第26話 女神の嫉妬は見苦しい

 母性の女神ヘラの誕生会を催す会場となったミテラ神殿は、内も外も飾り付けられ、普段の三割増し豪華な雰囲気を纏っていた。

 中の大広間に並べられたテーブルの上に、神官たちが次々と料理を載せていく。集まった神々やその側近、高位の神官たちは皆、料理と会話を楽しんでいた。


 玉座に座って上機嫌なヘラ。勿論その右腕には、先日力天使デュナミスのフェアトが取り返した腕輪が光っている。そんな様子を離れたところから見ていたアテナは小さく溜め息を吐いた。

「あの人の機嫌のいいのは、せいぜい自分の誕生会くらいでしょうね。母親のご機嫌取りも疲れます」

 知恵の神アテナ、そして彼の姉である太陽の女神アポロンは、ゼウスとヘラの子どもである。アポロンが無邪気に父と母を慕う反面、アテナは軽薄な父と嫉妬深い母が好きになれず、それぞれを名前で呼んで距離を置いていた。

 自身の側近であるフェアトは、夢の神ヘルメスの側近の大天使エンジェリアエルノン、姉アポロンに仕える主天使キュリオテテスのシーロッドと談笑している。どうやら、この煌びやかな会場で気分が沈んでいるのは、自分だけのようらしい。

 アテナは会場の隅で、ちびちびと果実酒を飲むことに専念した。


 天使エンジェルテンシェイは、まるで本物の獅子が獲物に食らい付くように料理にがっつく主を、やや引き攣った顔で見ていた。鍛錬のすぐ後に御馳走が出されたのだから、こうして品悪く貪り食うのは仕方が無いのかもしれない。テンシェイは、他の神の誕生会の直前まで鍛錬を続ける主の行動が理解できなかった。汗まみれの訓練着のまま誕生会に参加しようとした(テンシェイの説得で、しっかり正装に着替えた)思考もまた理解し難く、決してしたくはないものだった。

「ほら、お前も食え!美味いぞ!」

 ……と、本人は言ったつもりなのだが、口に肉から野菜からを詰め込んだ状態でしゃべっているため、テンシェイにはもごもごとしか聞こえなかった。

「……それにしても、皆好き勝手やってるなあ……」

 天使になる前のテンシェイは、神の生誕を祝う日はもっと荘厳で静寂に満ちた空間で行われると信じていた。それ故に、こんな平民の祭り騒ぎのような会場を最初に目の当たりにしたときは、思わず眩暈を覚えたほどだ。

 鍛冶の神ヘパイストスは酔って歌い出し、夢の神ヘルメスの奏でる竪琴の音は、炉の女神ヘスティアが食器を落としたことによってかき消された。海神ポセイドンは女性たちから勧められる酒を飲み続け、酔い潰れて眠っている。

「サフィーダ。ポセイドン様を運ぶの、手伝うよ」

 テンシェイは主から離れ、同僚の少女のもとへ援護に向かった。


 ヘラの気分の上下は激しい。その原因は、十中八九、夫である絶対神にあった。

 夫は自分は声も掛けず、女神官たちを捕まえては戯れている。彼から寵愛を受けている側近の座天使ソロネはいないようだったが、その光景に殺意にも等しい怒りが湧いた。

 私の夫を横取りするとは……殺してやるわ。ヘラは、女をはべらせ笑う夫に対してではなく、彼を囲む女神官たちに怒りの矛先が向いた。彼女らがヘラの怒りを恐れ、笑顔の端々から怯えの空気を漂わせていることなどに、強い嫉妬に駆られたヘラが気付く筈も無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る