楽しい気分で歩いていると、前を行く男の人の背中が目に入った。
けいたもゆっくりと歩いているが、けいたより、もっとゆっくり歩いている。
このまま行けば、けいたは、その男の人に追いつくだろう。
ただ、歩道が狭く、路上駐輪している自転車が邪魔で、追い越すことは出来なさそうだ。
追い越すとしたら
「すいません」
と声をかけて、けいたが通り抜ける分だけ、よけてもらわないといけない。
けいたは、そんなことはしたくなかった。
ゼッタイに。
また、けいたのイライラが始まった。
「おっさん、どけよ」
心の中で、けいたは毒づいた。
そのタイミングで、目の前の男の人が立ち止まった。
男の人。
背は高くなく、少し太っている。
くすんで、くたびれた灰色の上着に、紺色のズボン、肩からは革のカバンをななめがけしている。
髪は短く、全体的に白髪が多い。
首元から白いシャツのパリッとした えりが見えている。
「学校の用務員さんのようだな」
けいたは、そんなことを思った。
カバンは前面の下側に二つ留め金がついていて、ランドセルの「かぶせ」と呼ばれる部分のように本体の前面部分を持ち上げて内部を見る形をしている。
色は茶なのだが、ところどころの色が薄くなり、留め金の周りや角は革がはげて白くなっている。
相当、長いこと使い続けているようだ。
肩かけヒモは夏用のベルトのような麻の素材で、新しいヒモに付け替えたのだろう、素材も色もカバン本体とは、まるで違う。
本体に取り付けるナスカンという金具は目が痛いほど太陽に反射して光り輝いて見える。
そうまでして使い続けているところに、カバンへの愛着が感じられる。
「貧乏かよ」
けいたは何に対しても文句をつける。
たとえ、頭の中で
「こんなに大切に使われたらカバンも幸せだろうな」
と思ったとしても。
くつは履き古した黒い革ぐつだが、ぴかぴかに磨き上げられていた。
「おしゃれは足元から」「くつを見れば、その人がおしゃれかどうかわかる」
そんな言葉を、けいたは、ふと思い出した。
「そういえば、母さんも、まめに父さんのくつを磨いてる。
くつだけじゃなくて、スーツもシワにならないように、ぴしっとハンガーにかかってるし、ワイシャツはいつも清潔でアイロンがけされて、きちんと畳んだ状態でたんすに入ってるな」
観察していると、カバンの背面ポケットから本が見え隠れしていることに気付いた。
絵本の背表紙のようだ。
タイトルがもう少しで見えそうなのだか、もっと近づかないと見えない。
男の人と、その絵本らしき本に違和感がある。
「なんで絵本なんか?」
そのタイトルをどうしても見たくなった。
「絵本じゃなくて雑誌なのか。
いや、あの作りだと雑誌じゃないだろうな。
写真集か、絵画集か。
ここから見えるタイトルがひらがなっぽいから、やっぱ絵本だろう。
なんだろうな、気になるな。
すげー見たい」
胸の中で好奇心が急速にふくらんでいく。
だが、次の瞬間。
「どうでもいい」
けいたは、ひとりごちた。
好奇心を打ち消すように、わざと声に出して。
このままだと男の人にぶつかってしまう。
けいたは聞こえるような大きな音で舌打ちした。
舌打ち。
それは両親から「ぜったいにしてはいけない」と言われていること。
自分がされても とても嫌な気持ちがするし、舌打ちしても気分が晴れるわけではない。
でも、出てしまうのだ。
「チッ」
自分の耳にも大きく響いたその音に、目の前の男の人がふり向いた。
丸い顔にめがねをかけていて、髪は思っていたより少なく、特徴のない顔をしている。
後ろから見て想像した年齢よりも、もっと年をとっている。
おじさん、というよりも、おじいさんに近い。
そのおじさんが、けいたの目を見て、にっこりと笑った。
けいたを自分の知り合いの子どもと間違えているのかもしれない、と思うほどの優しい笑顔に、けいたがおどろいた。
「おや、ごめんなさい。急に立ち止まったりして、失礼しました」
笑顔から想像できるとおりの優しい声をしていた。
初めて会ったのに安心してしまう声。
けいたのイライラがいっしゅんで消え去った。
「さぁ、どうぞ。先にお行きなさい」
そう言われて、けいたは
「あ、はい。ありがとうございます」
自然と敬語を使っていた。
今まで、だれにも、一度も使ったことなどないのに。
体を横にして、けいたが通り抜けるのを待ってくれている、そのおじさんの前を、けいたはランドセルを背負い直し、一礼しながら通った。
そのとき、ちょうど頭を下げたとき、さっき気になっていた本が見えた。
『えきのブレナン 星見 羊美』
絵本だった。
通り過ぎる瞬間、ほんの一秒よりも短い間、けいたの中でビリッときた。
まるで電気が走ったような。
かみなりに打たれたような。
ほんの一瞬のこと。
「この季節に静電気なんてないよな」
あまり深く考えずに、けいたは歩き続けた。
しかし、けいたの中の怒りのエネルギーはタンクごと なくなっていた。
けいたの頭の中の、さっき会ったばかりのおじさんの記憶も、きれいさっぱり消えていた。
そして、けいたの顔は まったくの別人のように穏やかになっていたのだった。
######
どうでしたか?
怖くなっちゃいましたか?
夜中にトイレに行けなかったりして。
ふふふ。
え、ぜんぜん怖くない?
そうですか。。。
優しい悪魔。
この悪魔がどうして「悪魔」と呼ばれているのか。
あなたはわかりますか?
本当なら自分で気が付いて直さないといけないクセや、叱られて初めて成長できることが世の中にはあるものです。
大勢の前で失敗したり恥ずかしい思いをして、あとから思い出すと、もうイヤでイヤでたまらなくなって「消えてしまいたいっ!」と思うほどの経験、そう、いわゆる「黒歴史」と呼ばれるような体験、それが実は大切だったりするんです。
そして、この悪魔は、その「黒歴史」が大好物なんですねぇ。
悪魔にも、いろんな悪魔がいるものです。
絵本を持ち歩いている悪魔なんてのも。
それにしても、あの絵本は一体なんだったのでしょう。
このお話に出てくるような男の人を見かけたら気を付けた方がいいですよ。
まぁ、悪魔はどんな姿にもなれるそうなので、もしかしたら、もう会っているかもしれませんねぇ。
ネコにもなれるそうですよ。
あ、もしかしたら、あなたの好きなあの娘も、実は悪魔だったりして・・・・・。
優しい悪魔 丸 子 @mal-co
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