余命零だった作家とくだらないエンタメギョーカイ
零真似
これまでと、これから
さて。みなさんお久しぶりです。はじめましてかもしれませんね。零真似(ゼロマニ)です。
こうしてエッセイとして近況を発信するのは初めてですが、いろんなことに一段落ついたのでここらで
ちょろっと僕の話をしておきます。
刊行作品についての打ち合わせが終わり、今はネカフェでくの字になりながらスマホでこれを書いています。なのでけっこうくたっとした文章になると思いますが、あんまり長くはならないと思うので、よければお付き合いください。
まずは来歴。
プロを名乗るに値する‘’最低限‘’のものが書けるという自負を抱いたのが18歳。インターネットで小説書いて2年が経った頃。それから大学で4年間、哲学やらサブカルやら演劇やらに身を置いて創作から離れすぎない位置で表現の幅を広げ、さあ22歳だ就活だってことで再び小説を書き始めます。
といっても大学生活は4年間きっちりぷわぷわ学生をやることに決めていたので、周りは既に働き始めていましたが。
で、執筆を再開するにあたり。
僕はひとつの期限として「3年」という期限を設定しました。「3年以内にプロになれなかったら(新人賞をとれなかったら)死のう」ってやつです。
こうして文字にするとなんか自罰的ですが、実際はそんなに暗い感じじゃなくて「3年もあってデビューできないはずがないっしょ!」と楽観的で。言い方を変えるとそれくらい僕は僕の‘’目‘’に自信を持っていたわけです。よくもわるくも。このあたりは刊行作のあとがきで触れているとおりです。
そして一年後に受賞。『まるで人だな、ルーシー』を出すに至り、絶賛も酷評も、たくさんの人が反応をくださりありがたい限りでした。作家としての生き方(生かされ方)も概ね望んだとおりになっているとしたり顔をしたものです。
ここまでを「日常」として。
ここからが「地獄」です。
小説が書けなくなりました。
小説を書くために生きてきて、そのために大事なものは全て捨てたのに(後述します)小説が書けなくなりました。それも読者にどちゃめちゃ叩かれたとか、売上がヤバヤバに最悪だったとか、そういう理由じゃないんです。‘’創作とはまったく関係ない理由‘’によって小説が書けなくなったのです。
小説家になる(目指す)にあたり、友人や恋人との縁を切り、創作活動だけに専念できるようにしました。大学卒業後、間もなくのことです。
それらは作家として存在していない間の僕にとってとても大切なものであり、いつか創作と同等の価値を持ちかねないものでした。だからそれを作って、捨てることまで決めていました。僕は幸せになるより小説を書くバケモノになりたかったからです。べつの表現にすると、‘‘創作を自分にとっての手段にしたくなかったから’’です。
この辺の思想について語ると長くなりそうなので、要はそれくらい強くて、イタくて、「創作が僕の全てだ!」と言ってしまうような(言えるようになりたがる)人間だったというわけです。
そんな人間が、小説とはまったく関係ない、リアルの、長い目でみればおそらく些細でしかないことにクリエイティブを阻害され、その状況から抜け出せなくなってしまう。こんなカッコ悪いことはありません。
カッコ悪いだけならいいけど、それは僕が一方的に切り捨てた人間と、あったはずの幸せを燃料に変えて灰にした‘’作家ではない僕の人生‘’に対する裏切り行為でしかない。小説を書くことに挫折したなら死ねばいい。でも、くだらないものとして切り捨てた現実ごときを理由にして創作をやめることは許されない。それじゃだれも報われない。
と。
そういうわけで、生まれてはじめて狂わされた人生の中で、それでも必死に、まだあるものをなんとか燃やして、小説が書けないまま、とある小説を書き上げることができました。2017年9月のことです。
ここまで書いて伝わってくれていたらいいなと思いますが、それは今までの僕とこれからの僕にとって重要な、かけがえのない、大切な一作になりました。
とはいえ。
僕がどんな想いでそれを書いたかということと、それを出版社が本にして刊行するかどうかは関係がないし。そういう経緯で書かれたものだから狭い世間でいうところの「ライトノベル」の枠組みからはたぶんハズレているし、僕の想いだけを理由にして本を出すようなことはしたくないとも当時は思っていたので、一応、そのときの担当編集であったスニーカー文庫の人間にまずは原稿を渡し、返事を待つことにしました。(デビュー作の担当編集とはべつの人です)。
ただ、そうして書かれたものがつまらないとは僕には欠片も思えなかったし、それは今もそうなので、
「もしも刊行に至らないと判断されたなら他のレーベルで出せるように動きます」
とは伝えておきました。
やがて返事がきます。
『これは必ずウチで出します』
感動しました、とか。これは絶対に世に出すべき一冊だ、とか。そんなようなことも言っていたような気がします。
『間違いなく刊行するので、まずは今書いているものを仕上げましょう』
そういうことで、僕は書けなくなって放置していた二作目の『いずれキミにくれてやるスーパーノヴァ』の第三稿(三回目の大規模修正)にとりかかるわけです。
ここでちょっとだけヴァ前後の話をします。
デビュー作である『まるで人だな、ルーシー』の刊行にあたり、初代担当編集には本当に自由にさせてもらいました。作家に自由に書かせるためにはおそらく裏でたくさんの用事をこなさなければいけないので、数いる編集者の中で彼だけには敬意を払っています。「物語」を「作品」にするにおいて、誠実であり、良い意味で愚直であり、連絡が遅い以外はわりといい人だと思っています。
その人がレーベルを去るときに言葉を残していくわけです。
「今後べつの編集者が改稿を要求してきたらなるべくきいてくださいね」
多くの作家が苦悩するときく「編集者からの改稿指示」をスルーしてきた僕に対する助言みたいなものなのでしょう。
僕は彼の言うとおり、次の編集者の意見をなるべくきこうと考えました。我を通さないことで作品がよくなる可能性もある(あってほしい)と考えていたからです。
そして、二人目の担当がつき、特になにもすることなくどこかへ飛んでいき、三人目。
「もし売れなかったときは私を責めてください!」
と、零真似という作家の人生に意味不明な覚悟で介入してくる彼と共に『いずれキミにくれてやるスーパーノヴァ』は作られることになります。企画の立ち上げまでは初代担当です。
言うことをきくといっても思考放棄で従っていたわけではなく、もしお互いに譲れない部分で揉めたらこちらが折れるという具合でした。なぜならこれからも作品を書き続ける僕とちがって、彼はこの作品に対する全ての責任を負うと言っていたので。そこまで言うのであれば、長い人生で一度くらい、自分より他人を信じてモノを作ってもいいのかなと思いました。
そういうわけで。
金銭も、未来も、実績も、すべてを保証された状態で僕は彼と本を作っていきました。
そして一年近い改稿を経て、僕にできることがなにもなくなり、やっとできあがった完成品(見本誌)を見て僕は驚きました。本の内容の一部が僕の知らないところで変更されていたからです。
なぜ無断で作品の内容を変更したのか尋ねると「時間がないから」とのことでした。そこに至るまでに数回に渡り「締切は大丈夫なのか?」という確認や「もし間に合いそうにないなら出版時期をずらしてもらってもかまわない」と提案しても「問題ありません」との回答だったので、いったい彼がなにに時間を使っていたのかは不明です。
確認してみたところ、既に見本誌もできあがっているため「どうしようもない」という見解が返ってきたので、僕はその変更を呑みました。
理由はふたつです。
ひとつは「勝手に内容を変更されたことによって結果的に作品がよくなる可能性もある」という考え方を‘‘持つこともできた’’からです。
個人的にはそんな姿勢でエンターテイメントに携わりたくはなかったけれど、既に「どうしようもない」ことが決定している中で彼が「そうしたほうがいい」として独断で決めたことである以上、僕に負える責任はなにもなくて。けれど一年近く付き合ってきた作品に対して「無責任」でいるようなことは自分のためにも読者のためにもしたくなかったので、僕は僕を納得させる理由として「次に繋げる」ことを選びました。
ここでいう「次」というのは、重版した場合には「作品を作り直す」ことであり、重版しなかった場合には三作目を完璧な形に仕上げることでした。
そうすることで僕は、僕と、僕の作品を好きになって応援してくれている読者に対して、二作目を勝手に作り変えられたことさえもプラスにできると思っていたからです。これがふたつ目の理由です。
だから僕は既に出版が決まっている三作目に対して「無断で本の内容を変えないこと」と「絶対に守ると断言した刊行の約束を絶対に守ること」という(今思うと意味のない)二重の誓いを担当編集者に立ててもらいました。
そしてその裏で、2018年の9月に刊行される(と思っていた)作品に向けて推敲を重ねていました。
この推敲に関しては本当に、不要な言葉が一文字も含まれないように繰り返しペンを入れて紙を刷ってを重ねていて。ひも綴じしていく度に減っていく修正箇所の朱を見ながらこの作品を書くに至った(書かなければいけなくなった)原因を思い返し、怒りと懐かしさを覚えつつ、これでようやく前に進めると希望みたいなものを胸に宿していました。
『いやー、零真似さん』
本当に、なにもかもがバカに思えてきますね。
『アレ、そもそも企画からしてナシです』
出版確約から一年後、2018年9月。
僕が結実させようとした25年間は、なにがおもしろいのかわからない冗談でどこかに飛んでいきました。
三作目を刊行しないことには、二作目で僕がしたことのすべては無駄になってしまう。あれも僕の本だと、胸を張って言えなくなってしまう。
当初描きたかったものと解離しかねない改稿や、無断で作品を作り変えられたことについても、納得したならそれを後で愚痴るのは卑怯だと思う。
けれど「三作目を望む形で出してくれるのなら」という納得の前提から崩されたら、僕は再び僕にとって大切だった人と自分自身を裏切ることになってしまう。それはこれから出会う読者に対してもそうだと思う。それは嫌でした。
もしかしたらこの世には、編集さんに笑っていただくために物語を書いている作家がいるのかもしれない。
もしかしたらこの世には、作品を、人生を、踏みつけにされて喜ぶ作家がいるのかもしれない。
でも僕はそうではなくて、その作品もだれかの冗談に使われていい類いのものではなかったので、もうだれのことも傷つけたり裏切りたくなかったから、スニーカー文庫編集部の会議で改めて事情を説明してもらい、どうにか冗談をやめてもらえないかーーつまり約束を守ってもらえないか頼みました。無理でした。今書いててようやくちょっと笑えてきました。
『圧力とかは絶対にないので、どうぞ他のレーベルの賞に出してみてください!』
物語を紡ぐ行為を冗談で笑い飛ばした口で彼が語っていた言葉が、ずっとこめかみ辺りにこびりついていました。
はい!
2018年9月。
地獄part2! 煉獄です!!
小説が書けなくなりました。
人を信じてバカを見た僕は、翻ってバカな僕を信じることができなくなりかけていました。
とはいえ、今回は結局小説に起因することで小説が書けなくなったので、前回よりはかなり前向きです。
もしこのまま小説が書けないなら死ねばいい。でも書けるならまだ生きている意味はある。すくなくとも以前は作品を書き上げるだけの実力はあった。これから圧力があるのかは知らない。デビューするまでに一年。冗談で踏み潰された無為な時間が一年。なりたいものになるために、残されたのはあと一年。
デッドヒートの始まりです。
2019年1月。
『ウソをついて騙したのは悪いと思っています。でも悪気はありませんでした。なので私は悪くありません!』
三行でヤバさが伝わるセリフを言うがためにわざわざ当時の担当編集が電話をかけてきたのは、僕がカクヨムに‘‘もし零真似が死んだとき’’のために遺書を公開していたとき。
なぜウソを吐いてまで他のレーベルから出せないようにしたのか、という問いに対して、彼はこう答えます。
『他の賞に出していたとして、受賞していたとでも思っているんですか?』
一度は出版を確約してその価値を認めた物語に対して彼がどうして‘‘受賞するわけがない’’と思っていたのかは知らないし、それを僕にあらためて確認する意味は知ったところで「くだらない」としか思えないと思う。
『たぶん私のことを殺したいとか思ってるんじゃないですか?』
自分にとってなにより大切なものを他人に託し、それを踏みつけにされて嘲笑われた人間の気持ちがわかるような態度で、そんなことをきいてきた。
あのとき一緒になって笑わなくてよかったと思う。
僕が作品に込めたものは、冗談で笑い飛ばしていいものでもなければ、くだらない人間ひとりの命くらいで引き換えにできるものでもないはずだから。
あえて、ここで書いておくなら。
僕の人生においては、彼に、あるいは彼のような人間を支持するレーベルに大事な作品を預けた僕が完全に悪い。作品の扱い方に関していえば、彼らが完全に悪い。それが僕の答えです。ただ、やっぱり自分がはたらいた「悪気のない悪事」に対してなんの責任もとらずにのうのうと彼が出版社の新年会に参加しているのは笑えました。
……ダメだ、長くなる。
諸々、省きますね。
2019年9月30日。
タイムリミット。
ガガガ文庫大賞の締切日。
二つの意味で出しきった僕は、編集部からの連絡を待ちながら最後に一本、書きかけになっているものを書き上げ、今まで書いてきた作品を読み返しつつ、銀行に残っている金をすべて引き落として愉快な日々を過ごしていました。
『余命零、さんですか?』
だれだそれは!? 創作に命なんて賭けるなバカバカしい。あ、僕です。
本当に、ギリギリでした。
受賞したデッドリーヘブンリーデッドは23歳のときに書いた話で、いつの間にか僕は27歳になっていました。最近書いたおもしろ売れ筋ラブコメをガガガの担当に見せたら「これなら受賞はしてないっすね」と言われました。僕は受賞作のリライトを希望しました。通りました。最初から書き直すということです。出版まで期間がないのでまた小説を書くのに追われる日々です。
それを幸せに、あるいは不幸に思えるほど、僕の心はもうどこかに寄りかかってはいないけれど、本当にもう創作に命なんて賭けたくないなって思います。それは弱さであり、望まぬゴールへの逃避なので。ちゃんと死に意味を持たせるためにも、まだ生きたいなって思います。
自分より正しい誰かがいればいいと思って生きてきました。それも弱さで、頭にお花が咲いています。
どれだけひどい目に合っても、きっといつかは救われる。
大嫌いなやつらのことも、きっといつか許せる日がくる。
そんな、お花畑の頭でモノを書いていたかったんです。
しっかりと現実の寒風に吹かれた僕はもう、だれかに大事なものを預けてはいけないのだと思います。ちゃんと自分だけを信じて、自分の力だけですべてを成すのが正しいことのように思えます。
それでも僕の中にはまだ、自分以外のだれかに自分のなにかを託したいという気持ちがあります。
所詮、僕にできること(見えているもの)など高が知れているからです。
人生を概ね想定通りに進めることしかできない僕は、だれかに引っ張ってもらわないと自分の正しさを証明することに時間を使ってしまう。そんな人生は絶望だ。
だから僕は、また賞をとって自分の作品に自分以外の誰かが価値をつけてくれる道を選びました。自分以外のだれかが、僕ひとりではいけないところに連れていってくれることを願って。
それは編集者といった仕事のパートナーに限った話ではもちろんなくて、僕がかつて切り捨てた人たちだったり、読者だったり、いろいろです。
そういうわけで、2020年からはすこしだけ「繋ぐ」ことを意識していきたいなと思っています。
「繋ぐ」ことと「繋がる」ことはちがうのでインターネットで両手繋いでレッツエンジョイ!はしないと思うけど、なんかこう、もうちょっとだけ優しい人間になれたらいいなって思ってます。
過去とか、現在とか、未来とか。
まっすぐじゃなくてもいいから、ちゃんといらないところなんてなかった……は、いいすぎか。でも「いらないところなんて三年間しかなかった」くらいは言えるようになりたいです。そのための初心ですし。
そろそろネカフェのナイトパックが終了するのでこのあたりで。結局くの字のまま寝れませんでした。
そうそう。
だからこれを読んだ人がどう思うかはあたりまえに自由で、どう思ってほしいという意図もあんまりないんだけど。一応、僕はこれを「くだらないやつらにしてやられた話」としてではなく「くだらないやつらをぶっとばして前に進んでいる話」として書いたつもりです。
してやられた当時にこれを書かなかったのは、全面的な被害者としてではなく、ちゃんと加害者の側面をもって世界と関わりたかったからです。いじめられても泣いてるしかない状況よりは、結果で殴り返してるほうがエンタメでしょ?
あと、僕が2017年の夏に小説が書けなくなった理由については、ここで書くのはやめておきます。
いつか出したいと思っている「幻になってしまった作品」のあとがきで既に書いているので。
それでは、これを読んでくれた人と僕の作品がどこかで繋がってくれたらいいなと思いながらリライトしてきまっ!
デッドリーヘブンリーデッド、買ってね!!(たぶんタイトル変わります!!!!)
余命零だった作家とくだらないエンタメギョーカイ 零真似 @romanizero
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