第6話 辛亥《しんがい》

 二〇三一年十二月二八日、わたしはシャトルシップ・クマノで宇宙ステーション丁未に向かった。座席は四名分。乗員は二人。

 そしてわたしは三十一歳になった。数え三十二前厄、三年間の女の大厄のはじまりだ。

 迷信は人の情念の集合体のようで、用心するにこしたことはないと思っている。


 わたしはコックピットでパイロットの隣に座らせてもらった。

 ドッキング機構は宇宙ステーション丁未にある。

 クマノのパイロットは栗栖健人、わたしより頭ひとつと半分ほど背丈のある細身の筋肉マンだ。オペレーターでもある。

 栗栖氏はわたしのボディガードを兼ねるという。

 それについてどう思えばいいのか、とりあえず保留にしておこう。

 軌道上でど素人が仕事をするとなると、万が一が何度もありそうだ、と栗栖氏は言ってくれる。

 さすがに少々ムカツクが、ごもっとも、なのだからしかたがない。

「辛亥にはもうひとり、岬桜花という自衛隊員が就いてる。丁未の民間人は俺ときみだけだ」

 とりあえず、うなずいた。

 丁未のクルーはわたしをいれて七名。プロフィールは頭に入れてある。


 栗栖健人はフランスの大学を卒業して帰国せず、消息不明になった。

 二〇二六年、三〇歳で帰国。いまは自衛隊宇宙活動隊とフリーランスパイロットとして契約している。

 現在の栗栖氏から消息不明だった八年はなんとでも妄想できるが、宇宙隊と契約していることを考えると想像範囲は絞られる。

 栗栖氏の物腰と態度から、「どこで」はわからなくても「なにを」は想像できる。体術に優れ、武器に詳しく扱いも上手いだろう。裸になれば、切り傷刺し傷火傷銃創などが見られそうだ。

 国際宇宙ステーションでは軍人たちと談笑していた。

 栗栖氏以外のクルーは自衛隊宇宙活動隊所属だ。


「丁未ではみんな呼び捨てだ。万が一の事態では一秒、いや一瞬でも余計な時間をかけないためだそうだ。俺は健人でいい。きみは?」

「織羽」

 健人がにやっと笑った。

「オリハなんて名だからロシア系かと思ってたが、しっかりモンゴロイドだな」

「残念でしたね」

 ムカッとして嫌味を言ったつもりだった。無視されてほっとした。相手が誰であれ、自分の感情を他人に投げたあとは、自己嫌悪になる。

『けっこうメンドクサイこだね』と美月に言われたし、叶さんにも遠回しに言われた。自分でもメンドクサと、よく思う。


 シャトルシップのドッキング機構は船尾にある。

 遠くに見える丁未は銀色の大きな俵のようで、俵の両の結び目にあたるところに太陽光発電パネルが広がっている。

 胴にあたる場所に己酉と辛亥が、お互いを避けあうようにような位置で丁未にドッキングしていた。

 ドッキング機構はあと四機残っている。

 一機はシャトルシップ・アスカがドッキングしていて、わたしが乗っているクマノがもう一機にドッキングしようとしている。

 残り二機のドッキング機構は、打ち上げ未定のまだ無名のモジュールとシャトルシップ・イズモが使う。

 クマノは車をバックで駐車場に入れるように、ジリジリ後退していく。健人の横顔が緊張し、眼はコントロールパネル、モニター、ディスプレイに集中して眼球がせわしく動く。

「AIがどの程度の想定外に対応できるか未知数なので、ここは人力仕様だ」

 バックモニターが一瞬真っ暗になって、ガクンと大きな音がしたが衝撃はほとんどなく、揺れもあまりなかった。

 健人が「ほうー」と息を吐いた。さすがフリーランサー。健人の技術は確かで、いい腕をしている。


 辛亥のハッチをくぐり、トンネルを抜けると丁未だった。

 誰もいない。だけどにぎわしい。

 手狭な空間が雑然と整理整頓されている。

 ほどよい明るさのなか、五つのブースがある。

 ブースの隙間に手すり、ベルト、ハーネス、束ねたコードにロープやチューブ、モニターやラップトップPC、クリップに挟まれておとなしくしているいろいろな端末などが、意外にもごちゃごちゃ置かれて(?)いる。

 そしてトレッドミル。

 各ブースは洗髪、トイレ、バスルーム、テーブルと椅子、飲み物、おやつ、食事など飲食物のケースなどで、健人の案内で確認していく。

 健人は「丁未は生活空間だ」と言った。

 わたしはまだ無重力でバランスをとるのが上手くない。半年間の訓練中はうまくやれていると自負していたが、当然ながら訓練所とは違う。そこを健人のちょっとしたアドバイスで上手くなっていくのがわかる。

 それが楽しくて、つい声をだしてしまっていた。

「すみません。はしゃいじゃったみたいです。みなさん、うるさいと思ってらっしゃるかな」

「この程度、聞こえてないよ。それよりこれ」

 と壁に点々とある青いボタンを指して、「これを押せば、キャーとかタスケテーとか、全艦に聞こえるようになる。言うまでもないが緊急用だ」

 なんとなく、……ムカツク。

「ほかに誰もいないみたい」

「己酉の隊員に歓迎されてない、などと思うなよ。ここはこんなもんなんだ。少数精鋭とでもいうか、まぁ有り体に言えば、人手不足ってとこだ。

 今日天野織羽が着任することはみな知ってるし、織羽に興味津々だろう。だが挨拶するにしろ、席は外せない。休憩中のやつは睡眠を優先する。メシを食ったら寝てるだろうし。

 睡眠不足は天敵だ。動作も判断力も鈍らせる。織羽も睡眠不足を甘くみるなよ。仕事は優先するな。ちゃんと寝ろ」

「はい」自分でも意外だが、素直にうなずいていた。


 辛亥のハッチが開いて、岬桜花さんが顔をだした。プロフィール画像とおなじ顔だ。当然だけど。

「よろしく」とさしだされた桜花さんの右手を握った。

「よろしくおねがいします。天野お……」

「織羽ね。桜花です」

 よかった。いきなり呼び捨てなんてできないと困っていた。これで気兼ねなく「桜花」と呼びすてできそうだ。


「辛亥に急いで。織羽のメールボックスに緊急の連絡が火星と月と地球から入ってる。それになに? 十二名のメールルームにも至急でメールがきてるわよ。十二人なんてどういうメンバーなの」

 わたしはメンバー構成をきっちり話した。

「所長に文化財保護管理専門班……織羽、縛りがきつそうねぇ」

「なんといっても、月に火星ときた。きみ、ほんとに一般人なの」

「高校の同級生がたまたま」

「同級生がたまたま月と火星に? そりゃ、すごい」

「すごい確率のたまたま、ね」

 桜花と健人が同時に言って、沈黙した。

 そこになにか裏があると、二人して思うのですか? ないです。ないと思います。

「なんと言うか、とくに火星へはこまめにメールしてやれよ。楽しみにしてると思う」

「そうね。使命感だけでは補えない毎日だと想像できるからね。月も厳しいけど、自分の意志で地球に帰ることができる。

 火星はそうはいかない。火星の厳しさは比じゃないわ」

 香音を思い、背筋がゾクリとした。


 美月、夏実、香音そして谷垣所長と叶さんのメールで、わたしは震えた。

 情けないけれど、表情や顔色にでてしまったのだろう。

 なんだなんだ、どうしたどうした、と健人と桜花が訊いてくる。詰め寄られた感がつよいけど。

 わたしときたら、感情のコントロールが未熟すぎる。

 一年に及んだ「宇宙空間勤務訓練」。前半、半年間の座学でノウ・ハウは学んだ。後半の半年間で実際の訓練も受けた。座学実技ともに、計算され尽くされたプログラムどおり、わたしは身につけることができた。

 けれどその隙をついて、追いかけてきた過去の亡霊に不意打ちをくらった気分だ。わたしは思いっきりうろたえた。亡霊も怖いけど、人間はもっと怖い。

 未熟すぎる。情けない。


 スタート地点に高見塔也がいたなんて。

 わたしはまず、高見塔也について健人と桜花に話した。それから二人にもメールを読んでもらう。右に桜花、左に健人、ほっぺたがくっつきそうだ。


 谷垣所長と叶さんのメールの内容は、言葉遣いが違うけれど同じだった。

「天野さんの高校時代の同級生だという高見塔也という青年が、掛け軸を持って収蔵物保全管理課を訪ねてきましたよ。


 高校時代にぼくが書いた「昇鯉」という彩色墨絵を軸装したものです。高二のとき名古屋市立高校文化祭で金賞をもらいました。天野さんがとても気に入ってくれたものです。

 ぼくは地球を離れることにしたので、天野さんにもらってほしいと思って持ってきたんです。

 会えますか?


 というような話でした。

 谷垣所長が、天野は出張中なので掛け軸は預かっておきます。天野が戻ったら高見さんに連絡させるので連絡先を教えてほしいと言いました。

 高見さんは、火星へ行くのでもう地球へは戻らないから、渡してくれるだけでいいです、と言って逃げるように出ていっちゃいました。

 なんてヤツだと思いながらも、天野さんが帰ってくるまで預かるぐらいならと思いました。

 谷垣所長は眉間にシワを寄せていました。

 念のために中身のスキャンと防疫検査をするように。安全が確認できないうちは、ぜったいに箱は開けるな。

 厳しい顔でおっしゃいました。

 ためしに箱に耳をつけてみたら、カサカサと音がしてるような気がして、わたしも念のために、箱を防疫箱へ入れてから検査に出したんです。

 箱のなかのカサカサ音。そこから導きだす答えは一つです。

 やはり中の掛け軸は……ほんとうに高見が「昇鯉」という掛け軸を入れていたとしたらだけど……シバンムシにやられていました。

 検査所でそのまま焼却してもらいました。

 天野さんの同級生を悪く言うのは申し訳ないけど、なんだか薄気味の悪い男でした。ルックスがいいだけに気味の悪さが際立っちゃってる感じ。

 谷垣所長も佐竹さんも心配して、高見のアラートをだしましたよ。火星へ行く、なんて言ってましたから。

 天野さん、くれぐれも気をつけてね」


 美月からは、「高見塔也が性懲りもなく第二次火星入植者に応募して、撃沈。見事に門前払いをくらったわよ」

 夏実からは、「高見塔也が宇宙ステーションホテルにいる。個人旅行かもしれないけど、高見が旅行するのはイメージしがたいよ。念のためにアラートをだしておいた」

 香音からは、「美月のメッセージを見て驚いたわ。万が一にも高見が火星入植者にパスしたらと思うとぞっとする。

 あいつがこっちへきたら、事故を装って行方不明になってもらう……なんてね。織羽、とにかく気をつけるのよ。そっちでもアラートをだしておきなさいよ」

 三人ともビデオメッセージだ。顔が見える。声を聞ける。わたしがここにいるのを知っててくれる……。   



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