瑠璃色の髪の乙女
灰崎千尋
シレーネ
スリープモードから起動した私が最初にすることは、自分の部屋のカーテンを開けること。
私みたいなアンドロイドはエネルギー補給さえできれば睡眠の必要はないんだけど、オーナーが「俺の寝ている間にガサゴソやられると落ち着かん」って言うから、彼に合わせて私も寝るようにしたの。
カーテンだって、一日じゅう陽の光なんて入らないし、私は無くたって気にしないのに「防犯上の理由」とかで閉めるのよ。
まぁそもそも、アンドロイドに一室くれる人間というのが、とても珍しいはずよね。
私の部屋は、二階へのぼる階段を上がってすぐのところ。そこから物置部屋を一つ挟んで、奥にあるのがオーナーの部屋よ。
自分の部屋でエプロンを付けたら、オーナーを起こしに行くの。扉を二度ノックして、少し待ってから入るのがルール。そうすると、たいていオーナーはベッドに入ったまましかめっ面で目をしぱしぱさせているわ。あんまり寝起きは良くなくって。
それから私は、私の部屋とおそろいのカーテンを開けてこう言うの。
「さぁ起きて、オーナー。今日も地球がきれいよ」
ここは地球と火星の間にある、小さな燃料スタンド。
今から五世紀ほど前、地球に隕石がコツンと当たった結果、大洪水が起きたり、火山が噴火したり、地球がちょっぴり余計に傾いたり、色々あったのだけど、当時の人類はそれを火星へ移住することでどうにか逃れたの。たぶん、みんなで火事場の馬鹿力ってやつを発揮したのね。隕石のルートがわかってから直撃までの間に、急ピッチのテラフォーミングも成功させて、どこかの神話みたいに可能な限りの生物も連れて大移動。まぁ一身上の都合で地球に留まることを選んだ人や、行政の手から漏れてしまった人もいたみたいだけど、とりあえず人類滅亡エンドは回避できたみたい。
それからしばらくは火星の統制で揉めるのに忙しかったようだけど、この数十年の間に、ようやく地球の調査まで手が及ぶようになって。人が住むにはまだ問題があるけれど、動物─特に海洋生物なんかはなかなか元気に繁栄しているんですって。
そうなると地球の生物を食用に捕獲して売買する商売が流行りだして、ウチみたいな辺鄙な場所のスタンドもやっていけるってわけ。
燃料スタンドはセルフ式だからあんまり私の仕事はないんだけど、横に小さなダイナー兼住居がくっついていて、そっちがメインの職場なの。
オーナーがゆっくり目を覚ましている間に、私は一階のダイナーの準備。
「おはよう、シレーネ」
「おはよう、オーナー」
その挨拶だけ交わしたら、彼はスタンドの事務作業に行ってしまうの。私はオーナーが私の名前を呼んでくれるのが好きだから、それを聞くだけで今日も頑張ろうって思えるのよ。
オーナーって、本当に不思議な人。
アンドロイドが自分を使役する相手を何て呼ぶかって言ったら、ふつう「
そんなこと言ってる内に最初のお客さん。常連の一人で、漁師のヨーキーさんだわ。ちゃんと地球でのライセンスがあって、それなりに稼いでる人だから近くのおっきなスタンドにも行けるんだけど、私のファンだから通ってくれてるの。(内緒だけど、うちには密猟者のお客さんも少なくなくって。いつか一斉摘発とか来ちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしてる)
「いらっしゃいヨーキーさん、一番乗りね。」
「シレーネちゃんこんばんは。いつもの頼むよ」
「はーい」
オーナーはとっても良い人だけど、アンドロイドの私より愛想のない人だから、接客はもちろん私。ドリンクやお料理を出すのも私。オーナーは私しか雇ってないんだもの。でも実を言うと、私はバーテンタイプでもシェフタイプでもないから、簡単なことしかできなくて。ドリンクメニューはグラスに氷と飲み物入れて混ぜるものが限界だし、お料理はレトルトを温めてお皿に載せ替えるだけ。それでもお客さんが来てくれるんだもの、みんなとっても良い人だわ。
ヨーキーさんの「いつもの」はウイスキーのロック。どういうわけか私、丸氷を作るのは結構得意なんだけど、これはたぶんアンドロイド全般が得意ってことだと思う。
それからぽつりぽつりとお客さんが増えてきて、小さなダイナーがちょっぴり賑やかになるの。ありがたいことにほぼリピーターのお客さん。初めての人もたまに来てくれるけど、リピーターさんに教えられてってことがほとんどね。こんなしょぼくれたダイナーがどうして、って思うでしょう。
19時になる少し前、オーナーがダイナーにやってきてカウンターに座るの。そうしたら焼酎の水割りを彼に出してからカウンターに『Be Back Later(あとでもどります)』って札を提げちゃう。一度自分の部屋に戻ったら、ここからが私の本業。
クローゼットから、ときどきオーナーが(私のお給料を使って)買い足してくれるきれいなドレスを一着選んで袖を通して(でも袖が無いことの方が多いかも)。
人工皮膚用の化粧品で、私が一番綺麗に見えるように仕上げて。
腰まである自慢の青い巻毛を念入りにブラッシングして。
さぁ、そろそろ出番だわ。
ダイナーの隅にはね、私のためのステージがあるの。
そこには小さな自動ピアノと、マイクスタンド一本があるだけ。私がステージの上に立つと、オーナーがカウンターの中にある照明スイッチをスポットライト一本に絞ってくれて、私はピアノに、今日の曲を信号で伝えるの。
ねぇ、歌って凄いわね。
私は予めプログラムされた通りに歌うだけなんだけど、これってものすごくメモリを使うのよ。
伴奏を聞いて、人工声帯を震わせて、その自分の声を聞いて、歌詞をのせて、表情をつくって。いつもそれを必死に処理している間、他のことはなんにも考えられなくなるの。それがとっても幸せに感じるのは、私が歌姫タイプのアンドロイドだからなのかしら。
嗚呼わたし、もし壊れて止まってしまうなら、歌いきった直後がいいなぁなんて、思ってしまうくらいよ。
そうなの、このダイナーのお客さんは、だいたい私の歌のファンなのよ。
火星にも勿論、素敵な歌手がたくさんいるわ。人間の歌手もAIの歌手もいろいろね。だけどみんな、地球の近くで聴く私の歌がとっても好きなんだって言ってくれるの。それってもしかして、DNAの影響とか? 人間って不思議だわ。
人間の歌手なら1ステージで何曲も歌うんだろうけど、私の処理能力では一曲で限界。どうにか二階まで戻って少しクールダウンした後に、着替えて化粧も少し落としたら、ダイナーに戻るわ。
「持ち歌」として保存しておけるのは私だと三曲がぎりぎりで、追加ダウンロードで書き換えたりもできるんだけど、オーナーは私を起動して以来ずっと、プリセットの三曲のままにしてる。それでも飽きずに来てくれるお客さんは本当にありがたいけど、オーナー、この曲に思い出でもあるのかしら。
しばらくしてダイナーに戻ってきたら、大変、喧嘩が始まってる! お酒は薄めだし何杯も飲む人は稀なんだけど、なんでかときどきこうなっちゃう。
「待って、待って。お願い落ち着いて!」
どうにか止めようとするんだけど、私、アンドロイドのなかでは非力な方だから、荒くれた男の人相手だと押し負けることがほとんどなの。
あーあ、今日の掃除は大変そう……
と思ってたら、誰かのドリンクがばしゃりと私の頭にかかっちゃった。
あんなに騒がしかった店内がしん、と静まり返ったところに、オーナーが一言。
「今日はもう
それを聞いたら、暴れてた人たちも叱られた子供みたいにすごすご帰っていくの。ちょっとおもしろい。私は別にどこか壊れたわけじゃないから営業を続けても構わないんだけど、オーナーがそう言うんだもの、仕方ないわね。
基本的に掃除は私だけでやるんだけど、こんな風にぐっちゃぐちゃになってしまったときは、オーナーも手伝ってくれる。これが結構、上手いのよね。
あらかた片付けたら、今日は随分早めにお仕事終了。いつもなら自室に戻るだけだけど、今日はオーナーに連れられて浴室へ。
人間と違って汗や垢は出ないから、普通に働く分にはほとんどお風呂は必要ない。でも人工毛も酒やタバコの匂いを吸収してしまったりするから、定期的にオーナーが洗ってくれることになってるの。あと、今日みたいに汚れてしまった時もね。
わかってるのよ、アンドロイドなんだもの、オーナーに洗わせるべきじゃないわよね。
だけど情けないことに、私、自分の髪を洗うのがとっても下手みたいなの。
これは言い訳なんだけど、私の髪がせめて巻毛じゃなくてもっと短かったら、ちゃんと自分で洗えたはずよ。だけど見栄え重視で、ボリュームも結構あって、私じゃ扱いきれなくて……
オーナーに起動してもらってから何日か働いたある日、彼に「髪が匂うな」って言われてしまって、慌てて浴室を借りて洗ったわ。だけど洗うのも乾かすのもいまいちだったらしくて、オーナーがやり直してくれたの。
そのとき私、ちゃんと言ったのよ、「短くしたら自分でもできると思う」って。
だけどオーナーは黙って私の髪をしばらく見つめたあと、
「お前の髪は綺麗だから、このままで良い」
って言ったの。
「お前の髪は、地球の色に似ている。あれは海の青らしい。火星で無理やり作った海にはない色だ。それを見て暮らしたくて、こんなところに店を持った。だからお前は、このままで良い」
私、それを聞いたときのデータを、しっかり保護をかけて大事な領域に保存したわ。
あれ以来オーナーはそんなこと全然言ってくれないけど、彼の優しさを直に感じられる気がするから、オーナーが黙々と私の髪を手入れしてくれる時間って、とても好きなの。歌っている時の次に好き。
……私って、駄目なアンドロイドかしら。
ねぇ、もしあなたが地球の近くに来ることがあったら、是非私の歌を聴きに来てね。
ドリンクの一杯くらいは、サービスしてあげるわ。
瑠璃色の髪の乙女 灰崎千尋 @chat_gris
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