二章 赤根凛空 その3

《七月五日金曜日》

「なんでも願いが叶うとしたら、なにを願う?」

 トレーニングを終えて、俺は彼女に訊いた。

「どうしました、急に?」

 彼女は少し困惑した表情を浮かべ、フルートを握る。

「例えばの話だよ、俺は空を飛んでみたいな」

 冗談にしても上手くないと我ながら思う。俺は飛ぶ方じゃなくて飛ばす方だ。

「そう、ですね」

 悩むように、彼女は自分の髪の毛を触った。

「目が見えるようになりたいとか?」

 失礼なことは百も承知で言う。

 彼女がそれを望めば、その結果俺が赤根凛空だと知ることになってもそれを叶えたいと思った。

 俺は自分の願いを彼女の為に使おうと決めた。もとより、俺に叶えたい願いなどなく、全てを自分の力で手に入れるつもりだったから構わない。

 何故かは自分でもわからなかった。好意なのかもしれないが、生まれてこの方誰かを好きになったことはないから、これがそうなのかはわからない。

 もしかしたら健常者からの憐憫なのではないかとすら疑う。仮にそうだったとしても彼女が喜んでくれるのならいいと思えた。

「目は見えたらいいとは思います」

 たっぷりと悩んで彼女は口を開いた。

「でも、見えたらやりたいことのほうが本当に叶えたい願いなんだと思います」

「それは?」

「一度でいいのでオーケストラで演奏することです、指揮が見えないとオーケストラでの演奏は難しいですから」

「オーケストラか、いい願いだな」

「前例が全くないわけじゃないんですよ、指揮者の動きを伝える機械を使ってオーケストラで演奏した方もいるんです」

 明るい顔で願いを語る彼女はとても素敵に見えた。それを伝えたら彼女は本気で恥ずかしがるだろうから言わなかったが。

 そこから思いがけず話が弾んで、色々なことを話した。

 彼女がフルートを吹き始めた理由、学校での生活、数学が苦手なこと、小説を読むのが好きなこと。

 こんなに有意義な時間は生まれて初めてだと感じた。

 目の見えない彼女の生きている世界を感じ、少しだけ俺の世界の話をして、小さな事で笑う。

 永遠にこの時間が続けばいいと思ったが、時間はいつの間にか過ぎ、夏の長い陽が遠くの山に姿を隠し始めていた。

「そろそろ帰るか、陽が暮れだした」

「みたいですね、こんなに人と話したのは久し振りかもしれません」

「夜道は流石に危ないから送るよ」

「大丈夫ですよ、私に明るさはあんまり関係ありませんし」

「君を見る方に関係あるだろ」

「そう、ですか?」

「そうだ、ほら荷物渡して」

「あっありがとうございます」

 運動公園から出て、いつもと逆方向に歩く。

 ゆっくりな彼女の歩幅に合わせて、歩く夜道には虫の音と、彼女の白杖の音と、俺たちの話し声がしていた。

「あっここが家です」

「はい、荷物」

「ありがとうございます、明日は土曜日ですからまた来週ですね」

「ああ、また来週」

 彼女の振る手に、見えないだろうと知りながら俺も手を振り返した。



《七月七日日曜日》

 二十一時四十九分。

 俺は山頂にいた。山頂と言っても三十分もかからずに登ってしまえる低い山で、アスファルト道が通っていることもあり、夜道であっても苦労せずに登頂できる。

 山頂にある駐車場は街灯でライトアップされており、この前の工場跡よりも随分明るい。

 二週間ぶりに当たったクジは、それほど嬉しくはなかった。

 山頂に着いたときには既に対戦相手は俺を待ち構えており、その隣にはあのガキがいる。

「お前、もしかして赤根凛空か?」

 対戦相手が俺を見る。

 その鋭い視線は、明らかに殺意を抱いていた。

 歳はそれほど離れているように見えない、非常に体格のいい男だがこちらに見覚えはない。

 なにより、今時剣道着を着て、腰に刀を提げた人間など一度見たら忘れないだろう。

「どこかで会ったかな?」

「有名だろお前」

「まぁそうだね」

 目が見える人間ならこの街で俺のことを知らない方が不思議か。

「俺はとどろきたくみだ、よろしく」

 男は頭を下げる代わりに、刀に右手をかける。

 その姿がなかなか様になっている。明らかに武道をしている人間だ。

「揃ったようだし、始めてくれたまえ」

「そうだな」

 だが、相手が知り合いじゃないのならやりやすい。

 俺と相手の距離も充分に開いている。

 刀だって届かないのなら意味はない。

 短く息を吸って、吐き出す。相手の足下に風を起こし、そのまま一気に持ち上げた。

 これで終わりだ。

 一瞬、変な間が空いて吹き上がる風柱の隣で相手は袴をなびかせていた。

 なんで当たっていない?

 風を止めて、息を吸う。

 時間が隙間を空けたかのように、映画のフィルムの一コマを入れ忘れたかのように、不自然に相手が歩を進め俺との距離が詰まる。

 なにが起こった?

 刀の間合いを考えると次で決めないとヤバい。

 確実に、相手をよく見て俺は息を吐いてその足元へ風を起こした。

 捉えた。

 確実に、そう思った。

 しかし、今回もなぜか相手は俺の起こした風柱の隣に立っている。

「お前の異能は風か」

 男が小さく呟き、頭の高さが変わらないまま滑るような進み方でさらに間合いを詰めて来る。

 カチャ。

 小さな音がして、流れるような踏み込みと同時に刀が抜かれた。

 避ける。

 太刀筋を見極め動こうとした途端、また、一コマ相手の動きが途切れて、その分刀が俺へと迫る。

 なにが起こっている?

 それを理解するより先に、声が出た。

「させるかっ!」

 持ち上げられないなら、吹き飛ばして間合いを取るしかない。

 息に合わせて風が起こる。

 いや、相手の方が速い。

 身を引くが、切っ先が俺に届き熱さと同時に腹を斬る。

 次の瞬間ようやく吹いた風が、相手を駐車場の奥のフェンスまで吹き飛ばした。

 脈打つように熱さに似た痛みを伝える腹部を見る。

 服が綺麗に切れて、血が滲んでいるがどうやらそこまで傷は深くないようだ。

 相手の異能はなんだ?

 まるで時間を切り取られたような感覚。

 時間を操ることのできる異能なのか?

 そんな特別な異能だったら勝ち目はない。

 弱気になる自分を、赤根凛空が笑った。

 お前は自分が特別であることを証明するためにこの戦いに臨んでいるんだろう。

 そう、俺は特別な人間だ。

 冷静になれ、時間を操れるような異能なら俺を斬るまで操ればいい。

 それに風柱を起こした時に俺の異能が遅れた感じはしなかった。

 相手が、一瞬の内に場所を移動したと言う方が近い。

 正しくは、俺の見ている世界だけが一コマ切り抜かれたような感覚だ。

 見ている世界が?

 なにかが掴めたような気がした。

 相手は立ち上がり、急ぐようでもなくゆっくりと近づいてくる。

 あまりダメージを与えられてはいないらしい。

 俺の考えが正しければ、次も相手は同じように避けようとする。

 絶対に目を閉じないようにと意識をしながら、相手の足下に風を起こした。

 案の定、時間は飛ばなかった。だが、微かに風を動かした瞬間に相手は俊敏にそれを避ける。素晴らしい反射神経だが、これで確信した。

 まばたきだ。

「瞬時に強い風を起こすことはできないらしいな、先に空気が少し動く、一般人ならともかくそんな攻撃で俺を捕まえることはできないぞ」

 俺の風柱を避けた相手は得意気に俺の異能を分析する。それは確かに弱点だろう。

 彼のように鋭い反射神経を持つ人間は予兆を感じて動くことで避けられるらしい。

 だが、俺もやられっぱなしではない。

「俺も君のタネがわかったよ、まばたきだ、その間に動くことで俺の感覚をずらしてるんだろ」

 それなら、片目ずつ瞑ればいいだけだ。右目、左目と順にまばたきをする。少し不便だが、視界を閉ざさなければ怖くはない。

「見破るとは見事だが、それは技の一つに過ぎない」

 俺を嘲笑うように、彼は歩みを進める。

「俺の異能はこっちだ」

 また、世界が一コマ切り取られ、その分相手が近づく。

 どうして、俺はまばたきをした?

 相手が近づいてくる。

 大丈夫だ、相手の異能がなんであれ持ち上げればそれで決着する。

 俺は大きく息を吸った。

「息、か」

 吐き出す直前、相手は見抜いたように言う。問題ない、それがわかったところでもう止められはしない。相手の足元に風を起こす。同時にその周りにも。

 避けられるのなら避けられない範囲で風を起こせばいい。

 扱う風の範囲が大きくなるほど吐き出す息の量は多くなる。

 俺は大きく息を吐いた。

 足下に動き出した風に相手は身体を動かして避けるが、その周りの風までは避けきれず身体が持ち上がる。

 大きく息を吐き続けるのは疲れるが、日々ランニングで鍛えた肺活量のおかげで相手を上空まで運ぶくらいまでは余裕で持つ。

 これで、俺の勝ちだ。

 ッ。

 風が止まった。

 どうして、俺は息を吸っ、ヒック。

 しゃっくり?

 自分の意思に反しての呼吸に風が止まり、相手は落ちてくる。

 なんなく着地を決めた相手にダメージは全くなさそうだ。

「しゃっくりか、不運だな」

 笑いながら、相手は近づいてくる。

 どうすればいい?

 考えろ、俺は特別な人間だろう。しゃっくりなんかで負けるわけにはいかない。

 しゃっくり、横隔膜痙攣、治す方法は息を止める、驚かせる、箸を十字にコップに渡して反対側から水を飲む。冗談じゃない、そんな暇がどこにある。

 呼吸が管理できず、風が動かせない。

 なんであのタイミングで俺は息を吸った?

 考えても仕方ない、風が使えない以上肉弾戦でどうにかするしかない。

 大丈夫だ、運動神経で誰かに負けたことは一度だってない。

 間合いに入ったようで、相手が刀に手を添える。

 来るっ!

 今回、俺はまばたきをしなかった。

 それなのに相手の動き始めが見えない。

 自然すぎる動作で抜かれた刀は気付いたときには目の前に迫っていて、どうすることもできずに俺の腹を深く斬り裂いた。

 単純に強すぎる。

 熱さが通り過ぎた自分の腹から血があふれ出るのが見えた。

 直ぐに返す刃が俺を袈裟懸けに斬る。

 俺、死ぬのか。

 血が大量に失われ、視界がかすみ、思考が鈍化していく。

 もう一度、彼女に。


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試し読みは以上です。


続きは2020年1月24日(金)発売

『―異能―』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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―異能― 落葉沙夢/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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