決勝戦

王子

決勝戦

 地鳴りとなって足から伝わるのは、十万を超える残酷な歓声。

 誰もが圧倒的な勝利を願い、一方で無様な敗北も心待ちにしている。一人ひとりが抱える相反した思惑は、埋め尽くされた席の数だけ集まって巨大なかたまりを作る。塊は彼らの頭上に広がる空へと飛び出すことなく、戦場の真ん中に居座って膨張を続ける。英雄になれる者と、英雄になれなかった者が生まれる、決定的な瞬間が訪れるまで。

 戦場をぐるりと取り囲む人々は、いつだって残酷で、無責任だ。戦士達に声が届き、手が届かない安全地帯にいながら、目の前で繰り広げられる闘いに夢中になる。声を張り上げ、偶然隣り合わせた人と肩を組み、応援歌を合唱し、ルールに反した者には容赦なくののしりをぶつける。

 戦士達は熱狂の渦中かちゅうで、自分のために闘っているのか、彼らのために闘っているのか、次第に見失う。あらゆる手を尽くし、きたえられた技を繰り出し、追い詰められ、とどめの一撃が眼前に迫ってようやく、自分を取り戻す。全ては手遅れだ。勝者が誇らしく天に向かって拳を突き上げる様を、力が伝わらない膝を付いて呆然と見上げるしかない。

 戦場は一転して、英雄だけのステージへと様変わりする。勝者は両手を上げて歓声の雨を浴び、観客の応援に感謝しておじぎをする。ステージの隅には敗者の体が転がり、初めからいなかったように忘れ去られている。

 ユニフォーム姿の戦士は、足に響く振動を震えながら受け止めていた。

 選ばれた者だけが入室を許された部屋。何人もの英雄候補者が戦場へと吐き出されてきた部屋。安全地帯でありながら、戦場に最も近い。扉一枚をへだてた向こう側には、電灯の無い一本道が伸びている。戦場への最短距離を確保するため、観客席の真下を貫いた通路だ。通路の出口からは屋外の光が差し込み、すぐそこが戦場への入り口なのだと否応なしに思い知らされる。開口部を境界に、景色は一変する。頭上を守るものは突如無くなり、むき出しの空が現れる。眼前には広大な戦場が広がっている。一面瑞々しい緑色のターフに覆われ、意味を持った白いラインが、丸やら四角やらを形作っている。

 戦場には似つかわしくない整然とした平面に、戦士は身震いする。敗北への恐怖ではなく、あまりの秩序正しさに。

 戦士の全方位を取り囲む観客席を見れば、小さな粒がひしめき合っている。それぞれ違った色が隣り合って斑模様になっているところもあれば、同じ色が集まって一色の帯を作っているところもある。粒達は各々意識を持って細かく揺れていたり、示し合わせたように右から左へと波を作ったりする。戦士はふいに思い出す。粒の一つひとつは、感情を持った人間なのだと。その瞬間、戦場の中心に、渦を巻いた巨大な塊が鎮座していることに気付く。渦の中から声が聞こえる。戦士に向かって叫ぶ、群衆の声だ。

「誰もお前には期待していない」

「チャンピオンに挑むなんて生意気だ、引っ込め」

「最期まで見届けてやる」

 完全なるアウェーだ。十万あまりの誰もが、チャンピオンの圧倒的な勝利を期待している。チャンピオンがより英雄として輝くための舞台装置なのだと、戦士は自覚する。

「絶対に勝てよ、未来のチャンピオン」

 聞こえるはずのない声援さえも、戦士に重くのしかかる。

 渦は更に勢いを強めて、戦士を場外へはじき出そうとする。戦士は、渦の中心に人影を認める。帽子を深く被って仁王立ちしている。チャンピオンだ。戦士と目が合うと、チャンピオンは不敵な笑みを浮かべる。それは一瞬のことで、余裕の表れだったのか、それともただ嘲笑っただけなのか、戦士には分からない。今、戦士に向けられた真っ直ぐな目は、英雄としての使命を果たそうとする揺るぎのない信念に満ちていた。

 戦士は渦から巻き起こる暴風の中をじりじりと進み、ようやくチャンピオンの前までたどり着く。自分の声さえ掻き消される大歓声。チャンピオンはゆっくりと口を開く。その声は、どんな声援や罵声よりも、はっきりと戦士の耳に届く。

「さあ、皆に最高のパフォーマンスを見せよう」

 戦士の意識は窮屈きゅうくつな部屋に引き戻された。

 壁に貼り出されたトーナメント表には、戦士が死にものぐるいで駆け抜けた道筋が、ひどく簡潔に示されていた。激戦の数々で生まれた、歓喜、安堵、執念、悔恨かいこん嫉妬しっと。一枚の紙の上では、それらの大小に関わらず、感情の無い一本の線にまとめられていた。底辺には名前がずらりと並ぶ。名前をぶら下げた黒い線は、上へ上へとい上がろうと必死に手を伸ばしている。頂上に指を掛ける条件はたった一つ。直角に曲がった先で、出合い頭にぶつかってきた相手の手を切り落とすのだ。もう、お前の手は頂上には届かないのだと、力でじ伏せ、敗北を植え付ける。勝利した者の手には、生温い血が通う。血を吸い上げている手の根本を見れば、敗者の血溜まりが広がっている。勝者は、敗者達の流した血を養分にして、上へ上へとよじ登っていくのだ。

 崖下がいかには死屍累々ししるいるいの光景が広がっている。戦士はその中に、見知った顔を見付ける。共に頂上を目指そうと誓い合った友だ。血の気を失って白くなり干からびつつある手は、まだ頂上に指を掛けようとしていて、虚しく空を掴んでいる。友の口が力なく開閉する。最期の言葉だけでも、一緒に頂上まで連れて行ってやろうと、戦士は耳をそばだてる。途切れ途切れに拾った声を繋ぎ合わせ、戦士は友の言葉に寒気立つ。

「どうして、お前だけ」

 戦士の背後には、待機用のベンチが備え付けられていた。一枚の毛布が畳まれることなく放り出されていて、もう友の体温を残してはいなかった。

 戦士の友は、敗北に体を震わせながら毛布に包まっていた。戦士が勝利をもぎ取って部屋に戻ってくると、友は毛布をベンチに叩きつけ、言い放った。

「どうして、お前だけ」

 戦士が面食らって呆然とする間に、友は部屋を後にした。

 一人ずつ戦士を吐き出し、やがて何もなくなる部屋。英雄の取捨選択装置でしかないこの部屋に残されているのは、チャンピオンの立つ険しい崖の頂上に指を掛けた戦士と、戦士の友が置き去りにした毛布に包んだ嫉妬心だけだ。

 もう猶予はない。戦士の二の足に焦らされた観客達が、血に飢えた猛獣のようにわめき散らしている。

 戦士はトーナメント表を一瞥いちべつした。唯一、頂上に届いた赤い線。大量の血を吸い上げ、血塗られた道筋が、戦士を責め立てる。本当に残酷なのは誰なのかと。

 ようやく戦士は、歓声に鳴動する床から足を引き剥がし、ほの暗い通路へと足を踏み入れた。


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Twitter企画タグ:#三題茶会

お題:

・未来のチャンピオン

・帽子を深く被って

・毛布に包んだ嫉妬心

※この作品はTwitter(@ojitw)・カクヨム・小説家になろう・エブリスタ・アルファポリス・pixiv等に掲載しています。

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