7.『老子』の統治論

 以上で、『老子』のざっくり解説を終えますが、最後に、ふれないわけにはいかない話を一つ。


 まずは引用します。


【「道」と一体になった聖人が行う政治では、人民の心をつまらない知識でくよくよしないようにからっぽにして、その腹のほうを空腹にならないようにいっぱいにし、人民の望みを欲にとらわれないように弱く小さくして、その肉体の筋骨のほうを強くじょうぶにする。こうして、いつも人民を知識をもたず欲望もない状態にならせて、あの知恵者たちが人民をたぶらかそうとしても、どうしようもないようにするのである】[P22-23]


【「道」をりっぱに修めきったむかしの人は、それによって人民を聡明にしたのではなく、逆に人民を愚直にしようとしたのである。人民が治めにくいというのは、かれらの知恵が多すぎるからである】[P199]


 『老子』は衆愚政治を推奨している、とされる所以のものです。 


 けれども、本エッセイを読んでいただければすぐに理解できるように、これは、人民をアホにして治める、というような類の統治論を言っているのではありません。


 そうではなく、分別(知識)が欲望や争いを生む、という見地がベースにあります。もっと具体的に言うと、(「道」を知らない、「道」にふれることのない)中途半端な小手先だけの知識がキケンで、そいつがあるがため、人の世は争い(競争)ばかりになり、安らぎが無い、ということです。


 究極的にわかりやすい言い方をするなら、資本主義社会を否定しているようなものです。資本主義社会にあるのは、欲望と、競争です。

 ここでの知識は、競争に勝ち、欲望を満たすためのツールです。

 『老子』が嫌っている知識とは、たとえば、そのようなものです。


 むしろ、そんな知識なら捨てちまい、「道」と共に生きる、そんなことは実際問題凡夫にはムリだと思えますが、まぁ、そんな生き方がもしできるなら、そっちの方が幸せじゃね? というのが『老子』の見解ですね。

 べつに衆愚政治を煽っているわけではありません。


 さて、「道」と共に生きる、そんな生き方ってどんな生き方? と疑問に思われるかもしれません。


 私見では、たった一言でそれを表現している歌があります。

 日本の曹洞宗を開いた道元が、永平寺において、詠ったものです。


 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり



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老子の思想 千夜一夜 @kitaro_n

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