第46話「逆転の一手」

 交錯する視線。

 その瞳には、柔らかな光が灯っていた。

 それぞれの想いが込もっているだろうその青い瞳で、二人は少しの間、互いをじっと見つめた。

 俺が待ち望んだ瞬間が、確かにそこにあった。


 しかし、彼らの時間はやはり長く停滞し過ぎた。

 長い吐息の後、彼から最初に出て来たのは、謝罪の言葉だった。


「すまなかったな」


 その言葉をどう捉えていいのかわからなかったのだろう。ティアが怪訝に目を細める。

 彼はその視線を受け止めると、ゆっくりと、言葉を選ぶように続けた。


「もっと早く私の心が決まっていれば、お前をこんな状態にせずに済んだ。戒言があるとは言え、我ながら不甲斐ない。すまなかった……本当に」


 彼は娘を守るために、戦いから遠ざけるために戒言で自分の力を封じた。しかしこうして一度戦いに巻き込まれてしまえば、その戒言は足かせ以外の何物でもない。


 おそらくは、それがわかっていても動けなかった、ということなのだろう。戒言というものは本人の意思を思った以上に縛るものらしい。彼はバーンズさんのように最初から戒言自体に懐疑的だった訳ではなく、自ら縛られに行ったのだ。その効力が強くても何らおかしくはない。


 彼のその言葉に、ティアは目を細める。

 彼女は彼と言葉をかわすことはしなかった。代わりに、その細い指先を伸ばした。

 ついさっき、彼が切り開いた先だった。


「──ああ。わかってる」


 俺にも彼女の言いたいことが伝わって来た。

 戦え。

 彼は強く頷き、そうして少しの間、二人は視線を送り合っていた。


「タツキ」


 しかしやがて、彼はゆっくりとティアから視線を外して俺を見た。


「娘を守ろうとしてくれたこと、感謝する」


 突如青い瞳に射抜かれて、俺は一瞬呆けてしまった。

 彼にとってはまだ俺が怪しい人物であることに変わりはないはず。まさかそんな言葉を言われると思っていなかった。

 そうして戸惑う俺を見て、彼は苦笑交じりの息を漏らす。


「何やら納得のいかない顔をしているな」


「あ、いや! そうじゃなくて……」


 言うか迷ったが、結局勝手に口から出てしまった。


「その……感謝されるとは思ってなくて」


 流れの上で止められなかったこととは言え、ティアを黒竜に会わせてしまったこと。そして黒の書の存在の漏洩から、こんな狼藉をはたらく賊を呼び込んでしまったこと。

 天命が近づいて俺も必死だったとは言え、盛大なやらかしをしたことは俺自身否めない。

 そうしてつい肩を落としてしまった俺に、彼は言った。


「……確かに、私達の関係は少し難しいものになってしまったな。私も君も、バーンズもネイトも。ティアも。我々には話が必要だと思う」


 そこで言葉を区切ると、彼は俺から視線を外し、ふよふよとティアのそばを飛ぶやつに声を掛けた。


「特に、フージン。君とはちゃんと話をしないとならないな。長らく娘を見守ってくれた礼も兼ねて」


 彼がそう言うと、それにフージンはふん、と鼻を鳴らして応えた。


「ワタシはまだお前を認めていないぞ。どんな理由であれ、お嬢を一人にし続けた罪は重い」


 フージンはそう突き放すように言ったが、彼はそれに眉をひそめつつも、しっかりとした声で答えた。


「ああ、そうだな」


 と、その言葉を真っ直ぐに受け止めるかのように、彼はフージンを見つめ返す。

 確かな力を湛えたその青い瞳に思うところがあったのか、フージンはまた鼻を鳴らしながらも言った。


「償う気があるのなら、まずはその姿勢を示すがいい」


「そのつもりだ」


 と、そこで、彼の顔がまた変わる。

 覚悟を決めた戦士の顔だ。


「やつはここで必ず止める。……しかし残念ながら、私一人の力ではそれは叶わない。君も協力してくれるだろうか。タツキ」


 聞かれ、俺は強く頷いた。


「もちろん。そのために来ました」


 もはやあれは、俺にとっても因縁の相手。彼女を苦しめ、彼らのあり方を歪め続けた元凶。ここで協力しない選択肢などハナからない。

 軽く頷き合い、俺達は正面──彼女が指を差した先を見据えた。


「私が黒竜について知っていることは少ないが、一つだけ確かなことがある。やつは最も自身を脅かす存在に向かって来る。あの男の術か何かで操られているらしいのが気になるが、どちらにしろ先程のあれを見れば私を無視することはできないはずだ。しばらくは私が引きつけられるだろう」


 彼はそう言って、再びあの剣の柄に手を伸ばした。

 順手で握り、勢いよく引き抜く。

 そして彼は一切の体のブレなく、再びそれをいとも容易く構えた。

 

「私が時間を稼ぐ。そのうちに、やつを倒す算段をつけてくれ」


 彼はそう言ってくれたが、俺の指輪のマナを使い切ってしまっただろう今、正直手詰まり感は否めない。

 でも、俺が怪しいこととか、やらかしてしまったこととかを全部すっ飛ばして信じてくれているのだ。ここは応えなければならない。何としても。


「……わかりました。でも正直倒せそうなら倒しちゃって欲しいんですけど、やっぱり無理なんですか?」


 あの一撃を見た後だと、これは一応聞いておきたいところだ。

 しかし彼は、俺のそれに苦笑めいた笑みと共に眉をひそめて返す。


「黒竜は恐ろしい回復力を持っている。おそらく今の私では届かないだろう。それに、」


 そこでふいに彼が言葉を切り、なぜかその正眼に構えていた剣を斜めに捻った。

 瞬間、突風が吹き、同時に高い金属音が響いた。


「──彼女も相手では、時間稼ぎが精一杯だ」


 彼は一見涼し気な顔でそう言ったが、その足が、強い衝撃を受けたように地面にめり込む。


「やるねえっ!」


 その声にハッとして見れば、そこには二振りの得物を彼の剣に押し付ける彼女の姿があった。

 レオナルドさんがそれを押し返すと、擦れた刃が火花を放つ。力では彼が勝っていたらしく、彼女はその力を利用して忍者のように空中でくるくる回転。何事もなかったかのように地面に着地した。


「嬉しいね! やっとやる気になってくれたかよ!」


 たっぷりとした長い金色の髪に、女性にしては筋肉質の体。各所のプロテクターを含め、衣服はすっかりボロボロとなっていたが、間違いなく彼女だ。


「エレナ──」


 と、彼がそう声を掛けようとした瞬間、彼女が再びレオナルドさんにけしかける。

 一瞬で距離が埋まる。大剣使いの彼が不利かと思われたが、彼はそこでなんと、躊躇なくその大剣の柄から手を離した。


「へっ! 諦めたかよ!」


 エレナの剣が彼の喉元を掠める。彼はそれをバク転で避けるが、彼にはもう得物がない。案の定、その起き上がり際に再びエレナの凶刃が彼を襲う。その驚異的な体術から繰り出される後詰めに、彼は致命的な無防備を晒した。

 ……かのように見えたが、


「んっ!?」


 突然、彼が手放した大剣が生きているかのように動き出し、まるで大砲で打ち出されたかのような勢いでエレナを後ろから襲う。

 それは完全なるふいうちのはずだった。しかしエレナは、それを空中で体を捻り、すんでのところでかわしてしまった。


「っ!? ちいっ!」


 だが、大剣は彼の手元に来た瞬間、なんとビタリとその動きを止め、宙に留まった。

 その常軌を逸した動きに、まだ体勢を崩した状態のエレナの目が見開かれる。


 彼がその柄に両手を掛ける。そしてそのまま、彼女に向かってその剣を横に薙いだ。

 一振りで暴風が吹き荒れ、近くにいるだけでも怖気が走るその一閃。さすがのエレナも、それを完全にかわすことはできなかった。


「──ふっ!」


 彼女はしかし、持っていたククリ刀をとっさに彼の大剣と自分の体の間に挟み、その刀の上を走らせるようにしてそれを受け流した。打ち込まれた勢いを利用し、彼女はまたも空中をスピン回転。そのまま黒竜の炎ですっかり焦げた木の枝に、危なげなく着地した。


「剣士がすぐ得物を捨てるなんて、おかしいと思ったぜ」


「生憎と、何でもするタチでね」


 涼しい顔でそんな台詞を吐く二人だが、見ているこっちはずっと目を剥いたままだ。

 二人とも人間じゃない。異世界なんだから当たり前なのかもしれないが、この世界の人間はやはり少しおかしい。


「タツキ」


 と、そこで。少しのぼせ上がってしまっていた頭に、冷静な声音が響いた。

 視線はそのまま前。しかしはっきりと、彼は俺に向かって言った。


「あとは任せる」


 その言葉に、俺は思わず拳を強く握ってしまった。

 彼と俺との間には、まだ確実に蟠りが残っている。それでもなお、彼は俺を信じてくれた。

 胸が熱くなる言葉を残し、彼はやにわに駆け出した。


 おそらく黒竜とエレナを俺達から離すためだろう。あの大剣を持って走るのは難しいのではないかと思ったが、その心配を他所に、剣は彼の横に並走するように追随していく。

 エレナは牙が見え隠れする酷薄な笑みを浮かべつつ、それを追って行った。


 こちらに一瞥もなく行ったところを見ると、どうやら彼女に関してのレオナルドさんの陽動はうまくいきそうだ。だが……。


(黒竜が復活したらそこまでの時間は保たないはず。俺が早く何とかしないと……)


 エレナは少し自意識を回復しているようで、そのせいか暴走状態だった時より動きが洗練しているように見えた。

 レオナルドさんの力は圧巻だったが、それでもあのエレナと黒竜が同時に相手なのはさすがに分が悪い。おそらく戒言のダメージもじわじわと溜まるはず。なるべく早く黒竜を倒す算段をつけなければならない。

 しかし、頼みのティアは俺の腕の中で息も絶え絶えという状態。ここから逆転の一手を生み出すのは、名人竜王でも厳しいと言わざるを得ない。


「……おい。どうするつもりだ」


 そばにいたフージンが、ぱたぱたと飛びながらそう言った。


「どうするも何も……何とかするしかねえ。とりあえずお前、ティアを回復する手段とかないのか?」


 精霊なんだからそういう力があってもいいんじゃないのか。そう思って聞いてみたのだが、フージンはそれに首を横に振った。


「お嬢のこれはマナ切れのせいだ。おそらく限界を越えて使ってはならない自分のマナまで使ったのだろう。マナが送れれば治せるが、さっきも言った通り、瘴気のせいでできん。お前の指輪のマナも使い切った。ワタシではどうすることもできない」


 そう言って、フージンは眉間にしわを寄せつつティアに目を落とす。

 顔色はマシになったが、彼女の額には変わらず汗が浮かび、呼吸も荒い。とても戦えるような状態ではない。


「──くそ。やっぱり瘴気がネックか」


 フージンに拠れば、黒竜の撒き散らす瘴気が一帯のマナを汚染してしまっているとのことだったが、これは黒竜を倒さないことにはおそらく解決できない。だからここは別方向からのアプローチがいる……と思う。


 ただ、そのアプローチのアイデアがない。そもそも俺は、この世界のことについて知らな過ぎる。

 しかしティアとフージンの関係については、向こうの世界のファンタジー創作から何となく察することができた。意外にその感じで考えていけばいけそうな気はしているのだが……。


(あれ?)


 と、ふと周りを見渡すと、いつの間にか倒れていたはずのネイトさんとバーンズさんの姿がない。

 怪訝に思っていると、傍らにいたフージンが言った。


「やつらなら二人してここから離れたぞ」


「マジ? 何で?」


 思わず聞けば、フージンはそれにヒレをやれやれとばかりに揺らしながら答えた。


「知らん。だがやつらも馬鹿ではない。何か考えがあってのことだろう。放っておけ」


 そう言いつつ、フージンはホコリを被ったせいなのか、頭に乗った小さな黒いハットをきゅぽっとはずし、吐息を掛けてヒレで磨いてから頭に戻した。

 それ魔法とかじゃなくて吸盤みたいなので付いてたのかよ……というツッコミはひとまず置いておき、とりあえず俺はそこでほっと胸を撫で下ろした。

 ネイトさんが無事なのかが気になっていたが、自発的に移動できるのであれば、たぶん大丈夫だろう。


「よし、じゃあ二人のことは置いておこう。とりあえず早く俺達でできることを探さないと」


「そうは言うが、どうするんだ。切れる手札がなければどうにもなるまい。それとも、お前はまだ隠している手札があるのか?」


 聞かれ、俺は顎に手を当て考える。


「ない……はず」


「何だそれは。ふざけているのか?」


「いや、そういう訳じゃない。見方を変えたら実はあるんじゃないか、っていう可能性も考えないとな、ってだけだ」


 一見使える手札がないように見えても、角度を変えてみれば違う景色が見えることもあるかもしれない。

 とりあえずは現状確認しながら会話をして、何らかの糸口を見つけたいところだ。


「お前のほうこそ何かないのか? あの指輪みたいなのがまだあるんじゃないのか?」


「いや、アレはそうそう作れるものではない。だからワタシは、お嬢がその指輪をお前にやると言った時は驚いた。こんな遊べなさそうな凡人にやるとは思わなかったのでな」


 ティアの腹の辺りに乗り、そう言ってしみじみとヒレを組むフージンに、俺は「ああ……」と力の抜けた返事をしてしまった。


「そういやすっかり忘れてたけど、趣味だとか何とか、そんな設定だったな。今考えると、よく俺はあれに耐えたな……」


 エレナは逆にあの罠を破壊して回ったみたいだけど。俺は下手したら死んでたと思うんだよな。ほんとに。

 と、鮮烈な記憶のせいでついつい関係のないことに思いを馳せてしまった俺だが、そこで何かが頭に引っ掛かった。

 何だろう? と思って今考えていたことを反芻してみる。すると……。


「──そうだ。エレナ!」


 その時俺に、電流走る。

 どん詰まりのこの状況に一筋の光! と、そう思ったのだが、嬉々として口を開きかけた俺に、フージンが被せるように言った。


「それはワタシも考えた」


「あ? まだ何も言ってないが」


「エレナの指輪のことだろう?」


「う!?」


 よくわかったな。そこそこ頭が回るじゃねえか。


「確かにやつのつけている指輪を使えばお嬢を回復し、魔法も撃てるようにはなるだろう。しかしそれだけだ。黒竜を倒す程のマナはあの指輪にはない」


「いやでも……」


「まあ、お前の言いたいこともわかる。実際指輪があればかなり楽にはなる。しかしワタシはあれを目の前で見て、それは現実的ではないと思った。お前、あの常軌を逸した女から指輪を奪うことができると思うか?」


 そう諭すように言われ、俺は思わず拳を握ってしまった。

 確かに、難しいだろう。黒竜にさえダメージが通ったレオナルドさんの恐るべき剣を、彼女は軽くいなして見せた。ティアが健在ならともかく、現状の戦力では彼女から指輪を奪うのはおそらく、無理だ。


「くそ! 俺がもうちょっとでも役に立てば……」


 俺の持っている目立ったカードと言えば外法魔術くらいだが、威力は安定しないわ燃費が悪いわで、さらには天命も縮むからと女王様に止められている。正直使い物にはならない。


(やっぱりもっと使える人間を選んだほうがよかったんじゃないですかね。女王様……)


 と、現実逃避気味に、俺は彼女のあの美しい姿を頭の中で思い描いてしまった。

 ついつい自虐の弁も頭を巡ったが、そうは言っても今更この役目を誰かに交代する気はない。推しに関われる権利を自分から手放すドルオタがいるだろうか。いや、いない!

 ただ、膨大なマナは正直持ち腐れなので、代わりに誰かに使ってもらいたいところではある。


「……ん?」


 と、そうして思考の海を泳いでいて、また何かが頭に引っ掛かった。

 今、何か。何かを思いつきそうだった。

 ええっと、何だ。俺は何を考えてた。俺の外法魔術がしょぼくて、天命も縮むから、女王様に止められてて? で、マナが持ち腐れだから代わりに使ってもらいたいと……。


「おい貴様、何をぼーっとしている」


 と、思考の途中でフージンに割って入られる。今は邪魔されたくないと制止しようとしたが、そのつぶらな瞳の特殊な顔面が目に入った時。

 俺は、電撃のように閃いた。

 

「……おい」


 何でこんな簡単なことに気づかなかったのか。

 少し俺の様子が変わったことに気付いたのだろう。フージンが怪訝に眉を上げた。


「何だ」


「お前、ティアにマナを送る力あるよな?」


「ああ、それがどうした」


「それってよ、ティアにだけ送れる訳じゃあないんだよな? お前はたぶん、マナとモノ、もしくはモノと人も仲介できる。だからこういうマナのこもった指輪をつくることができた。違うか?」


 その問いに、フージンは少し逡巡する様子を見せるが、結局諦めたように息を吐きつつ言った。

 

「……いや、その理解でいい。しかしそれを知ってどうする」


 たぶんできる。できるはずだ。こいつなら。

 これができなかったら本当に終わり。しかし、なぜだかできると確信めいたものがある。

 深呼吸してからフージンを見つめ返す。そして、俺はやつに核心を突きつけた。


「それができるんだったら、もちろんできてもいいよな? 人と人も」


「……何?」


「できないとは言わせねえぞ風の大精霊? 何せこの国ではいとも容易くやってるじゃねえか。大勢の国民と女王様で」


 それを聞いたやつの反応は劇的だった。

 フージンは、そのつぶらな瞳を今まで史上最高に大きく見開いた。


「貴様……盟約の秘術と同じことをワタシにやれというのか!?」


「察しがいいじゃねえか! そういうこと!」


「無茶を言うな! アレは特殊な術だ! おいそれと真似できるようなものではない!」


「でも、お前ならできるだろ? なんたって風の大精霊なんだから」


 そう煽ってやると、


「できる、できないの問題ではない! マナと人とでは性質が違い過ぎるのだ! マナと違って人には確固たる意思……イドがある! もし調整を誤ればイドが完全に繋がってしまい、よくて二人とも廃人……悪くすれば死ぬ! あまりにも危険過ぎる!」


 フージンはそう肩を怒らせたが、それは語るに落ちている。


「でも、やろうと思えばできるんだろ? だって今のは、実際にやった時の懸念事項だ。全くできないならそんな言葉はでてこねえ。だろ?」


 フージンはハッとした様子でクチバシをヒレで抑えるが、それでもなおやつは止まらなかった。


「いや……いや! 仮にそれをやるにしても肝心な問題があるぞ! 繋ぐ相手がいないではないか! 黒竜を倒せる程のマナを持っている人間などここにはいない! 強いて言えばネイトだろうが、やつも先程の魔法でほとんど限界のはずだ! 一体誰とお嬢を繋ぐ!?」


 余程選びたくない選択肢なのだろう。フージンは唾を飛ばしつつ、そうして俺の意見に懸命に反対して見せた。

 だが、予想していた反論だ。それに対しての答えはもちろんある。

 

「──俺だよ」


 もちろん、俺は大真面目に言っている。が、やはり俺以外の二人は呆気に取られたように口をぽかんと開けた。満身創痍のはずのティアですら。


「俺がやる。頼むぞフージン。ティアも、いいよな?」


 と、続けてそう言ってみたが、当然賛同など得られるはずもなく。

 フージンが、こめかみに青筋のような皺を立てながらわなわなと肩を震わせる。


「貴様……言うに事欠いて、お前だと!?」


「やっぱ納得できないか?」


「当たり前だ! 貴様を繋いだところでどうにもならん!」


「……まあ、そういう反応だよな」


 こうなるんだったら、さっき集まった時にネイトさんに俺のマナについて話してもらうべきだった。

 でも、たぶんこいつならその辺りのこともわかるんじゃないかと思う。


「なあフージン。お前、人間がどれぐらいマナを持ってるか判定する力みたいなのあるか? ネイトさんは人に触ったら大体どれぐらいのマナがあるかわかるみたいなんだが」

 

 俺のマナがすごいのがバレたのは、ネイトさんのセクハラが原因だ。あの接触があったからこそ、彼女は俺のマナについてを知るに至った。

 誰にでもできるのか、それともエルフだからこそなのか。そこはわからないが、精霊を自称するこいつなら同じようなことができてもおかしくない。

 

「マナを判定、だと?」


「ああ、どうだ?」


「結論から言えば、同じように触れればできる。しかしそれでどうなる? 貴様のマナを見たところでどうにも……っ」


 と、そこまで聞いたところで、俺はフージンをわっしと掴んだ。


「何をする!?」


「いやまあこれがはええかなと思って」


 ちょっと冷たいつるりとした触感。お、意外と触り心地は悪くないぞと思ったが、やっぱりフージンなのであんまり長く触っていたくはない。


「貴様! 貴様はそもそもワタシの扱いがざ……つ……」


 フージンは最初少し暴れる素振りを見せたが、途中、何かに気付いたように急に大人しくなった。

 尻すぼみになった言葉の後、フージンが小さく漏らした。


「馬鹿な……ありえん……」


 ぐいと俺の手から抜け出ると、そのまま俺の手のひらに乗る。


「なんだこのマナの量は……」


 よかった。どうやらこいつもネイトさんと同じような能力があるらしい。


「で、どうなんだ? いけそうか?」


 聞くと、フージンは顎の辺りにヒレを置きつつ低く唸る。


「むうっ……! 確かにこれならお嬢が本気で撃った時と同じくらい……いや、それ以上のものが放てるかもしれん!」


 と、そうしてやつは興奮気味に言ったが、その後俺に向くと、訝しげにじっと俺を見つめた。


「ただの凡夫かと思っていたが、こんなマナを持っているのでは考えを改めざるを得ん。貴様一体、何者だ……?」


 フージンはいかにも怪しいやつを見るような視線で俺を見るが、今それに答えている時間はない。


「そういうのは全部後にしようぜ。今はとにかく、あいつを何とかすることに集中だ」


 そう言ってやると、フージンは不満そうにしながらも口を噤む。

 それを見てから、俺はティアに向き直った。


「危険はあるけど、威力の問題は解決した。後はやるだけ。どうするティア?」


 そう自分の胸元に言葉を落とすと、彼女が微かに身動いだ。

 まだ顔色は悪い。しかし、彼女はゆっくりとその口を開くと、


「……やる」


 はっきりとした返事があるとは思っていなかった。

 しかし聞いた俺が驚いてしまうくらいに、彼女は力強く言った。


「もうまけない。わたしのまほうは……ぜったいにあいつにかつ」


 熱に浮かされたように潤む瞳に、再び強い光が宿る。

 その深い青に見つめられ、俺は頷いた。


(勝たせてやる。俺の命に代えても)

 

 と、そうして彼女から小さな頷きが返って来た、ちょうどその時。

 先程の黒炎により木々が燃え、かなり開けた視界の上方。そこに、大きな影が飛び上がるのが見えた。


「──来たか」


 薄闇の空に、漆黒の翼が広げられる。

 まるでノコギリで金属を無理やり切ろうと擦っているかのような、甲高い耳障りな咆哮を上げながら、黒竜が地上を見下ろした。

 

 距離があり、さすがにその表情までは窺い知れない。しかしギロリとこちらを一瞥された気がして、背中に怖気が走る。

 だがそれは一瞬のことで、黒竜はすぐに俺達からその視線を外した。代わりに足元、地上に向かってまた耳の奥に響く不快な鳴き声を降らせる。

 その直下にはおそらく、エレナと奮戦しているレオナルドさんがいる。もたもたしている時間はない。


「さあて、正念場だ」


 自らを鼓舞するようにそう言い、俺は二人に視線を移す。


「やるぞ。絶対にあいつを倒す」


 そう言うと、ティアはまた力強く頷く。フージンは数瞬迷いを見せたが、やむを得ん、と一言こぼし、消極的ながらも賛同する。


「よし、全会一致! でも時間がねえ! まずどうすりゃいい!」


「お嬢の手を握れ。後はワタシがやる」


 言われ、その通りにティアの手を握る。

 少し温度の高い手なのは変わらなかったが、じっとりと汗ばんでいる。早くなんとかしてやりたい。


「言っておくが、もしお嬢とお前のどちらかしか助けられないといったようなことになった場合、ワタシは迷わずお嬢を取るからな」


「ああ、それでいい」


 どうせマナ以外には何もないしな。ここで生き残ってもあとどれだけ生きられるかわからないし、それなら家族と仲直りができそうな彼女のほうに生きてもらったほうがいいに決まっている。

 そう思って相手の望んだだろう返答をしたつもりだったが、フージンはそれになぜだか不満そうにふん、と鼻息を吐いて見せた。


 しかし特に何か言うという訳でもなく、フージンはぶつぶつと何か言いながら、集中するように目を閉じた。

 少しすると、繋いだ手の辺りにぼうっとした明かりが灯る。同時にティアと通じて、じんわりと温かい熱のようなものが伝わって来た。


「っ」


 ティアが吐息のようなものを漏らす。また少し額に汗が滲み出している。

 しかし先程と違うのは、苦しそうな顔ではないということだった。頬は赤く上気していて、その綺麗な青い瞳もゆらゆらと薄い涙に揺れているが、つらそうというより、むしろこれは……。


「おい、フージン」


 何か変だ。何かがおかしい。

 彼女のうるんだ瞳から目を離せない。気づけば彼女も俺のことを真っ直ぐに見つめていた。


「おい……なんかやばい! やるなら早くしてくれ!」


「もうやってる! 黙れ! 集中できん!」


「いやこのまま黙ったらマジでやば……」


 その抗議の声は、最後まで言葉にすることができなかった。

 繋いだ手から伝わる熱が広がる。じんわりと、まるで昼下がりの陽だまりの中にでもいるかのように、温かな熱が体全体に広がっていく。

 その熱を受け入れていたら、次第に彼女以外の景色が滲んで、彼女しか目に映らなくなった。


 何かが起こっている。そう思って彼女の手を強く握ろうとしたが、突然その手元でどろりとした感触がして、彼女と握り合っていたはずの左手が、彼女のそれと溶け合ってしまった。

 仕方なく、右手で彼女を抱き寄せた。しかしそうした瞬間にその右手も彼女の背中と溶け合い、消えてしまった。

 

 自分の体も支えきれなくなって、彼女にもたれかかってしまう。

 ほとんど目の前に彼女の顔があって、思わず目を見開く。しかしお互いに驚いたのはそれだけで、彼女はその奥に何かが見えているように俺の目を見つめ、俺もその波打つ青をもっと見通したくて、ただその瞳を見つめ返した。


 体が彼女を貪欲に求める。

 彼女の熱をもっと感じたくて、額を合わせた。

 すると、その見つめ合った彼女の瞳すらも水彩絵のように滲んで、曖昧になって、どろどろと混ざり合って、そのまま──。

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一から始めるユートピア!~デブでもできる異世界社畜生活~ 杭全宗治 @kumataso

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