桃源女学園からの招待状

辰巳京介

三通目、理事長 狭山初子

主な登場人物

狭山初子(42)

桃源グループ理事長。16歳までドイツのバーデンバーデンに育った帰国子女。性に対してオープンな考え方の持ち主で、混浴のサウナ風呂『アルテミスジャパン』を開設し社員へ解放している。19世紀のオーストリア文化に傾倒、クリムトを愛する。


岡真理子(42)

作家、評論家。フェミニズム、女性の自立をテーマに著書、講演会などで広く活躍している、「その分野」での第一人者。初子とは高校の同級生。初子とは当時から今も意見が対立している。


鈴議員(70)民自党衆議院議員。202×年、国会で「道州制」を導入させた。


横森県知事(48)道州制によって強まった権限で初子を支援し、初子の考えを支持するとともにA県に『アルテミスジャパン』を開設した。



白を基調としたゴシック様式のプールのような広い湯船に、若い女性二人を両側にして、初老の男が浸かっている。

混浴サウナ『アルテミスジャパン』である。

少し離れ、中年の男もうつ伏せになり、若い女性マッサージ師からマッサージを受けている。

二人とも目を閉じ、満足そうな表情である。


二人はガウンを羽織リラクゼーションルームにやって来くると、リクライニングソファに座った。

秋の青空の下で平日だと言うのに若いカップルや家族連れがSPAを楽しんでいるのが眼下に見える。

狭山初子が、スーツ姿でシャンパンのグラスを持ってやって来て、二人の男に手渡した。

「さあ大臣、これでのどを潤してくださいな、知事も」

初子にそう言われ、民自党の鈴原大臣とこのSPAのあるA県の知事横森はグラスのシャンパンを受け取ると、うまそうに一息に飲んだ。

「やあ、ここはいい。心の底からのんびりできる。すばらしいな」

大臣は初子にグラスを返しながら言う。

「ここには、男をリラックスさせてくれるすべての物が揃っています。口に合う食事、心地よい湯、美しい景色、静かな空間、女性の肌のぬくもり、それと初子さんあなたの気遣いだ」

横森も続けた。

「褒めすぎですよ、でも、気に入っていただいて光栄です」

「しかし」

と大臣は言う。

「ここのローマ風呂はすごいですな、豪華で。混浴なんですなあ。ここは一般客も利用できるんですかね?」

「いえ、今はまだグループ内の会員だけです。202×年に道州制が導入され、開設できました。大臣のお力ですが」

「いえいえ、道州制のおかげで、知事である私の権限が広がり、この施設も建設の認可が下りましたが、全ては鈴原先生のおかげです。しかし、混浴のSPAとはねえ・・・」

「外国にはありますなあ、バーデンバーデンでしたか、ドイツの」

「日本にも混浴文化はあるわけですが、混浴と風俗を混同する連中が多い。民度が上がらないと無理ですね。いずれにしても、会員たちの反応を見て一般への公開を考えています」

知事が説明する。

「会員の反応はどんな感じですか」

大臣が尋ねと、

「一言で言うと、人によって違うというところなんです。気持ちいいと言う女性もいれば、はずかしい、絶対無理と言う女性もいます。年齢による違いと言うより、ほんとに、人によって反応が違うんです」

初子がお客の反応を説明した。

「利用したい人だけ利用すればいいでしょう。法律で禁止することではない」

大臣は強い口調で言う。

「ぜひ、大臣のお力添えで」

「この国は中央の縛りが多い、カジノもポルノも大麻も、もっと地方の裁量に任せたらいいんだ」

「マリファナはともかく、この施設でもカジノはやりたいと思っています。実は施設としては作ってあるんです」

「何でもやらないと。冒険を恐れていると、この国は沈む」

そう言って大臣は、外の木を眺めた。



「あの、失礼ですが」

と、小説家であり評論家である岡真理子はテレビ局のスタジオで若い女性から声をかけられた。真理子は「フェミニズム論」の論客者である。

「平成女子大准教授の岡先生でいらっしゃいますか?」

「そうですが」

テレビ局の控室で、生放送の収録を待っていた岡真理子はそう言いながら、話しかけてきた若い女の首に掛かっているPRESSと書かれたネームタッグに目をやった。

「収録前のお忙しいところ申し訳ございません、私」

と、若い女は名刺を射し出し、

「週刊『女性スパイス』の柏木と申します」

と慣れた笑顔を見せた。

肩書には「記者」とあった。

「女性週刊誌の記者さんが、私に何の御用かしら。おかげさまで男性関係のスキャンダルとは無縁の生活をさせていただいておりますが」

女性週刊誌嫌いの真理子はわざととげのある言い方をした。

「お忙しいところほんとすみません。実は、狭山初子さんについてお聞きしたいと思いまして」

記者の若い女は、初子の表情から目を離さず、近くの椅子を引き寄せ、腰を掛けた。

「狭山初子って、あの桃源グループの?」

「そうです。理事長の。やっぱりご存じでしたね」

記者は笑顔を見せた。

「と言っても、もう何年も、いえ何十年も会っておりませんが」

「以前は友好がおありだったとお聞きしています」

「学生時代の話です。あの人がどうかしました?」

「実はある問題を調べておりまして」

「問題?」

「ええ。就職採用のとき、桃源グループの関連企業、桃源物産でしたでしょうか、女性が何か、性的な被害を受けているといううわさがありまして」

記者は真理子の興味を引き出すように、わざと断片的な言い方をした。

「そのあたり著書『女性の性』の著者である岡先生が何かご存じなのではと思いまして、伺いました」

真理子は咄嗟に、昔、高校時代に初子が言ったセリフとシーンを脳裏に映し出していた。大したことではないはずなのに、自分の存在を否定されたような短い記憶を、真理子は何十年ぶりに思い出し、眉をゆがめた。

「お待たせいたしました、岡先生、お願いします」

ノックをし入って来たADに、真理子は席を立った。

「収録の後、お話を聞かせていただくことは可能でしょうか」

記者は背中を追っかけたが、

「ちょっと、お役に立てないと思います、すみませんが」

そう言うと、真理子はスタジオへと廊下を足早に急いだ。


「どうぞこちらです」

インカムをつけたADが真理子をパネル席へ案内し、ライトがチェックされる。

今日はテレビの討論会番組。「女性の性を考える今」と名を打たれていた。

ほどなくして女性評論家の林富子、作家の山崎時雄、政治家の東昭一などがスタジオ入りし、真理子と目が合うと、ほんの少し表情を変え、笑顔を見せず目で挨拶をした。


ADがパネラーのマイクをチェックして、ディレクターがうなずくと、あと五分で本番入りますという声がスタジオに響いた。

真理子はさっきふいに何年振りかで聞かされた、初子のことを考えていた。できれば、思い出したくはない思い出だった。


その日、高校生だった真理子は、自分の通う女子高のキャンパスで、友人達と数人で一人の男子学生を吊し上げていた。女子高の構内で、不審な男子学生がうろついていたからだ。

「この人? シャワールーム覗いてたのは?」

と、真理子は尋ねる。

「覗いてなんかいません!」

男子学生はおびえた表情で、真理子たちを弱々しく睨んでいる。

初子がそこへ通りかかり、騒動を見ていた。すると、男子学生は駆け寄って、

「助けてください、この人たち怖くて」

と、初子に助けを求めたのだ。

「痴漢が何言ってんだ!」

真理子の取り巻きの一人が、男子学生に詰め寄る。

「痴漢なんてしてません」

男子学生は痩せた体で、初子の陰に隠れた。

「じゃ何で、あんなとこうろついてたんだよ、体育館の更衣室じゃねえかよ」

「迷ったんです。街で見かけた素敵な人の後をついてきたら、あのあたりで見失っちゃって」

「やっぱり痴漢じゃねえか」

「話がしたかっただけです!」 

「誰か呼んで来ますか?」

取り巻きの女子生徒は真理子を見る。


すると、初子が口を開いた。

「別に、いいでしょ?」

「ああ? 誰だお前」

「覗かれたぐらいで騒ぐなんて・・・」

「お前、おかしいのか」

「昔住んでたうちはトイレにドアもなかったわ」

と言って初子は一人で笑った。

「こいつ、おかしいのか」

取り巻きたちがあっけにとられていると、

「そうだ、隠すことが美徳なんだっけ、この国では。ママが言ってた」

と、初子は続けた。


「こいつ、何言ってんだ?」

「狭山初子、先月転校してきた、帰国子女よ」

真理子が初子を見た。

ところが、初子は岡真理子には全く興味がないと風に男子学生の方を見て、

「お腹空いちゃった」

と、話しかけたのだ。

「え?」

とっさに男子学生は驚いたが、

「ごはん、ごちそうしてくれない?」

と言う初子に、

「あ、いいけど・・・」

助けに船、とばかりに男子学生は承諾した。

そして、初子は男子学生の腕を組むと、歩いて行ってしまった。

「何だあれ」

取り巻きたちがあっけにとられていると、初子は、振り返り、真理子に向かって笑顔を見せたのだった。


それが初子との出会いだった。そして、真理子は初子の勝ち誇ったような、馬鹿にされたような笑顔を、忘れることはできなかった。

それから三年間、生徒会長の真理子は何かしようとするたびに、初子の視線が気になったが、初子から真理子へ何かを言うということは一度もなかった。

真理子にとってはそれもまた、自分など眼中にないと言われているようで腹が立ったのだ。


「本番お願いします」

ディレクターから声がかかり、真理子は現実に戻された。久しぶりに高校時代のこと、初子のことを思い出し、真理子はいやな気分のまま収録をしなければならなかった。



一人の美しい中年の女性が、全裸でうつ伏せになり白人の男からマッサージを受けている。

狭山初子である。

ここは、『アルテミスジャパン』の敷地内にある建物の一室で、大きな浴室が湯をたたえている。

壁には、180×180センチの大きな原寸大の『接吻』の油絵が掛けられている。19世紀の画家クリムトの名画で、初子はこの絵が好きであった。

ガラス張りの窓の眼下には、温水プールのようなSPAに、大勢の一般のお客たちが水着姿で湯を楽しんでいた。


『アルテミスジャパン』は、狭山初子が理事長を務める『桃源グループ』の企業である『桃源物産』が運営をする温泉レジャーランドで、今、初子がいるのは、一般用とは別の会員用のフロアのVIPルーム、初子とごく限られた者で利用される。

会員用のフロアは会員のみ入場が許されたスペースだが、桃源グループの社員なら誰でも会員になれる。

どちらも、いわゆるSPAの施設だ。浴室、サウナ、スポーツ器具、リクゼイションルームなど一般的な施設が揃っている点では、一般用も会員用もほぼ同じだが、ユニークな点は、会員用のフロアには男女で利用できる水着、タオルの使用が禁止(・・・)されたローマ風呂があることだろう。


初子は、ドイツの町バーデンバーデンで生まれ、16歳まで現地で暮らした。

周知のとおりバーデンバーデンは温泉地として世界的にも有名な観光地で、特に男女が混浴するサウナやローマ風呂で名を広めている。

その町で生まれ育った初子は、幼いころから家族や友人と男女の境なく当地の施設を利用していた。

十六歳のとき母親の祖国である日本へ戻り、女子大の高等部へ編入した。帰国子女ということでクラスの女子とはぶつかることも多かったが、特に、男女関係の築き方の違いからくることが多かった。理由は、日本とヨーロッパでの性に対する根本的な考え方の違いだった。もっと簡単に言うと、女性の裸への認識だった。

そんな彼女だったので、最初に手掛けた事業がこのSPAの経営で、少女の頃の郷愁としてこの会員用のフロアとローマ風呂を併設したのだが、グループの社員の守秘義務の意識の高さもあり、このことは世間には知られていない。


初子がマッサージを受けている部屋の、画面に掛けられているモニタからは、朝の討論番組「土曜討論会」が映し出さている。

女性の自立を謳う平成女子大准教授、岡真理子が、教育評論家、小説家と言った男たちを独自の「女性自立論」でやりこめていた。

マッサージを受けながら初子は、高校時代の顔見知り(・・・・・)の登場にモニタへ体をよじり、ヴォリュームを上げると、熟れた張りのある腰が山脈のようにベッドの上に現れた。

たちまち、真理子の『女性自立論』が展開した。


「会社でもほら、女性社員だけ制服があるでしょ? あれどうしてだかわかる?」

真理子が出演者の男たちを見ると、男たちは目をそらした。

「制服を支給しないと、服装や化粧が華美になるってことでしょ? 女性はそういう分別を持てない馬鹿な存在だって言われてるのよ」

「もっとも女性の方もいけないんだけどね、何だかんだで家庭に入って専業主婦を望んでる女が多いんだから。あなた知ってる? 日本人の男は憲法を盾に戦おうとしないばかりか、女たちもいい子ぶって男女平等論争に参戦しないって、外国人が言ってるの」

「誰が言ってるんだ、そんなこと」

団塊世代の教師出身の作家が食いついた。

「みんな言ってるわよ、あたしの周りの外人は」

「そりゃ、あんたの周りのだけだろ」

スタジオは騒然となった。


浴室のモニターでその光景を見ていた初子は、ほんの少しだけ微笑んだ。


「理事長、そろそろお支度のお時間です」

ドアの外で若い女のシルエットとともに澄んだ声が聞こえると、初子は湯船に立ち上がり、豊かなバストを露わにし、浴室のドアを開けると、スーツ姿の若い女、第二秘書課の横手夏帆からバスローブを受け取り浴室から出て行った。



「お待たせいたしました」

初子が、洗いたての長い髪をアップにし、スーツ姿で部屋へ入って来る。

応接室にはすでに株主である数人の男たちが集まり、今年度の収支報告を初子と桃源物産の経理担当から聞くのを楽しみに待っていた。と言うのも、桃源物産株は超優良株で、毎年高い配当を株主たちに約束していたからだ。

「ややや、これは初子理事長、会うたびにお若くおなりだ」

初子とは若い時分から懇意の、頭の薄くなった株主の男は笑顔で言った。

白いスーツを着、小さいが高価な装飾品を身に付けた初子の姿を見て、株主たちは皆笑顔を見せた。

「お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。皆様方お揃いならさっそく始めましょう」

初子の言葉を待って、メガネをかけた痩せた男、桃源物産の経理部長が鞄から書類を取りだし株主へと配布した。

書類には四半期の決算書類と損益計算表、貸借対照表と書かれている。

初老の株主たちは、老眼鏡をかけ、その数字に目をやり、まもなく、

「うーん」

とひとりが顔を上げ、初子に向かい笑顔を見せる。

向かいの席にいた紳士も、

「すばらしいですな」

と、つぶやくと、各人、うんと満足そうな表情でうなずいた。

一番気難しそうな男が、

「今期も、大丈夫なようですな」

と言うと、

「いやいや、大丈夫どころじゃありませんよ、大変な利益率じゃないですか」

「たしかにすごい、今どきこんな儲かる会社があるんですなあ」

それぞれ桃源物産の成績に感嘆の声を上げた。


初子は黙って男たちの満足そうな様子を笑顔で見つめていた。

何も言わない初子に、一人の株主が問いかける。

「初子さん、あんたとは長い付き合いで今更なんだが、この業績は何か特別な秘訣でもあるんですか、もしあるなら、後学のため教えていただけるとありがたいんだが」

会社が儲かる秘訣などあるわけないことは分かっている初老の株主が、半分お世辞でこうたずねた。

すると、以外にも初子は普段からその質問への答えを用意していたかのように口を開いた。

「特に、変わったことはいたしておりませんわ、ただ、女性がやさしくいられる環境を作るよう心掛けているだけですの」

「ほお」

男は、言ってる意味が理解できず、興味を示し初子の次の言葉を待った。

「女性というのは、本能的に、物質的にも精神的にも肉体的にも満たされているとき、やさしくいられるものですわ」

「なるほど、それで理事長はいつでもおやさしいというわけだ」

株主から笑い声が上がった。

男たちは初子が何を言っているのかわからなかった。だが、それはどうでもよかった。むしろ、半分ごまかされたような初子の回答に、落ちが付いたような形になり、席を立つきっかけができたのだ。老人の男たちにとって、女の言葉などどうでもよかった。

物事の本質などどうでもいい、ただ、金が手に入っていればそれでよかった。


株主の男たちがマンションのドアから出て行くのを初子は見送り、応接室へ戻ると第二秘書課の横手夏帆がテーブルの後片付けをしていた。

「理事長、私はこれから桃源物産へ戻り、短大での就職説明会の準備をします」

「説明会は、うちのグループの理念を学生さんたちにわかっていただく大事なイベント、しっかりとお願いね」

「わかりました」

第二秘書課の横手夏帆はスーツ姿で一礼すると、部屋を出て行った。


                     三通目 理事長 狭山初子 終わり

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桃源女学園からの招待状 辰巳京介 @6675Tatsumi

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