第27話 砕ける音虚しく
太陽の女神アポロンの側近である
主は、手の中の金細工の髪飾りと、玉座に座る不機嫌な母親とを交互に見ていた。
「止めなくていいのかい?またお叱りを受けるかもしれないよ」
「アポロン様は、今日のために寝る間も惜しんであの髪飾りを作られたのです。どうしても渡したいからと、聞かなくて……」
アポロンは、母親のヘラから疎まれている。昔ゼウスが寵愛していた神官に顔がそっくり、という理由でだ。
自分の好き嫌いに当てはめられて疎んじられるのは、受ける方にとっては理不尽の極みだが、それでもアポロンは、健気に母親に尽くした。いつか、自分にも暖かい笑顔を向けてくれると信じて。
装飾品が好きな母親のために、アポロンは三か月も前から毎日鍛冶の神ヘパイストスのもとへ通い、金細工の髪飾りを作ることに打ち込んでいた。
声を掛ければ無視される。傍にいれば侮蔑の眼差しで嫌味文句を言われる。母親からそんな扱いを受けながらも、民の前では太陽のように明るく、常に笑顔を絶やさない主を見ていると、心が痛くなる。シーロッドは、母性の女神ヘラが嫌いだった。
ヘラの怒りの視線に耐えられず、女神官たちはぎこちない笑顔でそそくさとゼウスのもとを去った。一人取り残された絶対神は、やれやれと首を振り、酒を飲み始めた。
いつになったら妻である私を祝いに来るの。贈り物は無いの?全てさっきの女どもが悪いんだわ。
夫ではなく、女どもが夫を誑かした。それがいつものヘラの考えだった。
そんな彼女を露骨に嫌悪した顔で見ていたシーロッドの視界に、主の姿が映った。主は、ヘラに近付いた。ヘラの視線が、疎ましい娘の方を見る。侮蔑の色に染まったその双眸を見て、シーロッドは思わず顔を背けた。
「あの……母様。これ、どうぞ」
そう言って差し出された金細工の髪飾り。少し形が歪だが、曇り汚れの一つも無いそれに、ヘラの不機嫌に眉を寄せた顔が映る。アポロンは少しぎこちなく笑って、母が受け取るのを待った。
「お誕生日、おめでとうございます。これ、私が作ったんです。母様、装飾品が好きでしょう?だから……」
アポロンの言葉は、最後まで紡がれることは無かった。
金の破片が飛び散る。床にぶつかり跳ねたそれは、星の瞬きにも見えた。
「あ……」
砕け散った髪飾りを見て何が起こったのかわからないアポロンは、無意識のうちに砕けた髪飾りをかき集め、ヘラに笑いかけた。
「手が滑ってしまったんですね。すみません、また作り直して……」
「お前からの贈り物など、いらん!あの女と同じ顔……見ているだけでも腹が立つわ!失せろ!」
会場にいる者全ての視線が、ヘラとアポロンに集中する。
アポロンは、呆然と立ち尽くした。そして、悟った。ああ、今日も失敗だったな。
「ごめんなさい」
アポロンは一言そう言うと、踵を返して会場の出口を目指した。
涙をこらえ、出口へ歩くアポロンの隣を、一陣の風が吹き抜けた。アポロンははっと立ち止まり、母の座る玉座の方を振り返った。そこに広がる光景に、目を見開いた。
あの母性の女神は、あいつは、アポロン様の思いを踏みにじった。母に疎まれてもなお、民を心配させまいと、太陽の女神としてあるべき姿を保とうとしている我が主の愛を求める声を、断ち切った。
シーロッドは歯ぎしりをした。唇も強く噛んでいたようで、一本の血の糸がその顎を伝った。
「許さない!」
エルノンとフェアトが止めるのも聞かず、シーロッドは拳を構えて走り出した。構えた拳をぶつける先は、勿論憎き母性の女神である。
「このっ、大馬鹿野郎――っ!」
渾身の力を込めた右拳を、玉座のヘラに向けて突き出す。怒鳴り声と共に拳を向けられたヘラは、驚き、手で顔を庇った。
しかし、シーロッドの怒りの拳は、ヘラに届くことは無かった。
「シーロッド。神に拳を向けた罪は重いですよ」
「トロヴィ……様……」
シーロッドの小さな拳を、
「この者は、ヘラ様に拳を向けました。神への反逆そのもの。どういたしましょうか」
ヘラは勢いよく立ち上がると、シーロッドをねめつけた。
「神殿の地下牢に放り込んでおきなさい!地下の化け物どもに食わせてやるわ!」
主に忠実なトロヴィは、鳩尾を打ち意識を絶たせたシーロッドを抱えて、会場を後にした。
太陽の女神は溢れる涙をこらえきれず、床に手をついて嗚咽を漏らした。
神サマの日常 淡井将宗 @imotyu273
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