おばあちゃんのものがたり

丸 子

おばあちゃん

入院しているおばあちゃんの意識が戻らないと病院から電話があったのは30分くらい前だった。

それから家族で急いで病院に駆けつけて、今は、おばあちゃんのそばにいる。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

妹のけいが、おばあちゃんの手を握りながら声をかけ続けている。

お母さんもお父さんも椅子に座ったままだ。

ぼくは冷たい空気の中そんな様子をじっと見つめている。

暑くて汗をかいているのに、心の中はひどくひんやりしている。


* * * * *


みんなが私のそばにいてくれるのを感じる。

けいちゃんの小さくて温かい手が私の手を包んでくれている。

けいちゃんが私を呼んでいる声が聞こえる。

けいちゃんに答えたいけど、その元気がない。

目を開けるのも大変なの。


「何か後悔していることはありませんか?

やり直したいことは?」


誰かの声がする。

私に話しかけるのはだぁれ?

誰が質問しているのかしら。


「後悔していることがあれば、

やり直したいことがあれば、

あなたはその出来事を書き直すことができます」

「書き直す? そこから生き直すことができるということ?」

「違います。もう一度、生き直すということではありません。ただ、ずっと心に強く残っている後悔を消す、それだけです。

あなたの物語を書き直す、といえば、わかりやすいでしょうか」

「私の物語?」

「そうです。

人はみな、その人だけの物語を書いています。それが生きるということです。

そして、寿命を全うした人だけが、人生の終わりに物語を書き直すことができます」

「まるで消しゴムで消せるみたいな言い方で面白いわね。でも書き直せるなら書き直したい、そんな場面がいくつかあるわ。

御礼を言いたくても言えなかった人が何人かいるの。その人たちに会って御礼が言いたい。何かお返しがしたい。

そういうのでもいいかしら? やり直す、というのとはちょっと違うのかもしれないけれど」

「恩返し、というものですか?」

「そんな大層なものじゃないの。ただ、親切にして頂いたから、その御礼をしたいだけなのよ。

それでもいい?」

「問題ありません」


* * * * *


おばあちゃんの顔を見ていたら、眉間に皺を寄せているみたいな表情になった。

「ねぇ、見てよ。おばあちゃん、なんだか苦しそうだよ」

ぼくは不安になって、みんなに声をかけた。

「苦しい、というより、なんだろうな、考えてるような顔じゃないか?」

立ち上がって窓の外を見ていたお父さんが振り返り、おばあちゃんの顔を見て言った。

「そうね、真剣な時の顔ね。お母さんは考え事している時にいつもこの顔をしてたわ。てっきり怒っているのかと思って、子どもの頃の私は怖かったのよね」

お母さんが思い出して笑った。


「ねぇ、お母さん。お母さんも子どもの時に怒られた?」

妹がお母さんに聞く。

「そうねぇ、良い子にしていなくちゃって気をつけていたけれど、それでも間違えてしまって叱られたことはあったわね」

「そっかぁ。お母さんも叱られたんだ」

「うふふ、そりゃ叱られることもあるわよ」

「お父さんなんて今でも叱られるぞ」

「えー! うそでしょー? お父さん、おとななのに叱られるのー? だれにー?」

お父さんの言葉に妹が驚いて大声を出した。

「会社でいっぱい叱られるぞ。お父さんの部下に、仕事してください!なんてな」

お父さんのおどけた口調にみんなで笑った。


あ。

おばあちゃんの病気とは関係のない話をして笑っているのって悪いことなのかな。

不謹慎だ、って注意されるかな。

ぼくは、ふと思った。

そんなぼくの心配が通じたのか

「こんな風に笑い声をおばあちゃんに聞いてもらうのもいいわね」

ってお母さんが言った。

その一言で、ぼくは安心できた。


おばあちゃんは一体どんなことを真剣に考えているんだろう。

夢を見ているのかな。

それとも、昔のことを思い出しているのかな。


* * * * *


「もうよろしいですか?」

「ええ。ずっと気になっていたのよ。諦めきれずにいたから肩の荷が下りたわ。どうもありがとう。これで心残りないわ」

「他には何かありませんか?」

「家族に御礼が言いたいわ。あなた達に出会えて幸せだったと伝えたい」

「それは過去のことではありませんので不可能です」

「でも、どうしても伝えたいの」

「そうですか。もう伝わっていると思いますが」

「どうしても。お願いします」

「わかりました」


* * * * *


「あ、見て。おばあちゃんの顔が変わったよ」

ずっと手を握りっぱなしの妹が、おばあちゃんの顔を覗き込むようにして言った。

「本当だ。穏やかな顔になったな」

お父さんが、ほっとしたように言う。

「なんだか笑っているみたいね」

そういうお母さんも笑顔になっている。


それからは、おばあちゃんの顔は穏やかなままだった。

苦しそうに見えた時は心配だったけど、おばあちゃんの眉間の皺が取れて、ぼくたちも心の緊張がとけた。

曇り空から太陽が顔を出したみたいな、そんな温かな空気になったんだ。

ぼくは思わず長く息を吐いた。

おばあちゃんのことで怖くなって息をするのを忘れていたみたいだ。

身体がぎゅーっと内側に縮こまっていた。

みんなに気づかれないように、ゆっくり静かに深呼吸してみる。

肩の力が抜けて、気持ちも楽になった。

「ぼく、おばあちゃんの孫で良かったな」

ふと、そんな言葉が声になっていた。

「そうね、私たちが家族になれたのは、お母さんが私を産んでくれたおかげだもの」

お母さんが目を潤ませて言った。

「そして、結婚を許してくれたからお前たちが産まれたんだ」

お父さんの声も震えて途切れ途切れだ。

「おばあちゃん、ありがとう」

ぼくも、じんと来てしまって目を力いっぱい閉じた。

鼻に水が入った時みたいに、奥の方が痛くなった。

妹だけ不思議そうな顔をしている。

けい、お前にもわかる日が来るよ。


* * * * *


「では、これで、もうよろしいですか?」

「はい、どうもありがとうございました。

みんな、私は大丈夫よ。今までありがとう。身体に気をつけるのよ。風邪ひかないようにね」

「あなたの物語は、これで完結です」


* * * * *


そうして、おばあちゃんは息を引き取った。

おばあちゃんは、満足したような、すっきりとした顔をしていた。

おばあちゃんを見守るぼくらも、とっても悲しくて寂しいけど、同時に、おばあちゃんに拍手したいような誇らしい気持ちになった。

みんな笑顔だった。

「おばあちゃん、ずっとずっと大好きだよ」

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