第7話 龍になりて妃のもとへ
「美しい香音さまの言うとおり、丁未にアラートをだすぞ」
健人のアラート発令より一瞬早くアラートが鳴りはじめた。
ヒューイヒューイヒューイ、一秒休止、再びヒューイが三回、停止するまでエンドレス。
丁未にアラートが響く。現時点での丁未の最高責任者は岬桜花一佐になる。
「久米、アラート停止」
隊員は上司を階級で呼び、上司は部下の姓を呼び捨てにする。名の呼び捨ては民間人の証というところだ。
ハッチを開けて、
「ステーションからのアラートだ。健人、クマノスタンバイ。織羽はハッチのロックを確認して辛亥待機」
「コピー・ザット」
「はい、了解しました」
健人はハッチに取りついて振りむき、「自分のせい? とかなんとか思うなよ。じゃまくさいだけだ。みんなにもあやまる必要なし。宇宙服はそこ」と指さして、「桜花、さすが一佐だぜ」と言いながら出ていった。
わたしは歯を喰いしばってうなずき、ハッチを確認した。ロックは完璧だった。
岬桜花一佐。わたしはそういう場所にいるのだとあらためて自分に言い聞かせ、深呼吸する。
『織羽、クマノに乗れ』
辛亥にノイズの入った健人の声が届く。
「了解しました」
わたしが
「お願いします」
シャトルシップ・クマノへ急ぐ。無重力に慣れたとは言えないけれど、身体を上手くコントロールできている。
丁未には相変わらず誰もいない。
『織羽、右の方向にドアが見えるでしょ。わたしはそこからクマノをフォローしてるから、安心してクマノへ乗船しなさい』
右方向の閉じたドアの向こうは丁未のコックピットだ。
地球はなんて美しいんだろう。どんな場所で、どのような状況でも、なんど見ても、毎日でも、長い時間ただ眺めていても、一瞬だけでも、そのたびに敬虔な気持ちになる。
わたしはクマノのコックピットに着き、緊張でキリキリしながら眼下に地球を見つめていた。
アスカは丁未を離れていない。
「たしかに高見塔也は不気味な男だな。
ヒューストンで第二次火星入植船、ルビー・イーグルⅡに潜りこんだらしい。確保された高野は「火星へ行く」と相当抵抗したんだとよ。
予定通りでもルビー・イーグルⅡの打ち上げは一年後だぜ。ロケットはまだ未完成だし。完成予定は来年の八月だ。
高野とかいうヤツ、一年間ルビー・イーグルに籠城する気だったのかね。
とはいうものの、高野がどうやって潜りこんだのかは教えちゃくれないよな。潜入コースを知られたら、それがリスクになるから当然だろうけど、知りたいねぇ。後学のために仕入れておきたいねぇ。
とにかく高野は要精神鑑定だ。で、病院移送中に大暴れ、鎮静剤を注射される寸前に看護士をぶっ飛ばして逃走したらしい。
高野は空手の有段者だったらしい。だがその情報は把握されていなかった。
谷垣所長と織羽の月の友ともだちのアラートは、タッチの差で間にあわなかった。
それで、だ。
なんと高野は、ごく一般的なルートで宇宙ステーションホテルへ行ったようだ。ブラックリスト入りしてるから、ステーションホテルの予約は当然ながら、なしだ」
「それで高野はホテルから丁未へ向かっているんですか? でもどうやって」
「ステーションホテルはクルーズ船を持ってるんだ。なんて名だったかな……ブルーレンボー……だな。
乗船前に高野を止めようとしたクルーズスタッフを二人、ナイフで刺した。嬉しそうにゆっくりと、肝臓のあたりへナイフを沈めるように刺したらしい。
ぞっとするぜ。
先端が強硬度セラミックの樹脂ナイフらしいんだが、樹脂の硬度も高く、鋭利なものだから、人の服も腹も簡単に貫いたようだ。
さすがにホテルの緊急対応はほぼ完璧で、スタッフの命は助かったし、血の飛散もわずかだったようだ。
だがその隙に高見はブルーレインボーに乗りこんだ。
船は幸いにも無人だったが、ちょうどクルーズを始める直前だった。プラットフォームとブルーレインボーのロックは解除されていた。
もしそれを計算の上の行動だとしたら、頭の出来はそうとういいんだろうね」
健人は指先で額をコツンとついた。
「高見くんは船を動かせたってことですか? そんな……」
「頭脳がよくて勘もよかったんだろう。ブルーレインボーは発進した。とにかくステーションホテルからは発進した。
だが、どこへ向かうか、あるいはどのルートを周遊するかはパイロットが入力する必要がある。出発しても目的地がないブルーレインボーは、自動的にホテルへ戻るって設定だ。
高見は音声入力を試みたらしい。『火星へ』と何度も指示してたってさ。そりゃ無理な命令だよ。火星へクルーズ、ありえない。どっちにしろ丁未を目指すつもりはなかったようだ」
高見くんはこの十三年、香音を目指してたのだろうか。絶対手に入らないものに執着する、危険なヤツ。
「クルーズ船のコックピットは、ゲストがふざけたことをする可能性を考慮して、音声入力をオフにしてある。
プログラムどおりホテルへ戻ろうとするブルーレインボーに、高見は支離滅裂にというか、高見としては思いつく限りのことをしたんだろう。それで矛盾を抱えたクルーズ船は自滅のスイッチを入れた」
「自爆するんですか」
「そんなデブリをばら撒くような仕掛けをするわけないだろ。動力を停止しただけだ。プログラムどおりにね」
「……落下……ですね。地球の引力で落下させ、落下速度を上げるブースターを稼働させる自滅システム。高見くんは救助されるんですか?」
「まさか」と言いながら健人が首を振る。
「ホテルは客の安全と、刺されたスタッフの手当てで手一杯だろうさ。そうじゃなくても救助船を出すのは危険がともなうし、燃料も使う。費用がかかりすぎるだろ。そもそも高野は客じゃないし、ホテルにしてみたらりっぱな犯罪者だぜ。
国際宇宙ステーションから救助船を出したとしても、自滅システムで地球の引力に引かれはじめた船は追えない。絶対に間にあわないとわかっている」
「じゃあ……」
「そうだ」
わたしは言葉を失い、健人は黙ってしまった。
わたしは高見くんが助かってほしい、と思っていない。そう思っていないことに罪悪感も持っていない。だからって、死んで欲しいとも思っていない。
なんといっても丁未のゲストクルーのようなわたしだ。事態を静観するしかない。
目の前で大気圏へと墜落していく船の中に、知っている人がいる。それがショックなのだ。わたしの体温を奪っていくほどにショックなのだ。
『万が一に備える必要はあるだろ。健人』
桜花の声だ。
『ブルーレインボーは丁未の二〇〇〇メートル下を地球へ下降しながら通過する。高野は頭がいい。頭のいい精神病質者は、天才的なひらめきを持つことがあるそうだ。
引力から離脱してしまう可能性が、まったくないわけじゃない。用心が必要だ。
安心しなさい、織羽。丁未の迎撃能力は大したものだし、わたしの腕も確かだ』
桜花のドヤ顔が思い浮かび、緊張が少しほどけた。
「丁未のディフェンスは攻撃的だからな」
健人がぼそっと言った。
「速いぞ。ブルーレインボーだ。目視できるぞ。わかるか?」
「はい……」
はるか下方に赤と緑の光が並んでいる。遠すぎて船体は見えない。
二つ並んだ光が一つの白い光点にになる。
光点が消え、炎の赤になる。やがて黄色の線になり、……落ちていった。
聞こえるのはクマノの動力、機器の動く音だけだ。
あっけない。感慨めいたものがない。
地球が美しくそこにあるだけだ。
『クマノ、戻りなさい』
桜花の声が大音量で響く。
「コピー・ザット」
健人が大きく伸びをした。
二〇三二年、新年はまだだ。わたしは辛亥にいても着任しているわけじゃない。
『これは記録に残されていませんし、証拠もありません。伝聞ですが、私の信頼している人物によるものです。
高見塔也が高校二年生のときに受賞した、名古屋市立高校文化祭金賞はその年に家族により辞退の申し出があり取り消されました。
同じ時期に母方の祖父、日本画家の西條保彦氏が亡くなっています。自殺だったということです。
絶筆になった「龍になりて妃をもとむ」と題された作品が紛失しており、不明のまま現在に至ります。
水墨画とのことですが、題材もどのような絵なのかも、ご家族は語られません。
西條氏の周辺からは、氏は孫に腹部を刺されて亡くなったのだという噂が聞こえていました。孫が祖父を殺害する。しかしそのことはあらゆる手をつくして隠し、西條保彦氏が自殺をしたことにしたのだと、聞きました』
谷垣所長以下十二人のメールルームへ、文化財保護管理専門班の北川氏からの書き込みだ。
同時に届いた佐竹さんの動画は、大気圏で燃えつきるブルーレインボーのものだった。
わたしがクマノで見たまっすぐに燃えつきてゆく線ではなく、ブルーレインボーだと思われる火球がうねるように落ちてゆく姿だ。
佐竹さんの「龍のように見えます」とコメントがついていた。
わたしは、ブルーレインボーが燃えながら龍になり、火星へ向かう姿を想像した。
誰にも言えない、わたしのだけ妄想だ。
高見塔也と西條保彦氏の間に確執があったのかなかったのか。中原香音への激しい執着で、高見の精神が壊れたのか。もともとサイコパスの気質を持っていたのか。高見は香音に声もかけず近づきもしなかったのに。
香音は高見にとって触れてはならない象徴だったのかもしれない。なんのための?
生きるための……心の空虚を埋めるための……
「僕には天野織羽がいる」
それは香音への執着と表裏の高見塔也の虚勢だったのだ。わたしはそう思いたい。
昇鯉 龍になりて妃をもとむ
交雑種のシバンムシは繁殖力があり、薬剤耐性がある。そのパワーで、古く貴重なものも食い荒らす。
谷垣所長と叶さん、佐竹さん、文化財保護管理専門班は全国を周り調査しながら、ちっぽけな虫に先手を取られる悔しさで歯噛みする日々だった。
それでも一つ一つ喰われた本を、喰われた軸や巻物を、帖を文を見つけだし、その欠片を丁寧に集め、シバンムシともども吸い取り、内からも外からも出入りできないように封印している。その作業は現在も進行している。
そして集めた物の古いものから辛亥に送り込む。現在、辛亥には西暦九〇〇年代までのものが届いている。
わたしはその一品ずつの欠片たちを選別空間へ放つ。再度殺虫処理してその死骸を排除するのはロボットの仕事だ。
そして無重力空間にふわふわ漂う欠片の一つ一つを読み取る。それはAIがする。
そのデータをジグソーパズルよろしく、そこに無いものを予測しつつ組み上げ、可能なかぎり復元する。そこからがわたしとAIの共同作業になる。
いまのところ、無重力状態がいちばん欠片へのダメージがないのだそうだ。
予算がつけば、博物館の地下に同様の機器を組み上げるというが、まだ設計もプログラムもできていない。
わたしに代わる交代要員も現在進行形で探している。文化財保護管理専門班からピックアップできそうなものなのに、そうもいかないらしい。
谷垣所長が、儘心堂のトモさんとセイさんからのビデオメッセージを送ってくれた。
トモさんが復活している。でもひとまわり痩せてしまった。以前にも増して、九十歳以上にみえてしまう。だけど元気そうだ。
儘心堂は、トモさんの娘さんが儘心堂の面影を残しながら、カフェ・ジンシンに改装して営業しているそうだ。
ビデオには店内の様子も映してある。
畳の部屋は取り払って壁と床がウォールナットになっている。三和土もウォールナットに隠されて見えなくなっている。
明かりとテーブルと椅子は古物商から調達したものらしく、ひとつひとつが違っていて、趣がある。
きっと食器も凝っているだろう。
カフェ・ジンシンを訪ねてコーヒーを飲む。すごく、すごく、すっごく楽しみだ。 了
noteより転載
2031辛亥騒動 山田沙夜 @yamadasayo
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